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『プロメア』は大衆娯楽映画の最先端に 強烈な生のエネルギーを描くTRIGGERの手法とは

2019年05月28日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 鑑賞中、頭が沸騰した。最初から最後までクライマックスかというようなテンションで111分が嵐のように駆け抜けた。少し肌寒いくらいの空調の効いた試写室で、映画が終わった時には汗ばんでいた。


参考:鮮烈なアニメーション


 オリジナルアニメーション映画『プロメア』は、大変な熱量の大衆娯楽映画だ。個性的なキャラクターにビッグスケールのストーリーと、過剰なアクションとコミカルさがハイレベルでせめぎ合っている。制作したTRIGGER、監督の今石洋之、そして脚本の中島かずきの魅力がこれでもかと言わんばかりに詰め込まれている。


 本稿では、TRIGGER及び、監督と脚本の2人の魅力と特異性を紐解くことで、本作の魅力に迫ってみたい。


・『キルラキル』で瞬く間に認知されたTRIGGER
 TRIGGERは、GAINAX出身の3人が独立し2011年に設立された新しいアニメーションスタジオだ。だが、すでにアニメファンの間では信頼できるブランドとしての地位を確立している。


 TRIGGERを語る上で、最も重要な作品はそのTVアニメデビュー作『キルラキル』だろう。『プロメア』でも監督と脚本を務めている今石洋之と中島かずきのコンビによるこのオリジナルアニメは、2013年に放送されると、ポップな絵柄に超過剰な描写のアクションにギャグ、そして壮絶なテンポで進む見事なストーリーで、アニメファンを魅了した。


 GAINAX所属時代に今石と中島がコンビを組んで制作した『天元突破グレンラガン』を知るファンは、その過剰な作風を知ってはいたが、『キルラキル』は想像を越える完成度とオリジナリティで、TRIGGERという新進のスタジオを強く印象づけた。


 その後、TRIGGERは『リトルウィッチアカデミア』や『SSSS.GRIDMAN』『ダーリン・イン・ザ・フランキス』など話題作のTV作品を制作し続け、地位を確固たるものにしてゆく。


 『プロメア』は、『グレンラガン』『キルラキル』の直系の子孫のような作品だ。監督と脚本家の他にも、共通のスタッフも多く参加し、『キルラキル』で活躍した声優が大挙して出演しており、何より映像からほとばしる尋常ではない熱量がそう思わせる。『キルラキル』の時は、自宅のTVモニターで鑑賞するほかなかったが、「もし、TRIGGERが全力でアニメ映画を作ったらどうなるんだろう」と多くのアニメファンは考えたに違いない。本作は、その期待に120%の熱量で応えてみせた。


・今石洋之の才能が炸裂
 監督を務める今石洋之は、監督デビュー以前から、金田伊功の影響を受けた大胆なパースやダイナミックな動きを得意とするアニメーターとして知られていた。GAINAX時代には、『フリクリ』や『トップをねらえ! 2』『彼氏彼女の事情』などでその辣腕を発揮し、監督を務めた『天元突破グレンラガン』でその才能を広く知られるようになった。


 『グレンラガン』は古典的ロボットアニメや少年漫画が持っていた勢いや熱量を感じさせる一方で、その過激さが新鮮さを感じさせた。リアルとは全く異なる路線の作画を追求し、どこまでも娯楽的に楽しさを追求する姿勢は今作でも一貫している。


 今石洋之自身は、自身の作風について以下の様に語っている。


「何かを表現するためにリアルな方法を選んでしまうと、違う気がするんです。より誇張したものだったり、省略したもので同じことを表現できたなら、そのほうが得した気分になるんじゃないかと」(『アニメスタイル005』2014年5月号、P36)


 今石洋之のこうした姿勢はアクションシーンで大きな力を発揮するが、極端なデフォルメによるコミカルなシーンなど緩急の付け方も巧みだ。最初から最後まで過剰なのに、不思議と疲れることがないのは、緩急の付け方も上手いからだろう。


・稀代の大衆娯楽脚本家、中島かずきの本領発揮
 「劇団☆新感線」の座付き作家として名高い中島かずき。稀代の大衆娯楽作家である彼がこれまで描いてきたものが、本作にも色濃く反映されている。『髑髏城の七人』や『野獣郎見参』、『阿修羅城の瞳』など数々の傑作を書いてきた中島が一貫して書き続けてきたのが、「まつろわぬ民(服従しない者)」の物語だ。


 恋をすると鬼になる女、大泥棒石川五エ門、流しの浪人と色街の人々など、被差別民や鬼などの異民がエネルギッシュに戦う姿を中島かずきは描き続けてきたが、中島の書く物語は説教的でも同情的でもなく、ひたすらに強烈な生のエネルギーに溢れている。


 中島は、自身の作風をインタビューでこのように語っている。


「隆慶一郎さんには90年に出会って、ほんとうに目から鱗が落ちましたね。『吉原御免状』(2005年)をやらせていただきましたが、差別された側の人たちをあれほど誇り高く書いていることに感動しました。山田風太郎さんも好きですが、根本にペシミズムがあるのが、僕にはもうひとつ肌が合わないといいますか……。向日性な性格なもんですから、人が前向きに生きていくのが好きなんです」(参照:https://performingarts.jp/J/art_interview/0611/2.html)


 『プロメア』もまた「まつろわぬ民」の物語である。突然変異によって人体が発火するようになった人々が差別され、バーニッシュと呼ばれて被差別民として扱われている。それを容認する体制に反旗を翻し「マッドバーニッシュ」という集団が登場するが、まさにこれまで中島かずきが書き続けてきた人々のあり方と重なる。


 その差別・被差別の構造に現代性を見出す観客も多いだろう。だが、それは単に現代的なのではない。中島は舞台で時代劇を取り上げることが多く、本作は近未来SF的な世界だが、同じ構造の中で人々が差別が発生し、人が戦っている。いつの時代にも通じる人間の本質を描いているから現代にも通ずるものを感じるのだ。つまり、中島の物語はいつだって普遍的なのだ。


 そして、セリフ回しにも独特の中島節が健在だ。主人公ガロの「消してやるよ、地球のマグマもあんたの野望の炎もな!(注:試写で一度観ただけなので、少し言い回しが異なるかもしれない)」というセリフはいかにも中島らしい。例えば、『五右衛門ロック』の主人公の以下の口上とよく似ている。


「そうでもねえんだな。俺はおめえらみてえな欲に溺れた連中の上前はねるのが大好きでね。盗んでやるよ、てめえらのたまりにたまったさもしい欲を!」(『「五右衛門ロック」第二幕第九景、K.NAKASHIMA Selection Vol.14」論創社、P139)


 こうした格好良い数々の決め台詞を、中島自ら指名した役者陣が見事にきめてくれた。本職声優以外の人物の起用に批判が集まることも多いが、今回、メインキャストを務める3人はさすが一流の役者である、違和感ないどころか、作品の完成度を引き上げる見事な熱演を見せてくれる。


・『プロメア』は大衆娯楽の最先端だ
 歌舞伎役者の市川染五郎は、中島かずきの戯曲『阿修羅城の瞳』の公演に参加した際、劇団☆新感線の舞台について、現代の歌舞伎であると評している。


「見得を切るとか、花道を使うとか、着物を着るとか、そういう上っ面の歌舞伎の真似事ではなくて、歌舞伎が本来持っている娯楽性とか大衆性が新感線の舞台にはあると感じたんです」(『「阿修羅城の瞳」K.NAKASHIMA SelectionVol.2』論創社、P187)


 TRIGGERの作る作品にも同じことが言えるのではないか。主人公、ガロの見得きりの動作などは直接歌舞伎からの引用だが、それ以上に、市川染五郎の言う「歌舞伎が本来持っている娯楽性と大衆性」がこの作品には溢れている。『プロメア』はアニメにしかできないやり方で、大衆娯楽の最先端を示した作品だ。ぜひとも劇場に行って、その熱量にノックアウトされてきてほしい。


(文=杉本穂高)