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自殺の場面や事件現場を撮影してSNSに投稿する人たち

2019年05月28日 15:52  おたくま経済新聞

おたくま経済新聞

自殺の場面や事件現場を撮影してSNSに投稿する人たち

 SNSというツールが当たり前になり早10数年。利用の仕方は人それぞれで、ライフログ的に時々の出来事をつぶやく人から、自分の主義・主張を発信する人。さらには「注目されたい」と目立つことを目的に発信する人も存在し、中にはSNSを通じて有名になる人も今や珍しくありません。ただしそれらは、良い方面での目立ち方がほとんど。


 そうした利用以外で近頃問題視されている使われ方があります。それは、「人の生死に関わる」事件のその瞬間を撮影して投稿する行為。いずれもショッキングな内容ばかりで、物議をかもしています。


【さらに詳しい元の記事はこちら】


■ 自殺の場面や事件現場を撮影してSNSに投稿する人たち

 ごく最近には、飛び降り自殺の様子をうつした動画が投稿され物議をかもしました。この時は多くの人が現場の状況についてつぶやきをのこしており、今にも飛び降りそうな女性に対し多くの人がスマホのカメラを向けていたことに疑問を投げかける声もありました。


 そうして撮影されたいくつかの動画や写真が、直後にSNS上へ投稿され拡散。さらには、運営者不明の「まとめサイト」と呼ばれるサイトも通じて、SNSの外までにもその映像が知られることとなったのです。


 他にも、女性が男性を刺した事件では、発生直後の写真が出回ったケースも。どういう経緯で撮影されたものかはわかりませんが、集合住宅のロビーと思われる場所で横たわる男性、その横には男性を刺したと思われる女性の姿が。そして画面には、駆けつけたばかりの警察官も写っていました。


 これら写真などがネットに投稿されるや、瞬く間に拡散され、さらに転載も重ねられて延々と拡散される現象が当たり前のように起きています。投稿についたコメントを見ると「怖い」といいつつも興味津々な意見や、もちろん投稿を批判する声に撮影者のモラルを疑う声。逆に「かたいことを言うなよ」といった意見も。


■ 海外では「暗殺」の一部始終がSNSに投稿されたケースも

 海外でも日本と同じようなケースがありますが、自分で起こした事件を生中継したケースも起きています。自分で発信するメディアを手にしたことで、ある種の「劇場型犯罪」を起こしやすくしている、という考察も見られます。


 また、ある国の反対勢力の重要人物が、白昼堂々と暗殺される様子を、その人物に同行していた人によってSNSに投稿される、という事件もありました。これは事件を予期していたわけではなく、単に街中を徒歩で移動している様子を並んで撮影していたところ、すれ違った人物から至近距離で銃撃され、結果的に死亡したものです。実行犯はその場で取り押さえられました。この場合は、その人物が「暗殺された」ことを世界に知らしめるために、信念をもって映像が投稿された、というケースでした。


 これは少し特殊なケースですが、SNSという“自分自身で世界中に発信できるメディア”を手にしたことで、場合によっては既存の報道メディアが報道しない(できない)事件などを直接世界中の人々に届けることも可能になったのです。


 もちろん、多くの場合は偶然遭遇した事件や事故の様子を「こんなことがあった」と身の回り(友達やフォロアーなど)に、世間話の延長で投稿されるもの。そしてそれは、時に全世界に波及する「衝撃映像」となって本人の思惑を超え、拡散していきます。その反響の大きさに耐えかねて、SNSのアカウントを閉鎖する人も少なくありません。


■ 声を大にして意見したくても意見しにくい状況

 SNSという文化は歴史が浅いこともあり、モラルの形成や共有が追いついていないのが現状です。人の生死に関わる事件現場でカメラを向け、さらにネットに投稿する人の多くは、恐らく深く考えずに興味だけで行動しているのではないでしょうか。しかし、その様子はまるで衝撃映像のスクープ合戦。


 一方でこれに疑問を持つ人も、先に紹介したとおり少なくありません。しかし、声を大にして意見したくても意見しにくい状況があるようです。例えば、つい先日、ある有名SNSユーザーが事件現場のショッキングな画像投稿に対して問題提起を行ったところ、問題提起といえども「ショッキングな動画や写真が出回っている」と書くことは「検索に拍車をかけるだけなのでふれない方がいい」という意見が複数寄せられたのを目にしました。さらに「事件、事故現場を撮影するのはメディアだってやってるじゃないか!」なんて意見も。


 ちなみにメディアの場合は、基本的に社名や執筆者など責任所在が明記されています。そして大規模なテロや事故現場など、あまりにもショッキングな場面は画像の掲載を自粛することがほとんどです。これは海外メディアでも同様で、WEBの場合はあらかじめ注意書きをして、それに同意した人のみが修正済み(死体などが写っている部分をぼかした)画像を閲覧することが可能になっていたりと、ショッキングな画像については“起こった事実をありのまま知らせる”という報道の使命との間で、慎重な検討が行われ掲載可否が判断されています。


 SNSは自由な表現の場とされていますが、人の生死に関わる事件現場で興味本位でカメラを向け、それをSNSに投稿して共有する行為……これは本当に正しい「自由な表現」のありかたなのでしょうか。本来、自由には責任がともないます。しかし、この手の投稿をする人はただ情報を流すだけで、責任を持とうという人はいませんし、何か「信念」があって行っているというわけでもありません。あるのはただ好奇心を満たす「刺激」だけ。


 黙って見過ごすのも、事態をより拡散させない一つの手かもしれません。しかし、誰かが声をあげ、問題を指摘していかなければ、そう遠くない未来にこれが「当たり前」のこととして浸透してしまう日がくる。そんな気がしてなりません。


(宮崎美和子)