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【編集部コラム:未来のクルマとドライビング】ブレーキ踏み間違い事故を考える。私が20代で同じ経験をしたお恥ずかしい話

2019年05月21日 18:21  AUTOSPORT web

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急増している高齢者の運転事故。ブレーキの踏み間違いはどうして起こるのか。
こんにちは、オートスポーツWEB編集室のあたりにおります“あ”です。高齢者のブレーキ踏み間違い事故のニュースを毎日にように見ます。恥ずかしながら、同じことを自分はウン10年前の20代前半で経験しました!

 洗車場で、洗車を終えた自分のクルマ(AT車)をほんの1メートルくらい動かそうとした瞬間に暴走。近くに置いてあった軽トラックにぶつけてしまいました。幸い人がおらず、ぶつかるまでの距離が短かったので被害は最小限で済みましたが、クルマ2台を損傷させる大失態でした。

 なぜ、こんなことになったのか。ほんの少し動かすだけだからとずぼらをして、ドアを開けたまま運転席に腰をかけて左足(右ハンドル車)でアクセルをちょっと踏み込み、続いてブレーキに踏み変えようとした時に起きました。

 その瞬間、自分の感覚としては「ブレーキを踏み込んでいるのに加速した!」です。脳の指令としてはブレーキを踏む操作をしている。しかし意に反してクルマが加速。するとその瞬間に自分を疑うことはできませんでした。

 あっと身体が固まり、ブレーキと思っているペダルを思い切り踏み込んで止めようとすることしかできませんでした。その踏み込んだペダルがアクセルだと理解できたのはぶつかってしまった後でした。

 その1年くらいあと別の場所で、やはり同じことを先輩がやっている光景を目にしました。その時はクルマが壁を直撃した後、ぶつかったまま駆動輪がホイールスピンしていました。自分の時と同様に先輩もブレーキを踏み込んでいると思い込んでいるので、足を離せなくなっていたのだと想像されます。それをやってしまった人も当時20代男性です。

 こんな恥ずかしい話をなぜ今思い出し、書くかというと、高齢者の踏み間違い事故を高齢者の身体能力の低下からくる反応時間の遅さが問題という方向に議論がいっているように見受けられたからです。

 20代で私が経験した踏み間違い事故は、ずぼらをして片脚だけクルマに突っ込んで動かすなどという、やってはいけない操作が原因でしたが、一度踏み間違ってしまったら、それもそれが初めての経験だったとしたら、自分の操作を瞬時に疑い、一度脳が指令した操作を中止、違う動作をするのは相当に困難だと、その経験から痛感しました。

 停止状態で少しのアクセル操作からブレーキ操作という状況は駐車場などでよくあります。ここでアクセルからブレーキへの踏み換えをしたつもりで、それができていない状況が生まれてしまってから事故を回避するのは、年齢とは関係なく非常に困難だと思います。

 ここからは想像ですが、高齢者踏み間違い事故の最初の誘因はドライビングポジションにあると思います。自分の場合はとんでもない操作方法が原因でしたが、ご高齢の方は身体の衰えによって今までとっていた適切なドライビングポジションがとれず、それが要因となりペダルを踏み換えたつもりが、足を動かし切れず事故に至っていると想像されます。

 ひんぱんに右足だけ使ってブレーキ~アクセル~ブレーキと踏み換えること自体に、事故の因子が潜んでいるようにも感じます。

 自分の場合、その事故をやって以降、AT車が怖いものという印象が強く残り、AT車を乗る時は左足ブレーキで乗るようになりました。これなら右足はアクセル、左足はブレーキと脳が覚えてしまえば踏み間違うことはまずありません。それにこの方が渋滞時などでのノロノロ運転でひんぱんにブレーキを踏む状況では、踏み換え動作がなくラクです。

■新時代のドライビング、電子的な安定装置で『安心感』をどのように満たせばいいのか

 踏み間違い事故のニュースを見ていて、特定車種が多いことが話題となっていますが、地方にあふれている軽トラックでの事故は、あまりみたことはありません。軽トラックの多くはMT車です。MTだとクルマが今どのような状態にあるか体感で理解できます。発進時に操作を誤ればエンストしてくれます。無意識に自分の手足の延長線で機械が動いてくれる安心感があります。

 話題の特定車種の場合その対極です。シフト操作が機械操作というよりスイッチなので、慣れるまでインジケーターで確認しないと自分がDに入れたかRに入れたか自信が持てません。それに加えてブレーキ踏力も軽く設定されているので、自分がアクセルを踏んでいるのか、ブレーキを踏んでいるのかにも自信が持てません。モーター駆動時には音にも頼れません。心理的な緊張を乗り始めに強いられます。

やってしまった者の経験からすると、操作に自信が持てないベースの構造をそのままにして、さらに電子的な安全装置をつけた場合、安全は確保できたしても、運転している時の安心“感”は得られないのではないか思います。多くのユーザーが持つ、電気仕掛けでなく機械の安心感に戻りたいという深層心理から新型ジムニーが人気なのでないか、という仮説は乱暴過ぎでしょうか。少なくとも自分の場合には、そういう気持ちもあってジムニーに憧れております。

 これから先、クルマの電動化が不可避だとすると、なおさら操作系や操作方法の問題は、電気的な解決策だけでなく、機械的構造や人間の認知や身体の構造まで含めて検討していただきたいと思った次第です。話はそれますが、このことはクルマの運転を楽しく感じるかどうかにも大きく関係しそうです。常に緊張してクルマのご機嫌を伺いながら走らなければいけないのだとしたら、その作業は苦痛でしかありません。クルマを運転したくなくなるでしょうし、クルマ自体の魅力も失われるように思います。

 身体が喜ぶ道具として正しいクルマがどうあるべきかについては、新型ジムニー発売前の2017年4月に発売した書籍「営業バンが高速道路をぶっ飛ばせる理由2」(小社刊)に詳しく書かれておりますので、興味のある方はぜひご購読ください。新型ジムニー発売前とあえて書くのは、ブーム到来前に道具の好例としてジムニーの構造的利点を説明しているからです。著者の國政久郎氏の慧眼、恐るべし……です。話を強引に本の宣伝に導き申し訳ございません。