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『わた定』は多様化する幸せの形を探る “ハッピーエンド”とは異なる方法で描く、人々の変化

2019年05月08日 12:31  リアルサウンド

リアルサウンド

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 「家に帰ったってやることないし。アパートで1人でいるよりはマシってだけ。そのほうが気が紛れる。なんにもない人生のこと考えると滅入っちゃうから」


 近年稀に見る大型連休となったGW明けに放送された、『わたし、定時で帰ります。』(TBS系)第4話。効率よく仕事を進めて定時で帰る主人公・東山結衣(吉高由里子)に対して、フロントエンジニアの吾妻(柄本時生)が「会社に住み着いている」と言われるほど、ひどいサービス残業をしていることが発覚する。


参考:泉澤祐希×柄本時生『わたし、定時で帰ります。』対談 「僕は、定時には帰りたくない!」


 決して仕事ができないわけではないのに、集中して作業を進めることをせず、わざわざ退勤処理までして会社に泊まり込む。誰に強制されたわけでもなく、自ら会社に居続ける非効率的な生活に、結衣は首をかしげる。


 だが、先述した吾妻の言い分を聞いて、ドキッとする人もいるのではないだろうか。人よりも秀でている才能もない。絶対に叶えたいという夢もない。めざすべき目標もない。そんな“何もない“自分を直視するよりも、“仕事がある“と思えたほうがいくらかマシだ、と。


 働き方改革では、残業時間や休日日数が厳しく管理される。だが、一律にオフの時間が増えたとして、「何をしていいのかわからない」という人も少なくない。10連休を目の前に喜ぶ人もいれば、「そんなにいらない」と困惑した人がいたように。


 よく耳をすましてみると、ドラマの登場人物たちもまた、どこかで戸惑っている。「プライベートより仕事を優先すべし」と教わってきた世代なら特に。どんなに体調が悪くても出社する皆勤賞女・三谷(シシド・カフカ)も「ないんですよ。やることが。定時に帰っても……」と、中華料理屋でボヤいていたし、仕事ができるがゆえに、ワーカーホリックとなり結衣との婚約が破棄になった種田(向井理)も「仕事だけしかないのかも」とつぶやいていた。


 「やりたいことって、別に大きな夢とか目標じゃなくても、自分が楽しめることだったらなんだっていいんじゃないかな。人生の使い方なんて、人それぞれだと思うんだよね」と言う結衣自身もまた、定時で上がってビールを飲み、恋人の巧(中丸雄一)とおいしいものを食べながら、時折「これが私の幸せだ」と言い聞かせているように見える場面がある。


 様々な価値観が認められる一方で、幸せの形も多彩になった。それゆえに、迷ってしまうのだろう。何が自分の幸せなのか、と。「夢を描け」「目標を立てろ」「向上心を持て」そんな大きな言葉を投げかけられても、“それがない自分“ばかりが目につく。自分だけが前向きに生きられていないのでは、とプレッシャーにさえ感じてしまう。


 きっとそれは、豊かな時代に生きている証なのかもしれない。多くの人が同じようなことに困っていた不便な時代は、それを解決しようと取り組むことそのものが仕事になった。そして、先人たちが作った便利なシステムを運用するという時代を経て、私たちは今「便利でもどこか満たされない」という新しい課題にぶつかりつつある。だが、今回の解決方法は、何かひとつのシステムを作って、みんなが利用するというタイプのものではない。


 自分の人生をどう使えば幸せだと感じるのか、それぞれが見つめてカスタマイズしていく時代。何が自分を満たすものなのか。それを模索しながら生きていくのが、人生の難しさでもあり、幸せでもある。誰かと美味しいものを食べることかもしれないし、好きなことにお金を使うことかもしれないし、むしろ仕事に没頭することそのものかもしれない……夢も才能も目標も、きっと自分の「好き」に気づくところから生まれるのだ。


 「何もない」と言っていた吾妻にも、おいしいコーヒーを飲んだ瞬間、確かな幸せがあった。それは、好意を寄せた桜宮(清水くるみ)と一緒だったから、より幸せだった。桜宮と一緒の時間を過ごそうと、仕事の効率化を始めたときにも、充実した気分が味わえた。他人から見たら「そんな些細なこと」の中にこそ、私たちの幸せは転がっているということ。


 『わたし、定時で帰ります。』では、劇的なハッピーエンドとはならない。なんでも1人で抱え込もうとしていた三谷は結衣に素直な気持ちを話せるようになったものの、どこかでまだ自己否定型な受け答えをしてしまうし、育児休暇明けで空回りしていたワーキングママ・賤ヶ岳(内田有紀)は肩の力を抜いて働けるようになったものの、育児と仕事の両立の難しさが完全に解消されたわけではない。


 吾妻も、いきなり効率的な人間にはならないし、大きな夢も抱かない。桜宮との距離が近づいたかと思えば、仕事でミスをしてしまって、また効率的な生活からは遠のいてしまう。でも、周りとのコミュニケーションが増え、前よりも笑っている印象だ。仕事終わりに、立ち寄りたいと思えるコーヒーのお店も見つけた。そんな無意識レベルでの変化が描かれるのが、このドラマのリアル。人は急に大きく変わることはできないけれど、こんなふうに小さな変化の積み重ねで社会の“普通“が変化していくのだ。


(文=佐藤結衣)