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次期マルケスと言われた10代のライダーをMotoGPの闇から守ったマネージャーの手腕

2019年05月15日 17:51  AUTOSPORT web

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ファビオ・クアルタラロ(ペトロナス・ヤマハSRT)
ファビオ・クアルタラロは、2013年シーズンにルーキーとしてチャンピオンシップを制したマルク・マルケス以来、MotoGPに登場した4人目の輝けるルーキーだ。しかし、2019年で20歳のクアルタラロは、マルケスともマーベリック・ビニャーレスとも、ヨハン・ザルコとも違っている。

 クアルタラロのMotoGPへの道はマルケス、ビニャーレス、ザルコとは若干異なる。クアルタラロはデビュー戦で良いスタートを切ったが、後に大きく調子を崩し、最高峰クラスには到達できなかったかもしれなかった。

 クアルタラロのストーリーは、ライダーの才能のもろさを教えてくれる。レースはコース上やガレージのなかで起きることがすべてではない。トップレーサーは普通ではないが、それでも人間である。彼らは我々一般人と同様に過ちを犯し、弱さと感情を持つ。そしてこのことは、純真さなどはるか昔に消え失せた男の世界に入ろうとしている、無邪気な子供にも幾重にも当てはまる。

 クアルタラロの父親で元フランス選手権チャンピオンのエティエンヌは、2003年に当時4歳の息子にミニバイクヤマハPW50を買い与えた。それから間もなく、クアルタラロは主に年齢制限が低いカタルーニャでレースに出るようになった。カタルーニャ選手権50ccクラスでクアルタラロがタイトルを獲得したのは9歳の時だ。

 そして10歳で70ccクラス、12歳で80ccクラス、13歳でpre-Moto3のタイトルを獲得した。そして14歳の時にはレプソルCEV(スペイン選手権)Moto3クラスで史上最年少王者となった。

 2014年にクアルタラロは、マルケスの師であるエミリオ・アルサモラが運営するモンラウからCEVに参戦してチャンピオンとなり、2015年から必然的にMoto3に昇格することになった。だがひとつだけ問題があった。彼はシーズン開始時に16歳である必要があったのだ。だが実際にはこのことは問題にならなかった。クアルタラロが非常に優れていたため、CEV王者が15歳でグランプリに出場できるようにルールが変更されたのだ。

 物事をよく把握しているパドック関係者の多くは、クアルタラロがルーキーシーズンに世界選手権でタイトルを取るだろうと賭けをした。彼のライバルにはミゲール・オリベイラ、ロマーノ・フェナティ、ブラッド・ビンダー、ダニー・ケントらがいた。

 クアルタラロはデビュー戦で好調なスタートを切った。2戦目のアメリカズGPで初の表彰台を獲得し、第4戦スペインGPと第5戦フランスGPではポールポジションを獲得した。しかし、それ以降はすべてが崩れていく。クアルタラロがデビューシーズンのスペインGP以降で獲得したポイントは、開幕4戦で獲得したポイントよりも少なかった。

 一度に多くのことがクアルタラロを打ちのめした。世界最高のライダーと戦うプレッシャー、毎週のレース、転倒に疑念。そしてさらなる転倒と怪我に見舞われた。

「CEVタイトルを14歳で獲得すると、人々は新たなマルク・マルケスだなどと言ってくるが、そうしたことは通常助けにはならない」とクアルタラロが所属するペトロナス・ヤマハSRTのチームマネージャーを務めるウィルコ・ズィーレンベルグは語る。

「レースのことだけではない。ファビオは成長して思春期を迎え、チームを頻繁に変え、マネージメントとの問題を抱えていた。だから彼の状況について判断するのは難しかった」

「私は彼のことをCEV時代から見ていた。CEVはレベルの高いチャンピオンシップだからだ。彼は全員を打ち負かすことがほとんどだったから、多少の未熟さはあるものの、彼に才能があることははっきりしていた。ヤマハもしばらくの間、彼を注視していた」

「4年前、リン(・ジャービス、ヤマハ・レーシングのマネージングディレクター)が私にレーストラックの様子と、誰が有望に見えるかについて尋ねてきたから、私はファビオについて話した。ダニ(・ペドロサ)が引退を決め、2019年に我々の新チームには入らないことになってすぐ、ファビオは我々のリストのトップに加わった」

 クアルタラロは無残なMoto3ルーキーシーズンを10位で終え、エストレージャ・ガリシアの支援を受けているモンラウから放出された。2016年に彼はレオパード・レーシングに加入したが、チームのマシンはホンダ製ではなくKTM製だった。そのためクアルタラロの調子はさらに悪くなり、その年を13位で終えた。彼はMotoGPで急速に忘れ去られた、10代の旋風だった。

■クアルタラロのキャリアを守ったマネージャーとの出会い
 だが2016年の終わりにはターニングポイントが訪れていた。クアルタラロはマネージャーと袂を分かち、元レーサーでジャーナリストのエリック・マヘと組んだのだ。マヘはランディ・ド・プニエ、ロリス・バズ、ジュール・クルーセルのマネージメントも行なっている。

 クアルタラロはマヘと仕事を始めた時、元250ccクラス世界チャンピオンであるシト・ポンスのMoto2チームと2年契約を結ぼうとしていた。18歳で迎えた初めてのMoto2シーズンは、彼の最後のMoto3シーズンと同様に不調だった。彼はレースでトップ5に入ることなく、13位でシーズンを終えた。

 そこでマヘは、チーム・ポンスにクアルタラロを放出するよう交渉し、クアルタラロには2015年序盤から1度も優勝していないイタリアのスピードアップに加入することを提案した。

 マヘの計画はシンプルだった。「ファビオは才能に満ち溢れていた」とマヘは語る。

「だがそれ以外では彼の環境はろくなものではなく、チームも彼と良い関係になかった。私は彼にスピードアップへ行くように納得させた。このチームはライダーと家族のように仕事をするからだ。それに、技術クルーはランディと仕事をしていたから、私は彼らの仕事ぶりを知っていた」

 MotoGPのパドックは誰にとっても生き抜く上で厳しい場所だが、特に人々が利用したがるような溢れる才能を持つ10代の少年にとってはなおさらだ。一部の人々はライダーのためというよりも、自分たちのために彼の才能を利用したがる。

「この世界には多くのヘビやタカリ屋がいる」とマヘは続ける。

「スピードアップを別として、2018年に向けてファビオに関心を持ったチームは4つあった。そうしたチームのひとつのオフィスに入った時、最初に聞かれた質問はこうだ。『エリック、我々がファビオと契約できるチャンスを高めるには、いくら払えばいい?』彼らは金が詰まった封筒を私に渡そうとしたのだ! 狂っている! 酷いものだ!」

「この段階で、私はファビオのおじのようなものだった。彼の信用を得るためにも思いやる気持ちが重要だ。もし自分の金を管理している人間を信用できなかったら、その人物のことは忘れるべきだ」

 スピードアップに加入したことで、クアルタラロはついに若手育成のノウハウを持つチームを見つけたことになった。2018年の第7戦カタルーニャGPでポールポジションを獲得して優勝を飾り、続いて第8戦オランダGPでは2018年のチャンピオンとなるフランセスコ・バグナイアに迫り2位につけた。

 2015年の序盤以来、初めてクアルタラロはメディアに大々的に取り上げられるようになった。そしてマヘはすでにいくつかのチームと話をし、MotoGP昇格への交渉を行なっていた。

 モータースポーツで成功するには、才能、知性、勇気、決意のすべてが不可欠だ。そして幸運も必要だ。クアルタラロの評判が上がっていくのと時を同じくして、ヤマハはMotoGPで新たなサテライトチーム設立を発表し、2019年に向けて少なくともひとりの若手ライダーを探していた。そして、クアルタラロは2017年のMoto2チャンピオンであるフランコ・モルビデリとともにチームに加入することになった。

 ズィーレンベルグが早いうちからクアルタラロに関心を示していたことの正しさがすでに第4戦スペインGPで証明されている。なぜなら、クアルタラロは史上最年少ポールポジション獲得記録を塗り替えたのだ。レースでは表彰台に届くかと見られていたが、ギヤシフターのトラブルによりリタイアを余儀なくされた。

 トラブルによりリタイアしたクアルタラロについて「若者が泣いているのを見ると、私も泣くのを我慢するのが難しい」とマヘは語る。

「ファビオがピットに戻ってきた時、彼は完全に打ちのめされていた。誰もが彼を慰めようとした。私はこう言った。『ファビオ、君はよくやった! よくやったんだ! これは君のせいではない。不運だったが、まだ多くのレースが控えているんだ』と」

「15分ほど彼は打ちのめされた様子だったが、そのまた15分後には落ち着きを取り戻し、気を取り直していた」

 クアルタラロは、必然的に特別なプレッシャーを伴うことになる母国レースの第5戦フランスGPで、おそらくキャリアにおける最大の挑戦に直面することになる。彼は2015年のMoto3において、ル・マンでポールポジションを獲得した時が、グランプリキャリアの終わりの始まりとなりかけたことを覚えておく必要があるだろう。