トップへ

吉高由里子と新垣結衣、現代人に寄り添えるのはどっち? 『わた定』と『けもなれ』の決定的な違い

2019年05月27日 07:41  リアルサウンド

リアルサウンド

写真

 吉高由里子が「定時で帰る」ことをモットーにしたヒロインを演じるドラマ『わたし、定時で帰ります。』(TBS系、以下『わた定』)。放送開始当初は職場のリアルな描き方などから、『獣になれない私たち』(日本テレビ系、以下『けもなれ』)と重ね合わせたり、比較したりして見る人も少なくなかった。


【写真】『けもなれ』の深海晶(新垣結衣)


 どちらも「仕事ができるヒロイン」が、問題ある上司や頼りない後輩など、上の世代と下の世代にはさまれ、尻拭いをすることが多い点は共通している。また、出世欲などはなく、仕事を優先順位の最上位にしていないことも同じだろう。「似た世界観」「どちらも刺さる」という視聴者も少なからずいる。


 しかし、『けもなれ』が視聴率で軒並み苦戦を強いられ、評価においても賛否両論で続々と脱落者を出した一方で、『わた定』は初回1桁からスタートし、上下しつつも2桁に到達。評価もじわじわと高めている。


 両者の違いはいったい何なのか。当然ながら個人的な好みの問題はあるだろうが、「見やすさ」において決定的な違いがいくつかあるように思う。


 まずヒロインの置かれた「現状」の違い。『けもなれ』の深海晶(新垣結衣)の場合、現状がまさに苦しみの真っただ中で、現在進行形でモヤモヤしていた。それに対して、『わた定』のヒロイン・東山結衣(吉高由里子)が苦しんでいたのは、前職のとき。「絶対残業しない」ことをモットーにしたのも、休みもなく月100時間以上残業し、階段から落ちて重体になった過去があったからだ。


 『けもなれ』の場合は、周囲の起こすトラブルを「仕事ができる」という名目で、ことごとく晶が背負されてしまっていた。晶の表情には常に悲壮感が漂っていて、仕事をどんどん押し付けられたり、パワハラ・セクハラにあったり、理不尽な土下座をさせられたりしたことまであった。視聴者は、そんな八方美人で断れない晶を見て、辛い気分になったり、モヤモヤしたりした。


 「仕事ができる」というのも、晶の仕事ぶりからではなく、あくまで周囲の人の発言から見えるだけ。


 明らかにキャパオーバーに見える仕事量を後輩に振り分け、指導するでもなく、押し付けられるままに一人で抱え込む晶が、本当に「仕事ができる」のか。もしかしたら、断れない性格につけこんで、「仕事がデキる」という名目で体よく押し付けられているのではないかと思うことすらあった。


 一方、『わた定』で悩み苦しむのは、同僚や産休明けの先輩、後輩など。


 結衣はそんな彼ら・彼女らを脇に見て、自分勝手に定時帰りを決め込むわけではなく、自分の信条を貫きつつも、問題や悩みを抱える人たちの個々の思いや事情を理解・尊重し、サポートし、気持ちをラクにさせる役割を担っている。


 真面目で要領が悪い同僚がトラブルを起こし、失意で会社を休んで部屋に閉じこもると、近所のお気に入りの中華粥を「特別にショウガたっぷりにしてもらって」差し入れてくれ、話を聞いてくれる。


 産休明けで遅れを取り戻そうと必死で空回りする先輩には、「何と戦っているんですか」と言い、気持ちをほぐしてくれる。


 「自分なんて何の役にも立たない」と卑下する新人には、わざとらしい誉め言葉など言わず、一人の人間としての面白みを評価し、存在自体を肯定してくれる。


 自分の主義主張を一切押し付けることなく、それぞれの立場を推し量り、思いを聞き、受け止めたうえで、肯定する結衣は、職場の中間的立場を担う人として、非常に優秀だ。にもかかわらず、そんな彼女のフォローやサポートは、表立って誰かに褒められたり評価されたりするわけではなく、「定時で帰れるメンタルはすごい」と言われたり、ときには「要領が良い」と敵視されたりすることもある。


 また、『けもなれ』と『わた定』の大きな違いは、かかわりの深い男性とのあり方にも見える。


 『けもなれ』では晶の恋人・京谷(田中圭)が、晶を支えるどころか、事情があるとはいえ、元カノと同居し続けることによって、晶を最も苦しめている存在となっていた。「別れれば良いのに」と何度も思った視聴者は多かったことだろう。


 一方、『わた定』の結衣には、プライベートを大切にしている恋人(中丸雄一)がいて、ワーカホリックであることから別れを決意した元婚約者(向井理)は同じ職場になり、窮地を救ってくれるなどの頼もしさを感じさせてくれる。


 『けもなれ』の晶の場合、八方美人で断れない性格の根本に「父は暴力をふるう人で、母はマルチ商法にハマって絶縁」という辛い生い立ちがある。そのため、視聴者は、苦しみながらも同じ場所で逡巡し続ける晶にイライラする部分もあったが、こうした事情が明らかになるにつれ、救われない思いで余計に気分が重くなった。


 一方、『わた定』の場合、結衣の父がワーカホリックであることが、恋人選びに明らかに影響していた。しかし、そうした経緯は、「企業戦士として働き詰めで、日曜日も家にいず、過労死寸前だった父のことを子どもたちが忘れないように」と、母がテレビの上に父の写真を飾る=遺影と勘違いされるという笑いをまじえて説明されていた。


 それからもう一つ、『けもなれ』と『わた定』の大きな違いに、「仕事後のビール」のあり方の違いがある。


 『けもなれ』の晶は、深夜まで仕事した後に、「5tap」というオシャレな店でクラフトビールを飲んでいた。しかし、常連客はちょっと面倒くさそうな人たちが多く、繰り広げられる会話も恋バナや下ネタなど、ちょっと面倒くさそう。ビールの泡がどんどん消えていく様を目の前にして、モヤモヤした会話を続けるシーンも多く、仕事後にスッキリするどころか、モヤモヤした思いが増幅しそうな印象があった。


 一方、『わた定』結衣の行きつけの「上海飯店」は、定時で上がると間に合う「ハッピーアワー」の半額ビールがあって、店主の王丹(江口のりこ)も、常連客たちも、愉快な人ばかり。純粋に仕事や日々の些末な出来事を忘れられる、楽しいビールだ。


 さて、現実の世界を見渡すと、『わた定』の結衣のように、優秀な職場の緩衝材的存在はそういないだろうし、元婚約者のような頼れる上司もなかなかいないだろう。その一方で、『けもなれ』の晶のように、断れない八方美人や、同じ場所で逡巡し続ける人は思いのほか多いようだし、「ドラマのように簡単に解決しない」問題もたくさんある。


 様々な世代や様々な立場の人たちの、仕事とのかかわり方・考え方の違いをリアルに描きつつも、ドラマとしての爽快感を与える『わたし、定時で帰ります。』と、抱える悩みと「簡単に解決しない」現実をリアルに描いた『獣になれない私たち』。両者に共通する部分はあるが、主眼を置いた場所の違いが「見やすさ」の違いにつながっているのではないだろうか。


(田幸和歌子)