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『いだてん』先人たちの無念と努力が100年後の東京五輪へ 前半と後半でガラリと変化した演出

2019年05月27日 12:31  リアルサウンド

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 『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』(NHK総合)第20回「恋の片道切符」が5月26日に放送された。アントワープオリンピックを目指す前半と8年ぶりのオリンピックに臨んだ後半。登場人物の心情描写で時代の移り変わりを感じさせる演出が印象的だった。またアントワープオリンピックが開催された大正9年(1920年)が、100年後、東京オリンピックが開催される2020年につながる瞬間があり、実に趣深い回となった。


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 嘉納治五郎(役所広司)が直々にIOC会長・クーベルタンへ手紙を送ったことで、オリンピックにマラソンが復活した。8年前のストックホルムオリンピックではたった2人だった日本人選手も、アントワープオリンピックには15人が参加。しかし結果は厳しいものだった。テニス競技に出場した選手は、シングルス・ダブルス共に銀メダルという好成績を残すものの、他の競技の成績は芳しくない。金メダルを目指し、8年間厳しい練習に励んでいた四三(中村勘九郎)も、16位と惨敗だった。


 ドラマ前半は、8年ぶりのオリンピックに出場する若き選手たちが、世界に挑もうと気持ちを高ぶらせている様子が印象的だ。特に、水泳選手として選出された浜松の内田正練を囲む遊泳協会の面々の姿は力強く描かれる。当時の泳法は伝統的な日本泳法。世界ではすでにクロールが主流だったが、本作のもうひとりの主人公・田畑政治(原勇弥/阿部サダヲ)は「欧米人がみんなクロールだとしたら、うちら河童の敵ではないわ!」と自信たっぷりに言い放つ。意気揚々と泳ぎだす若者の姿や政治の姿は希望に満ちていた。


 その一方で、女性スポーツの推進を願うシマ(杉咲花)は女子選手が参加しないことを嘆き、永井道明(杉本哲太)は「時代が変わっても自分を変えられなかった」ことを理由に、監督を辞退し、大日本体育協会(以下、体協)を去ることを決める。希望に満ちたシーンの裏側で、時代の変化よりも先に変化を遂げたシマと、時代の変化に取り残されてしまった永井の姿が描かれることで、時代の移り変わりがより鮮明に伝わってくる。


 5カ月にも及ぶ長い渡航期間を経て、アントワープオリンピックの会場に到着した四三たち。会場には四三の盟友・三島弥彦(生田斗真)も応援に駆けつけ、日本選手団の士気は高まっていた。明るい光の中、凄まじい表情で競技に臨む四三。だが、オリンピックの様子は一切描かれることなく、選手団が帰国した3カ月後に時間が進む。


 報告会での演出がとても残酷だ。競技の場面が描かれなくとも、オリンピック後の選手団の沈痛な面持ちが全てを物語っている。好成績を残すことができた選手もいた。しかし報告会にやってきた記者団は1つの「敗北」もよしとしなかった。選手団を代表して発言する野口源三郎(永山絢斗)が「予選敗退」「棄権」と言葉にするたび、記者団は非難の声を浴びせる。選手たちが競技の内容やどれほど練習を重ねて臨んだのかを訴えかけても、聞き入れる様子はない。「非国民」と罵倒する声も聞こえた。前半の希望に満ちた演出が輝いて見えたからこそ、報告会の様子は息が詰まるように苦しいものだった。


 だが、批判する記者団に力強く反論するスヤ(綾瀬はるか)や若き選手たち、会場で四三らの勇姿を見届けた永井らの発言が、大正9年と100年後の2020年をつなぐ。体協を退くことにした治五郎は「50年後、100年後の選手たちが、運動やスポーツを楽しんでくれていたら、我々としては嬉しいよね」と永井に言った。かつて永井は「日本が世界と肩を並べるのに50年を要する」と言っていたが、治五郎はその50年後、100年後の未来に希望を見ていたのだ。「日本の体育を頼んだぞ」と永井は、後に日本全国にスポーツを広める野口と二階堂トクヨ(寺島しのぶ)に伝えた。四三らがオリンピックへ出場していなかったら、度重なる失望や敗北を味わってもなお前へ進もうという努力をしていなかったら、スポーツを広めようとしていなかったら、100年後に訪れる東京オリンピックも儚い夢となっていたのではないだろうか。屈辱や無念を味わい、厳しい非難に晒されながらも、オリンピックに挑み続けた四三、そしてその時代を生きてきた人の姿が鮮烈に心に残る。


 戦争の痕跡残るアントワープの街を、ただひたすらに駆け抜ける選手たち。戦争の映像が投影された街並みと走る選手たちの姿は、第一次世界大戦後の時代の苛烈さを表しているかのようで、美しくも切ない演出だった。(片山香帆)