NHK朝の連続ドラマ小説『なつぞら』の放送がスタートしてから、もうすぐ2か月になる。「朝ドラ」史上初となる全編アニメーションのオープニング映像をはじめ、第1話序盤から視聴者の度肝を抜いたアニメパート、草刈正雄演じる柴田泰樹や吉沢亮演じる山田天陽の存在感、内村光良が務めるナレーターの正体、そして初の朝ドラ主題歌となるスピッツ“優しいあの子”など、様々な話題を振りまいてきた。吉澤嘉代子がスキャットで歌声を提供した、ここぞというシーンで流れるノスタルジックなBGMも素晴らしい。歌広場淳(ゴールデンボンバー)が毎日更新しているNHKアーカイブスウェブサイトの「著名人レコメンド」も楽しい。
物語は、広瀬すず演じるヒロイン・なつが北海道で過ごした十勝編が終わり、アニメーション制作の世界に飛び込む東京編がいよいよスタート。この記事では、いくつかのキーワードとセリフを軸に、これまでの『なつぞら』を振り返っていきたい。(※本記事には『なつぞら』45話までのネタバレが含まれます)
■『なつぞら』十勝編とは? 農村で繰り広げられる王道の成長物語
『なつぞら』は大森寿美男の脚本によるオリジナル作品。戦争で両親を亡くし、東京から北海道・十勝に移り住んだ少女・奥原なつが、自然の中で育まれた豊かな想像力と開拓者精神を生かし、当時は「漫画映画」と呼ばれていたアニメーションの世界にやがて飛び込んでいく、というあらすじだ。十勝編では、なつの子供時代や、牧場で働きながら農業高校に通う姿を描いた。
十勝編の中心となるのは、たった1人で北海道に渡り、有力牧場主となった開拓者・柴田泰樹を長とする柴田家の人々。家父長制的な一家の中で、主人公がやがて自らの意思を獲得して広い世界へ飛び出していくという王道の成長物語を軸に、のちの物語に影響していくであろう、創作や表現への感性を育んでいくなつの様子を描いている。
■受け継がれていく開拓精神。「行って、東京を耕してこい」
本作で最も重要なキーワードの1つが「開拓」だろう。北海道・十勝の音問別(架空の地名で、モデルは音更町とされる)の柴田牧場で暮らすことになったなつ。彼女に大きな影響を与える人物が、開拓者・柴田泰樹だ。
十勝編の序盤にあたる「第2週 なつよ、夢の扉を開け」には、十勝編を紐解くシーンが詰まっている。第9話の亡き父が遺した家族の絵がなつの想像力によって動くシーンをはじめ、泰樹のバター作りの夢、そしてなつが学校でフライシャー兄弟のアニメ作品『ポパイ・アリババと40人の盗賊』を初めて観る場面などなど。
泰樹が思い描く、なつを後継者とする牧場の未来と、なつが夢見るアニメーションの道。どちらも未来を切り拓く道である。なつは2つの「開拓」のどちらを選ぶのか。それが十勝編のストーリーの核の1つだ。十勝編の終盤、なつは泰樹に自らの夢を打ち明ける。
<挑戦してみたいのさ。じいちゃんが北海道に来て一人で開拓したみたいに。私も挑戦したい。さっきやっとわかったのさ。私、じいちゃんみたいになりたかったんだって。それが私には漫画映画を目指すことなのさ。じいちゃんごめんなさい。酪農を、じいちゃんを裏切っても私はやりたい。(第42話)>
それに応じる泰樹は、「何が裏切りじゃ。ふざけるな」と一喝しつつ、感情を押し殺しながら言う。
<よく言った。それでこそわしの孫じゃ。行ってこい。漫画か映画か知らんが、行って、東京を耕してこい。開拓してこい。>
成長したなつが自ら意思で進路を選び「開拓」のバトンが受け継がれることで、十勝編は幕を閉じる。過去と現在の「開拓」が時代を越えて重ね合わせられ、物語は「東京を耕す」なつを描くステージへと移行する。
蛇足ではあるが、大胆なアニメーションパートの挿入を試みた『なつぞら』自体も、朝ドラ史における1つの挑戦だ。これもまた、未知の領域を「開拓」する試みと言えるだろう。
■「恐ろしい爆弾」も作れば、アニメも作る。物語の背景から滲む「アメリカ」の影響
「開拓」といえば、アメリカの西部開拓時代を連想しないわけにはいかない。第11話には、第2次世界大戦の戦勝国・アメリカについての印象深いセリフがある。
「漫画映画」を初めて観て、すっかり夢中になる子供時代のなつ。天陽が「やっぱりアメリカの映画は進んでるな。アメリカにはディズニーっていう漫画映画があるんだって。それは凄いらしい」と知識を披露するのを受けて、戸次重幸演じる天陽の父・正治がぽつりとつぶやくのだ。
<しかし、(アメリカは)恐ろしい爆弾も作れば、ああいうものも作るんだからな。学校もすぐにアメリカ礼賛というのはどうなんだろうな。さんざん鬼畜米英だと教育しておいて。(第11話)>
第11話で『ポパイ』を観る子供時代のなつと、第33話でディズニー映画『ファンタジア』を観る高校生のなつ。どちらも印象深い場面だが、後者は十勝編の中でも屈指の名シーンと言えるだろう。
輝くような「漫画映画」への喜びと憧れ、自分には作れないかもしれないという諦念と、何かに魅了された人の危うい雰囲気。そして創作へ向かう決意。牧場生活はあんなに平穏で、満たされて、将来が約束されているのに、なぜそれを捨ててしまうのだろう? そんな疑問への答えが、表情だけで説得力をもって表現されているのだ。
回想中の「アニメーションは動きが命なんだよ。絵に命を吹き込むことなんだ」というセリフも印象的だ。戦死した父の遺した絵に想像力で命を吹き込んだ幼い頃のなつ。それを具現化するアニメーションという方法が、「恐ろしい爆弾」を作ったアメリカによってもたらされたということ。なつという人物は、その宿命を引き受けざるを得なかったキャラクターでもある。
■怒りが「新たな絶望を生まないために」。孤独なクリエイターたちへのエール
「怒り」というキーワードにも注目したい。戦争への怒り。大事な人を失う怒り。ままならない世界への怒り。第8話で泰樹は、戦争で家族を失ったなつについて、こう語る。
<怒りなんてものは、とっくに通り越してるよ。怒る前にあの子は諦めとる。諦めしかなかったんだ。それしか生きる術がなかったんじゃ。怒れる者はまだ幸せだ。自分の幸せを守るために人は怒る。今のあの子にはそれもない。争いごとを嫌って、あの子は怒ることができなくなった。あの子の望みはただ生きる場所を得ることじゃ。>
第9話で「どうして私には家族がいないの」と泣くなつに、泰樹は「もっと怒れ。怒ればいい」と呼びかける。なつにとって、怒るのは諦めるのをやめることだ。十勝編の終盤、第36話には、清原翔演じる柴田家の長男・照男となつを結婚させようと画策する泰樹に対して、きちんと怒ることができるようになったなつの成長が刻まれている。
怒ることができるようになったなつは、その感情をどのように扱うべきなのだろうか。今後のストーリーに反響していくであろう場面が、第37話にある。妻を空襲で亡くし、東京から十勝の森に移り住んだ阿川弥市郎と出会うシーンだ。
木彫りのクマなどを作ってひっそりと暮らす弥市郎に、なつは「おじさんは戦争を恨んでますか?」と問う。それに「もちろん今も恨んでる。思い出すたび、怒りがこみ上げてくる。助けてやれんかった自分への怒りもな」と答える弥市郎。さらになつは問う、「どうしたらいいんですか? そういう、怒りや悲しみは、どうしたら消えるんですか?」。弥市郎は答える。
<自分の魂と向き合うしかない。消さずにそれを込めるんだ。そういう怒りや悲しみから、新たな絶望を生まないために、俺はこうやって、この木の中に閉じ込めてる。それを自分の魂に変えるのさ。倉田先生だってきっとそうだ。平和を祈って、魂込めてああいう芝居を作ったんだ。(第37話)>
柄本佑演じる農業高校の演劇部顧問・倉田先生は自ら脚本を手掛けた演劇の稽古中、部員たちに向けてこう語る。
<登場人物の気持ちや魂なんてものはどこにもないんだ。これはただの台本だ。俺の魂は入っているが、役の気持ちや魂なんてものは存在しない。それは、これを読んだお前ら1人1人の中にしか存在しないんだ。(中略)つまり、これを演じるためには、自分の気持ちや、自分の魂を使って演じるしかないんだ。(第22話)>
アニメの語源がラテン語で魂を意味する「アニマ」であることはよく知られているが、今後のなつにとって、アニメーションが「絵に命を吹き込む」方法であるのと同時に、「自分の魂と向き合う」方法にもなるのだろう。なつの創作への案内人であり、哲学的なセリフを時折つぶやく、『ムーミン』シリーズのスナフキンのような存在でもある天陽は、なつとの別れの間際にこう言う。
<何もないキャンバスは広すぎて、そこに向かっていると自分の無力ばかり感じる。けど、そこで生きている自分の価値は、他のどんな価値にも流されない。なっちゃんも道に迷ったときは自分のキャンバスだけに向かえばいい。そしたら、どこにいたって俺となっちゃんは、何もない、広いキャンバスの中でつながっていられる。頑張れ。頑張ってこい、なっちゃん。(第42話)>
本編ではいよいよ、創作に向かうなつが描かれる。倉田先生による演劇の背景画に、パブロ・ピカソの『ゲルニカ』を思わせる絵を描いた天陽。なつに向けた彼の言葉は「自分の魂」と孤独に向き合うであろうなつへの、そして現代を生きる多くのクリエイターたちへのエールになるはずだ。
■「ようこそ、文化の開拓者の街へ」 個性的なキャストが彩る東京編が開幕
今週から始まった東京編の主な舞台は、1956年の東京。岡田将生演じる実の兄・奥原咲太郎をはじめ、山田裕貴演じる雪次郎、工藤阿須加演じる佐々岡、比嘉愛未演じる川村屋のマダム、近藤芳正演じる川村屋の野上、山口智子演じるおでん屋の女将・亜矢美、戸田恵子演じる歌手・煙カスミ、リリー・フランキー演じる書店・角筈屋の茂木といった個性的な顔ぶれが登場する。
幸次郎となつが働く新宿の川村屋は、東京編におけるなつの拠点になりそうな場所だ。この川村屋は新宿中村屋をモデルにしていると思われるが、その中村屋には実際に芸術家やクリエイターたちが集まり、「中村屋サロン」と呼ばれる場を形成していた(新宿には中村屋サロン美術館という美術館が現存する)。劇中、なつを新宿に迎えたマダムはこう語りかける。
<この新宿もある意味、北海道と同じように開拓者が集まる所なのよ。文化の開拓者。あなたのように、新しいことに挑戦したいという若い人たちがこれからどんどん集まってくると思うわ。この川村屋もそんな新宿でありたいと思っている。ここからあなたも頑張りなさい。ようこそ、開拓者の街へ。(第44話)>
なつがどのように自らの「怒り」や「魂」と向き合い、アニメーションの世界を「開拓」していくのか。演劇やショーの世界に生きる実の兄・咲太郎が、なつにどのような影響を与えていくのか。今後の『なつぞら』も楽しみだ。