スズキで開発ライダーを務め、日本最大の二輪レースイベント、鈴鹿8時間耐久ロードレースにも参戦する青木宣篤が、世界最高峰のロードレースであるMotoGPをわかりやすくお届け。第20回は、第4戦スペインGPで驚きの速さを見せたファビオ・クアルタラロについて。
青木は、クアルタラロがスペインGP以降もマルケスに迫る速さを見せる可能性があると語るが、彼には“弱点”があるという。その弱点とは何か。
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第3戦アメリカズGPで転倒リタイアを喫したマルク・マルケス(レプソル・ホンダ・チーム)。「もう余裕ブッこいたりしません!」と心を入れ替えるや、続く第4戦スペインGPでは誰も手が届かないブッチギリ優勝を果たした。
そんなマルケスに唯一手が届きそうだったのは、ファビオ・クアルタラロ(ペトロナス・ヤマハSRT)だ。残念ながら今回はシフターのトラブルでリタイアとなってしまったが、今後も恐らくどこかのレースで一瞬は、一瞬なら、マルケスに手が届く……かもしれない。
相当な含みを持たせているのは、クアルタラロにはまだ弱点があるからだ。彼の弱点、それはズバリ、まだ転んでいないことだ。奇しくもペトロナス・ヤマハSRTのチームマネージャー、ウィルコ・ズィーレンベルグがこんなことを言っていた。「ファビオが転んでからが、我々チームの仕事だ」
クアルタラロはまだMotoGPで痛い目に遭っていない。怖い物知らずでバンバンと攻めている状態だ。心に傷を負っていないからこそイケているわけだ。つまりズィーレンベルグはその状態に目を曇らせることなく、すでに先を見越しながら「必ず転ぶから。その後にどう彼をサポートするかが大事だね」と言っている。さすがは元グランプリライダーだけのことはある。
スペインGP終了直後の公式テストでも、クアルタラロは本チャンの予選より速いトップタイムをマークした。リタイアの原因がマシントラブルだったからこその、イケイケっぷりである。変な言い方になるが、彼にとっては2位を走り続け10周リタイアでスペインGPを終えたことがプラスになっている。自分自身の期待値が高いままで済んでいるからだ。だからまだ、勢い任せの走りを続けられている。
■“転倒”がもたらすメンタルへの影響
しかしですね……。素晴らしき才能を持った若きMotoGPライダーを相手に人生の先輩ヅラするつもりなどさらさらないが、バイクでレースをしている限り、必ずや転倒というかたちで痛い目に遭う時がやってくるのだ。そして、必ず怖くなる。今までの走りができなくなる。ステップバックする。マルケス以外は(笑)。
その時に大事になるのが、ズィーレンベルグの言う通り、チームのバックアップなのだ。具体的にはライダーと会話する機会が多いチーフエンジニアだったり、最近流行しているトレーナーの役目になるのだが、ライダーに自信を取り戻させることチームにとって非常に重要な仕事になる。「頑張れ!」「おまえならイケる!」とハッパをかける……だけじゃない。自信を失ったライダーが安心して走れるマシンを提供することが最優先だ。
転倒すると、多かれ少なかれライダーは自信を失う。自分を、マシンを疑う。そして、今までのように勢い任せで攻められなくなる。だからマシンのセットアップを変える。方向性は転倒の原因やライダーの好みによってさまざまだが、簡単に言えば「転倒した要素を抑えて、より安心感が得られるマシン作り」ということになる。例えば、コーナー脱出時にスロットルを開けすぎてハイサイドでフッ飛んだ場合は、少し限界を低めて、滑り出しが分かりやすいセッティングにする、といった具合だ。
安心方向のセッティングは、ややもするとタイムが落ちる方向でもある。先の例で言えば、多少は滑りやすくなってしまうからだ。だから外から見るといかにもステップバックという感じになるのだが、自信を取り戻すために必要なプロセスだ。もちろんレーシングライダーは勝つために走っているから、極端にタイムが落ちないように心がけはする。安心感が得られつつ、タイムがなるべく落ちないセッティングという、微妙なサジ加減が求められるのだ。
せっかくハイサイドを例に挙げたので、ちょっと余談を……。ワタシが現役でグランプリを走っていた2ストローク500ccマシンの時代は、何かあると即刻ハイサイドという感じだった。ワタシもずいぶん痛い目に遭ったクチだ。それに比べると今のMotoGPマシンはハイサイドが減った。
これをもって「電子制御が進化したからだろう」と見る人も多い。確かにオリジナルECUを使っていた2015年までは高度なトラクションコントロールのおかげでハイサイドが減っていたが、共通ECUで大きく後退したイマドキは、ほとんどトラコンを利かせていない。
にも関わらずハイサイドが減ったのはなぜか。ライダーの「右手テクニック」が向上していることもあるが、タイヤの進化が非常に大きい。タイヤには1次限界、2次限界というものがあってですね……。
ワタシ的用語なのでよく分かんないと思いますが、1次限界とはスライドし始めるポイント、2次限界とは転んでしまうポイントだとお考えください。つまり2次限界は、いわゆる物理的限界のことですね。この1次限界と2次限界の間の幅が広いほど、ライダーは「コントロール性がいいタイヤ」と感じるのだ。
1次限界と2次限界との間が狭いタイヤは、「なかなか滑らないけど、滑った時にはもはや収拾がつかない」となる。1次限界と2次限界の間が広ければ、「滑ったとしても、転ぶ手前でどうにかできる」となる。コントロールの余地がある、というわけだ。
ただし、1次限界を低くすることで2次限界との間を広げてしまうと、単に滑りやすくて前に進まずタイムが出ないタイヤになってしまう。つまりは、1次限界を高めつつも2次限界との幅をできるだけ広く取る、という微妙なサジ加減が求められるのだ。何かっていうと微妙なサジ加減が要求されるのが、今のMotoGPなのです。
話をクアルタラロに戻すと、今の彼の走りは凄いのひとことだ。とてもじゃないが、おいそれと転ぶようには見えない。でもワタシには、ヒシヒシとその時が近付いているのが分かる。転ぶ時は一瞬だ。サーキットではあり得ないけど、思わず「バナナの皮でも落ちてたのか!?」と疑いたくなるほど、何がなんだか分からないままに転んでしまうこともある。もちろん、「やばい早く開けすぎた!」という明確な自分のミスの場合もある。いずれにしても、一瞬でその時はやってくる。
その時に、チームがどうサポートするか。そして本人がどう気持ちを立て直すか。誰もが避けては通れないこのプロセスを経た時に、クアルタラロは間違いなくもうワンランク上のライダーになれるはずだ。
ちなみに、チームのサポートも特に必要とせず、自分であっけらかんと転倒から立ち直ってしまうライダーもいる。よほどメンタルが強いのか、どこかの何かが抜けているのか分からないが、そのライダーはここ3年にわたって王座に座り続けている。そういう規格外の男を相手にしなければならないのだから、今のMotoGPライダーたちは本当に大変だ……。
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■青木宣篤
1971年生まれ。群馬県出身。全日本ロードレース選手権を経て、1993~2004年までロードレース世界選手権に参戦し活躍。現在は豊富な経験を生かしてスズキ・MotoGPマシンの開発ライダーを務めながら、日本最大の二輪レースイベント・鈴鹿8時間耐久で上位につけるなど、レーサーとしても「現役」。