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『わた定』を見て「働き方改革」について考える 向井理と中丸雄一、正反対の男性が描かれる意図

2019年04月30日 06:11  リアルサウンド

リアルサウンド

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 『わたし、定時で帰ります。』(TBS系)はまさに今の世相を反映したドラマだ。


 「働き方改革」は国が掲げる一大ミッションでもあり、よほど時代に取り残された企業以外はこの改革との向き合い方に頭を抱えていることだろう。実際に現場で起きている様々な軋轢、ケーススタディがドラマ内でも再現されている。


 吉高由里子演じる主人公の東山結衣は定時に帰ることをポリシーとする32歳、独身のWebディレクター。やるべきタスクは定時までに抜かりなく終わらせ、残業は一切しない。周囲がどんなに忙しそうにしていても、仕事の依頼が追加で振られそうになっても「定時なんで帰ります」と言って帰路につく様は見ているこちらとしても清々しいくらいだ。


 ただ、彼女は事務職でもなければ、変化が激しくなんとなくイレギュラー対応も頻繁に起こりそうなイメージがあるWeb業界に身を置いている。


 この作品がもちろん「腰掛けOL」の物語でないのは言うまでもないことだが、反対に先進的で時代の流れに敏感なある意味“意識高い系”の人間にだけ共有される話としても終わらず、誰にとっても無視できない内容として成立しているのは、結衣のスタンスにあるだろう。


 まず、権利だけを主張するモンスターと化していない点は大前提として挙げられる。第1話でも、PCの画面にその日のタスクを書いた付箋を貼り、完了したものから外していく仕事の捌きぶりは見事であった。やるべきことを効率的に片付け、かと言って一匹狼という訳でもなく新卒社員への適切な声かけなどのフォローも忘れない。


 また、元婚約者の種田晃太郎(向井理)が副部長として結衣の会社にジョインすることになった際にも、「私はただでさえ定時帰りで周囲から浮いているのに、これ以上やりづらくなるのは困るから大人しくしていたい」と、種田と自分の過去を周囲に知られないようにと釘を刺していた。他人からの見られ方もきちんと認識できており、自身の定時上がりが少数派だと重々承知している。至極真っ当な常識人で、硬派という印象さえ受ける。


 何より結衣が秀逸なのは、定時帰りを周囲に強要しないことだ。


 「自分は正しいことをしている」と自身の正義感を振りかざしたり、無理矢理それを他人に押し付けたりしない。新卒で入社した大手旅行代理店で倒れてしまった経験から、自分の仕事への向き合い方、会社との距離感をしっかりと見直し、今の働き方を自身の意思で貫いているのだ。だからこそ、人の働き方にも無闇に口を出さないし、決して批判をしたりしない。


 今、急激に推し進められている「働き方改革」に疑問を感じてしまうのは、「ノー残業デー」を定めたり、勤怠状況を徹底管理するなど、画一的な施策を一律に走らせてしまっているケースが散見されるからだ。これではかつての「モーレツ社員」「社畜」時代と、意識構造上は極端な話変わらないのではないだろうか。本来、ライフステージの変化や目指すライフスタイルによって、働き方や勤務時間はもっと自由であっていいはずで、多種多様性を認めることこそが真の「働き方改革」につながるのだと思う。


 結衣のように、人それぞれの仕事に対する取り組み方を認め、それを尊重する姿勢こそがこの時代を生き抜く企業人にまさに求められていることなのではないだろうか。


 何となく惰性で、受け身で仕事をしているその他大勢よりも、結衣は誰よりも自発的に自分の人生に向き合い、妥協せずにコミットしているとも言える。ともすれば「さぼっている」「仕事に対してやる気がないのか」とも言われかねない「定時上がり」を、その仕事ぶりで誰にも迷惑をかけず、文句も言われずに実現できている結衣。それは結衣自身の中に“人生において大切にしたい優先事項”がしっかりと見えているからだろう。


 第2話では、結衣は彼氏の諏訪巧(中丸雄一)からプロポーズを受ける。彼の両親に挨拶に行こうとしていた矢先、休日にも関わらず結衣の元に種田からトラブル対応依頼の連絡が入る。


 それは奇しくも、仕事を優先して両家顔合わせの場に現れなかった2年前の種田を彷彿させるようなシチュエーション。2年前は「待たされる」側だった結衣だが、諏訪を「待たせる」側にもなり得るこの緊急事態をどのように乗り切るのか。


 当然ながらパートナー選びや恋愛にも互いの「働き方」が影響を及ぼす。ただ、その上で重要なのは条件や肩書きとしての「収入やキャリア」というよりもむしろ「人生において何を優先したいか」という価値観の擦り合わせであることを、結衣の恋愛の変遷が教えてくれているかのようだ。


 正反対の働き方・ライフスタイルを選択している種田と諏訪。それがために、結衣に「してあげられること・してあげられないこと」はそれぞれ異なってくるであろう。その二項対立を彼ら自身はどう捉え、どう囚われ、歯がゆく感じているのか。


 今後明かされていくのであろう、一見したところ水と油のような種田と結衣がなぜ婚約に至ったのかという経緯や、また諏訪が種田に対して抱いているであろう複雑な心の内にも注目していきたいところだ。(文=楳田佳香)