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【アイルトン・セナの思い出】PART11:マシンが横転する大クラッシュ後も危険を承知でF1に参戦

2019年05月08日 18:01  AUTOSPORT web

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1991年 F1メキシコGPでマシンが横転するクラッシュを喫したアイルトン・セナ
5月1日で、レース界の伝説アイルトン・セナが死去してから25年になる。1994年のサンマリノGPの週末は酷いものだった。ローランド・ラッツェンバーガーが予選中に事故で死亡し、翌日には決勝レース中に、セナが単独クラッシュで命を失ったのだ。

 元マクラーレンの会長兼CEOのロン・デニスは、1988年から1993年にかけてマクラーレンに在籍し、3度の世界タイトルをチームにもたらしたセナについて、多くの思い出を持っている。

 これは本シリーズにおける、セナについてのデニスの11回目の談話だ。

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 セナはレース事故で命を失うことを恐れていたことがあったのだろうか。それとも自身のスキルがあれば無敵だと思っていたのだろうか?

「彼はレースの危険性についてはよく分かっていた」とデニスは語った。

「アイルトンが1991年メキシコGPのフリー走行でコースを外れ、マシンがグラベル上でひっくり返ってしまったことを覚えている。ある意味では印象的な出来事だし、別の意味では彼についての洞察を得ることができた」

「彼はうめき声を上げ、サーキットのメディカルセンターに到着しても不満を漏らしていた。彼は無傷だったが、少し気分が悪く片方の耳の痛みについて文句を言っていたのだ。シド・ワトキンス教授(FIAの医師)と私が事故の現場へ向かった。まず、グラベルでマシンがひっくり返っているのを見ると、最悪の事態を恐れるものだ。なぜならマシンが柔らかい面で裏返しになると、ロールバーが埋まってしまい、重量がドライバーにかかってしまうからね」

「メディカルセンターでの彼はとても気分が悪そうだった。だがシドはドライバーのある種の行動には寛容的ではなく、特に同情心も持っていなかった。シドが施した処置は、ヘルメットに入り込んで耳の中に詰まっていたグラベルの砂利を取り出すことだった」

「それは彼が恐怖を経験し、自分が無敵ではないと知った瞬間のひとつだったと思う。彼は自分は守られており、何事も起きないと思ってモーターレースのキャリアを過ごしていただろうか?まったくそんなことはない。彼は自分の限界を分かっていた。彼は危険を知っていたし、危険を受け入れていた。そして危険な場面に自分を置く時には、常に非常によくバランスを取っていた」