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好きな人の好きな人になれないすべての人へ 『愛がなんだ』に見る今泉映画における好きという感情

2019年05月02日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 映画が始まると同時に、電話で話す女の声が聞こえてくる。私たち観客は、その声を聞いただけで女が恋をしているのだとわかる。マモちゃん(成田凌)と呼ぶ男に片思いするテルコ(岸井ゆきの)は、他のことなどお構いなしに彼中心の生活を送っているが、当のマモちゃんは年上のスミレさん(江口のりこ)に想いを寄せている。明らかに、疑いようもなく、圧倒的に、テルコは片思いに陥っている。しかし、テルコはセンチメンタルに落ち込むどころか、どこか嬉々とさえして見える。本作を監督した今泉力哉の過去作品『くちばっか』が収録されているオムニバス映画『ヴァージン』(2012年)では、詩人ジョン・トライデンの次の一節が引用されるーー「恋の苦しみは、あらゆるほかの悦びより、ずっと愉しい」。テルコにとっては、それがたとえ苦しみであったとしても、マモちゃん以外で感じるどんな感情より、よっぽど価値があり、そして幸福なものなのだ。


参考:岸井ゆきの×成田凌が語る、『愛がなんだ』の綿密な演技 「リアルさにもちゃんとした意思がある」


 7人の片思いの矢印が幾重にも交差する今泉監督の群像劇『知らない、ふたり』(2016年)にもまた、ストーカー気質の女が登場していた。今泉映画の常連俳優である青柳文子が演じた小風秋子は、片思いをしている相手を平然と尾行し、好きだから尾けるのだ、と悪びれることなく言ってのける。まるで恋愛が、すべての不道徳行為の免罪符だとでも言うかのように。好きだから追う。追い続ける。決して、追われる人が追う人の方を向くことがなくても。ここに登場する彼らは、ひたすら恋する人のことを追う。一方、本作でテルコが“ストーカー同盟”を組むのは、葉子(深川麻衣)に献身的に片思いするナカハラ(若葉竜也)だ。ナカハラは、葉子が自分にまったく振り向く気配がないことに気づいていながらも、都合のいい関係を続けることに甘んじている。そんなナカハラとテルコは、鏡像関係にもあり、この2人の友情関係は、映画に大事なエッセンスを与えている。


 本作で一方的に思われる女を演じた深川麻衣は、今泉監督の前作『パンとバスと2度目のハツコイ』(2017年)で、ヒロインの市井ふみを演じた。ずっと好きでいられるか自信がないと言って、結婚を申し込んできた恋人とも別れてしまう彼女は、テルコとは対極にいるとも言えるヒロインだった。しかし、市井ふみもまた、恋愛で簡単に幸せになれるタイプでないところは、テルコと酷似している。そんな風に、今泉映画の中に生きる彼女らは、それぞれに愛や恋とは何なのかを真摯に思い悩み、好きという感情についてもとことん突き詰めようとして見せる。


 だからこそ今泉映画は、映画同士が境界線を越えて、互いに対話の構造を持つ。マモちゃんが「ちゃんとしよう」と言う。市井ふみが「それは正しいけど、正しいだけだよ」と言う。ナカハラが「幸せになりたいっすね」と言う。小風秋子が「みんなは幸せになれない」と言う。そこでは愛や恋についての迷夢が、直線的に解決されることはない。それは、ただ万華鏡のようにくるくる無限に回りながら、その時に見えたすべてがそれで美しく正しい、と言うかのごとく、円環を描いていく。そして、これからもその対話は続いていくだろう。時には共鳴し合い、時には反発しながら。


 終盤、ついにテルコはマモちゃんから辛い宣告を受けることとなる。角田光代による同名原作の同シーンは居酒屋で繰り広げられ、テルコは必死に周囲の雑音にマモちゃんの声が掻き消されることを願うのだが、一方、映画はテルコにその余地を許さない。居酒屋は、二人きりの部屋に取って変えられている。もはや何にも遮られることのないマモちゃんの声を、テルコは一身に受け止めるしかない。テルコが映画の冒頭でマモちゃんに作ったのは味噌煮込みうどんだが、そのシーンでマモちゃんに作ってもらったうどんは、もはやそれよりも味の薄い、醤油煮込みうどんだった。受け入れられることのない自らの恋心を、テルコはどうするのか。映画は、原作にはないオリジナルの解釈をラストシーンとして描く。テルコのことを矯正することも教え諭すこともせず、テルコらしさを突き抜けて証明して見せるそのシーンは、取るに足らない、ありふれている、どうしようもない私たちの恋愛を、一つずつ拾遺していこうとする優しさに満ちている。それがたとえ、どれだけ愚かであっても、惨めであっても、狂っていても。


 本作は、好きな人の好きな人になれないすべての人へと捧げられる。こんな映画がこの世界のどこかに存在することは、一縷の救いのようなものかもしれない。映画の世界では成就する恋の方が多く描かれたとしても、私たちが生きるこの世界には、報われなかった愛の方が、きっとはるかに多いのだから。(児玉美月)