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『きのう何食べた?』が描く、人と人との繋がり “食事シーン”が重要な役割を果たす理由

2019年05月03日 12:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 西島秀俊と内野聖陽のW主演作品にして、2人が恋人同士という豪華すぎる設定で話題を集めている『きのう何食べた?』(テレビ東京系)。


 テレ東深夜の食ドラマ枠ではあるものの、この男性カップルの日常を描く際に「食事シーン」が重要となる理由は2つ考えられるだろう。


 まず、同性愛者という性的マイノリティを取り上げるにあたり、「食事」という最も人間らしい生理現象にまつわるシーンを軸にもってくることで、「人が誰かを思う気持ちに、性別も性的指向も関係ない」というメッセージが込められているように思うのだ。食卓で交わされる何気ない、無防備で非常にプライベートな会話こそ、気を許している相手にだけ見せる「親しみのこもった触れ合い」。ダイレクトにラブシーンを打ち出すことが吉と出るとも限らない今回のようなケースにこそ有効だと思われる。


 シロさんこと筧史朗(西島秀俊)が、実家や両親の話をポツリポツリとこぼすのも決まって食卓でのシーンである。また、喧嘩の後の仲直りも夕食の場であることが多い。


 2つ目が、「好きな人を想って、その人の喜ぶ顔が見たくて料理する」という行為はそれこそ誰にでも思い当たる節がある愛情表現だと思う。仮に料理をしない人であっても、外食先で美味しいものを食べた際に「この美味しさを大切な人とも共有したい、食べさせてあげたい」と思った経験はあるだろう。どんな人にも身に覚えのある感情の動きを作品のベースに置くことで、様々な恋愛的指向を持った人の心に響く内容に見事に仕上げられている。


 一見無愛想にも見えるシロさんが矢吹賢二(=通称ケンジ/内野聖陽)に「ほら、食え」と言って栄養バランスのとれた食事を差し出すコミュニケーションにも、大切な相手を慈しむ思いやりが滲み出ている。自分が作った料理を美味しそうに平らげてくれると愛おしさが込み上げてきて、より料理の腕を振るいたくなるものだ。劇中における「グツグツ」「シューッ」などの調理音が自然な生活の営みや幸せな食卓を演出している。


 第4話では、彼らの馴れ初めが明かされた。2人が一緒に住み始めることになったのは、3年前のクリスマス。ダイニングテーブルに向き合って座る構図は今と変わらない絵面ながら、そこには初々しさ、どことなくぎこちなさや照れくささが映し出され、絶妙な距離感が醸し出されていた。それが今やすっかり2人の食卓での席は定位置で、2人がいて初めてあの食卓の風景が成り立っている。食卓シーンのみでも、時間の流れやそこで紡がれてきた2人の関係性・信頼関係を投影できるのだから、さすがの主演2人のキャスティングである。


 食事やその時に食べたメニューは「思い出」にもなる。初めて2人で過ごすクリスマス、シロさんがケンジをもてなすために作ったのはラザニアと明太子のディップ。3年後のクリスマスもまたケンジは同じメニューをリクエストし、「いつも同じじゃないか」とからかうシロさんに対して「このメニューはやっぱり特別だよ」と呟く。同じ日に同じものを囲んで同じように食す。特別な日こそ毎年同じように同じ相手と、同じ気持ちで過ごせることこそが贅沢だと、その幸せを噛み締めているかのようなケンジの表情がいじらしい。第2話でケンジは「人生の喜びっていうのは綻びから生まれたりする」と言ったが、ひょんなことから一緒に暮らし始めた彼らの今とリンクしているかのような発言だ。


 倹約家で、料理の手際も良く段取りもバッチリなシロさん。それに対してケンジは今のところ食べる専門。2人の関係性も、シロさんがリードしているように見せかけて、実はケンジの素直なリアクションや計算のなさにシロさんが救われているように思える。「食」を媒介にして2人が愛情を交換し合う様はあまりに自然で微笑ましい。シロさんの母親が、入院した自分の旦那を想って言う「毎日一緒に暮らしている人って特別なのね」という実感のこもった言葉がここにきて染みてくる。


 「お袋の味」という言葉もあるくらい、食には自分を育んでくれたルーツ、立ち返ることのできる場所・空間・原体験が“味覚”“嗅覚”“視覚”に記憶され、それを大切な人と共有し合えるという力がある。それがどれほど幸せなことか。これまではシロさんの家庭事情がフォーカスされてきたが、次回ケンジが抱える家族の話題にも触れられそうだ。


 「結婚」が必ずしも最上級の愛情表現とは限らないし、「結婚」という契約に胡坐をかいて日々の生活の中で愛する努力を怠っているカップルも少なくない。そんな中で、この作品はそんな制度などを凌駕する、もっと本質的で、人間的な大切なもの、繋がりを教えてくれる。(文=楳田佳香)