2019年04月29日 08:02 弁護士ドットコム
アイドルグループ「NGT48」の山口真帆さんが被害を受けた暴行事件に端を発した一連の騒動が波紋を広げている。山口さんは4月21日、グループからの卒業することを発表したうえで、さらに4月25日、ツイッター上で「アイドルはやめる」と投稿した。こうした状況から、事件の対応をめぐり確執があったとされる運営側に対する批判が再燃している。
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アイドルにくわしい国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)客員研究員の境真良氏は「AKBグループのビジネスモデルに脆弱性がある。このままでは自壊しかねない」と指摘する。はたして、AKBグループは「マイナスイメージ」を払拭して、自壊を防ぐことはできるのだろうか。境氏に語ってもらった。
NGT48の山口真帆さんをめぐる「事件」は、結局、山口さん、さらに2人のメンバーの卒業という幕引きになることが明らかになりました。まずは卒業することになった山口真帆さん、長谷川玲奈さん、菅原りこさんが、ここから大きく飛躍することへの期待から話を始めたいと思います。3人推しのファンは、もう全力で推していただきたい。頑張ってほしいと思います。
しかしながら、運営との強い確執、たった3人による卒業ライブ開催と報じられるなど、この異例続きの結末は、NGT48やAKBグループのメンバー、有識者や一般のファンなどに、多くの動揺を与えています。おそらく、3人が去った後のAKBグループが将来に向かって受ける影響も小さくないでしょう。
影響が深刻だと私が思う理由は、単に、AKBグループの大きなイメージ毀損ということだけでなく、これがAKBグループのシステムそのものの弱さに接近している可能性を見ているからです。
そもそも芸能プロダクション産業は、一般の産業にくらべて特殊な部分があります。
芸能事務所がタレントを開発し、総合的にプロデュースしていく現在の枠組みは、メディア産業主導ですすんだ日本のエンターテイメント産業史の中で、テレビ産業の勃興期に渡辺プロダクション創業者の渡辺晋氏らの活躍を通じて形成されたものです。
1970年代には、当時の中曽根康弘通産相の働きかけと伝えられていますが、政府でも業界団体を労働派遣業としての労働省所管から、娯楽産業としての通商産業省所管へ移管するなどして、このフレームを追認しています。
ほぼ一般人という人格を、多くの(お金を払う)ファンを満足させられるアイコンへと昇華していくという、まさに人間開発とも言うべき事業形態は、他の産業ではあまり見られないものです。
1970年代には、芸能事務所の社長の家にタレントが下宿していたというような、普通の雇用関係や業務委託契約という次元では考えられないような業務形態が存在していました。今でも担当マネージャは、タレントのプライベートの深くにまで関与する例が多いようです。
芸能事務所が一人一人のタレントを開発し一点物の商品として世に問う、そんな芸能産業の仕組みに対して、AKBグループは、より明確な「システム」を導入したことが画期的でした。
それを可能にしたのは、「アイドル」という商品ジャンルそのものなのかもしれません。1970年代に確立した「アイドル」というジャンルは、やがて未完成さそのものこそ商品であることがはっきりしてきますが、1980年代には、ここから素人を素人のまま集め、一つの「枠」の中で半ば自由に活動させて、ファンたちにその相関関係のドラマ的な楽しみ方を促すという大型グループアイドルのモデルが提案されます。「おニャン子クラブ」です。
21世紀に入り、タレント開発の舞台が、マスメディアからリアルなライブへと転換する中で、これをさらに発展させ、東京、名古屋、大阪、福岡といった地域ごとに展開して、その上にグループ・オブ・グループとしてAKB48という存在を構成する。これによって、参加するタレント志望者に対しても、これを利用するコンテンツやメディアの産業に対してもシステムの価値を高める。これこそがAKB48の核心だったと筆者は理解しています。
一人一人のタレントを商品とした「イチかバチかのビジネス」から、あるシステムの上で多くのタレントを競わせることでその中からヒロインを生み出す確率論と規模論の次元へビジネスをシフトさせた手法は、実に見事ではありますが、ある種の脆弱性をもっていたように思います。
それが芸能事務所の現場のクオリティです。
芸能産業にとって、きれい事のようですが、タレント一人一人にどう接していくかはとても重要な部分です。かつての仕組みであれば、ライバルは他事業者なのですから、タレントのモチベーション維持のためにも、そのマネジメントは最重要事項でした。それゆえ、芸能事務所はタレント自身のみならず、保護者とも信頼関係を形成することに努力を払いました。
AKBグループよりはやや旧来型に近い「モーニング娘。」をプロデュースしてきたつんく♂さんの「親御さんから預かってる大事に娘さんたち。(恋愛対象など)そういう目では見れない」という言葉がツイッターから流れてきましたが、それは、こうした緊張感から生まれた言葉だと思います。
それだけに、芸能産業を担いうる人材というのも、ある意味では教師や親のような、特別な仕事への姿勢や、メンタリティが要求されていたのだと思います。そして、今回の事件で運営側の対応の拙さは識者、一般ファンを問わず広く指摘されていますが、そこに表明されているのはこうした姿勢、メンタリティの欠如なのかもしれません。
AKBグループは、ある種のフランチャイズシステムで、個々のグループのプロデュースは他の事業者との連携でおこなわれる例も少なくありません。直営グループについても、直営というのは資本関係についてのことで、実体は各地方の地場の人材に担われるはずです。それは各地域ごとのグループという設計上、当然のことだと思います。
そうしたグループの運営に携わるのが、たとえば、NMB48が大阪で実績をもつ吉本興業との連携でプロデュースされているように、きちんとした人材であれば比較的安心して見ていられるかもしれません。しかし、あまり芸能産業の基盤のない地域に、突然、AKBという看板だけでうまれたようなグループである場合、一抹の危惧を感じないではありません。
粗製濫造されたタレントを、システム内の競争を通じて選別して、結果として立派なタレントへと開発・成長させていくオープンシステムとしてのAKBグループは、しかし同時に、芸能産業の運営側の人材についても粗製濫造を許したのではないか、という疑念は正直あります。
しかも、タレント自身の自己プロデュースを許すシステムが、過度にグループ内におけるタレント間競争側に傾斜して、それが全体をプロデュースする産業としての矜持と緊張感を損なうことで、運営側の人格的成長をむしろ疎外することになってしまっていたとしたら、それはAKBグループのビジネスシステムそのものの脆弱性なのではないか、と思うのです。
筆者は、今回の「事件」に関して、3つの進化の方向性がありうると見ています。
まずは、芸能産業の基礎フレームの進化です。芸能産業については先ごろ独立問題等の契約トラブルをめぐって公正取引委員会が調査をしたことが記憶に新しいですが、もっと巨視的な視野に立つと、今現在、「働き方改革」の文脈もあり、企業と個人の関係が法制度面、行政面両方で大きな関心事となっているといえます。そうした視点から、今回の事件と契約や法制度との関係整理は今まさに進んでいる部分だと思いますので、その具体的評価は避けたいと思います。
しかし、マスメディアが選別権を持っていた時代が過ぎて「自称アイドル」がどこにでも存在できる時代、それは「自称芸能事務所」が跋扈する時代でもあります。「アイドル」の裾野が広がったことで従来の常識が通じなくなりかねない危惧を踏まえると、個々のタレントの芸能活動に対する芸能事務所の保護義務、あるいは一意専心できる環境の整備義務については、やはりどこかで明らかにすべきであると考えます。
なお、これは、特段の立法がなくても、損害賠償の過失認定基準など判例の蓄積において十分可能だとは思います。しかし、関連業界へのメッセージ効果や、そもそも芸能プロダクションの機能の特殊性を考慮に入れると、行政規制がない形であれば、特別に権限と義務を明定する法制の導入も一つの可能性としてありうるのではないかと思います。
次に、「アイドル」に対する社会通念の進化です。
すでにご存知の方も多いと思いますが、NGT48のこの事件の最中、胸が空くような報せが一つ舞い込んできています。同じ新潟の地場アイドル・NegiccoのNao☆さんのご結婚(おめでとうございます)と、ご結婚後もアイドル活動を継続するというニュースです。
すでに「アイドル」のあり方は、若い異性ファンの疑似恋愛、ガチ恋に依存したビジネスを超えて、日本社会の一つの「社会インフラ」としての機能をもつに至っていますが、Nao☆さんの慶事はそれを象徴していると思います。
もちろんプロデュース方針の問題ではあるので、すべてのアイドルに強制はできないと思いますが、プライベートを過度に隠蔽せず、恋愛活動も含めてオープンにすることで、逆接的ですが、今回の事件のようなトラブルは防げるのではないかと思います。また、アイドル側も全人格を社会に受け入れてもらえるという環境の中で、本心から自己を正せるのではないかと考えています。
最後に、AKBグループの運営方法の進化です。
今回の「事件」は、刑事事件化はしませんでしたが、AKBグループのイメージを大きく損ねたと思います。これをタレント本人の異常行動と位置づけ、タレントの行動制約を強化する方向で対応するのは、お門違いであることは言うまでもありません。再出発すべきは、NGT48ではなく、その運営体制です。同業のベテランや近い素養をもつ他業種からの人材を大幅に導入した人員入換は不可避であるように思います。
重要なことは、今回のような「事件」は、新潟に限ったことではなく、どこでも起きうるものだということです。大きなブランドは、その分だけ、常に腐敗と堕落の危険にさらされています。それどころか、AKBグループに限って言えば、すでにマスメディアの関心も大きく「坂道」に傾斜して、K-POPガールズグループの人気も高い中、そのピークはとっくに過ぎており、むしろチャレンジャーの位置にいると自覚すべきでしょう。
AKBシステムを前提とすれば、よいタレントを生み出すにはタレントの正しい方向での競争が必要で、そのためには公正な競争環境の運営が一番必要となるところです。そのためには、タレントに対する「規律」で知られるAKBグループですが、運営側にこそ、「鉄の規律」が求められるのだと思います。
改めて卒業する3人の成功を祈るとともに、残されたAKBグループにも、これからの奮起を期待したいと思います。
(弁護士ドットコムニュース)