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森山未來が明かす、大河ドラマ『いだてん』出演を後押しした2人の存在 「口説き落とされた」

2019年04月28日 12:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 NHKの大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』で本作の語り部であり、裏の主役とも言える美濃部孝蔵/古今亭志ん生。毎話、ビートたけしが演じる志ん生、森山未來演じる若き日の志ん生=孝蔵が、入れ替わり立ち替わり登場する。


 森山にとって、本作が初となる大河ドラマへの出演。現場の様子や、森山の代表作でもある『モテキ』を手がけた大根仁監督との再タッグについて話を聞いた。


【写真】『いだてん』師匠との名シーン


■「口説き落とされた」


ーー初となる大河ドラマ、現場に入られていかがですか。


森山未來(以下、森山):長いです(笑)。だからやりたくなかったんですけど、井上(剛)さんと大根さんにいきなり飲み屋に呼ばれて、口説き落とされて。現場に入ってみて、技術部、美術部、制作も含め、本当に皆すごくしっかりしていて、これは他でやろうと思ってもできない貯蔵量というか、やっぱり今まで積み上げてきたものがあるなと驚きました。今回は、時代劇ではない、現代に近いものを扱うというところからすでに冒険が始まっていて、ここまで引っ張り続けている井上さんのエネルギーがすごいなと思います。


ーーどのように口説かれたんですか?


森山:大根さんがNHKで演出をやるという時点でびっくりしたし、チーフ演出で井上さんが入る、そこで「やらないか」と誘われて、これはもう逃げらんないなと(笑)。


ーーお2人は森山さんにとってどんな存在なのでしょうか。


森山:井上さんと大根さんは、僕の映像に携わる人生の中では大きな2人です。NHKの『その街のこども』、『未来は今』などの神戸の震災にちなんだ番組を井上さんと僕の二人三脚で作っていった感覚があって。大根さんとも『モテキ』という作品で一緒に対話を重ねながら作っていった。2010年から11年くらいのあの頃に2人に出会ったことは僕にとって非常に大きいんですよね。大根さんは元々『その街のこども』を見て、この手法がヤバい! とその頃ブログに書いていたり、井上さんの手法にインスパイアされた形として『モテキ』の撮り方があったというのも何となく聞いていました。


ーー今回の大根さんの印象はいかがですか。


森山:『モテキ』の後の舞台『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』以来だったんですが、今回、大根さんはなんだか生き生きしてますよ。大河ドラマにこういう形で外から人を入れてくることって異例だったらしいですよね。それまで、NHKの中の人たちだけで物を作ってきている分、ノウハウをお互い分かっているけれども、関係値もある程度はっきり出てきてしまっていたところもきっとあったと思うんです。でもそれが大根さんの外からの目線で内部を見た時に、いっぱい発見があっただろうし、NHKの人たちにとっても改めて自分達のやり方を再認識することもあって、その相乗効果みたいなものがあるんじゃないかなって。


 大根さんがスタッフの間を縫って、良い意味でかき回してる感じがあります。この前も大根さんが監督する日ではなかったんですけど、最後までいて、夜食を作ったからってスタッフと役者みんなに一人で振る舞っていました(笑)。『モテキ』もそうですが、普段は自分で立ち上げて自分で撮ってと、一人で背負うものが多い中で作っているのだと思いますが、今は立ち位置として楽なものもあるんでしょうね。こんなに良い意味で気楽に楽しんでる大根さんは見たことがないです。


■「自分の立ちたいように立ってしまえば良い」


ーー志ん生は破天荒な人生を送ってきた方だと思うのですが、森山さんから見たイメージはいかがですか。


森山:志ん生は「落語の神様」と呼ばれている存在ですが、ラジオやレコード音源、テレビの映像の資料も皆さんが知っているであろう70代くらいの晩年のものが多くて、その前の孝蔵の頃がどうだったかというのは、あんまり知られていないんです。自分で語ってはいるんですけれど、そこは噺家なので、けっこう話が盛られていて。名前を何回変えたとか、生まれた年、母親の名前ですらその時々によってまちまちだったり(笑)。そんな状況なので、彼自身が話す内容と、かろうじて40代ぐらいの若かりし頃の志ん生を知っている人の言葉から推測するしかないんですよ。たけしさんは皆さんの知ってる晩年の志ん生をやるわけだから、ある程度やり方があるんでしょうけど、僕にとってはもう無いようなものだったので、逆にどうしようかなと思っていました。


ーーどのように役作りをしていったのでしょう?


森山:とにかく文献を読んだのと、あとは、誰に寄せた方がいいのかを考えましたね。僕は松尾スズキさん(圓喬)に弟子入りをして、そこで落語を勉強して歳をとった結果、たけしさん(志ん生)になるという流れがもう謎で(笑)。とても光栄なんですが、どう考えていいのかわからなくて、とりあえずたけしさんが撮影をしていらっしゃったスタジオに見に行きました。志ん生に寄せてるのかなと思っていたら、髪の毛は金髪だし、思った以上にたけしさんはたけしさんでやっていたので、ああ、もういいかなって。資料などはあくまで参考にしつつも、自分の立ちたいように立ってしまえば良いなと決めました。


ーーたけしさんの撮影を見学されていかがでした?


森山:本当に芸を持った人という意味での生粋の芸人さんなんだなと感じました。高座に上がるということを理解している。僕なんかは、小噺でお客さんを温めるようなことができる状況じゃないので。たけしさんは高座に上がる、そして目の前に客がいるというシチュエーションで撮ることが決まっている場合は、まずエキストラの人達の表情を撮るために小噺をやるんです。大根さんがたけしさんを撮影した回をたまたまスタジオで見ていて。延々に何でもいいので喋ってくださいと伝えてたけしさんを一切撮らず、カメラをずーっと長回しで観客に向けていて。たけしさんに対する愛情もあいまって、そういうことをさせる大根さんもすごいなと思ったし、それに応えるたけしさんが素晴らしいなと思いました。


ーー円喬を演じている松尾さんとのお芝居はいかがでしょうか?


森山:緊張しますね。素晴らしい作家さんでもあり、演出家でもあり、役者さんですから。松尾さんは、決して高圧的ではないんですが、何を考えているか分からないくて、こっちも何を出したらいいか分からなくなる、みたいな感じがちょっとあります。その近寄りがたさみたいなものは、円喬と孝蔵の関係性としてはすごく良かったです。それでも円喬を思い浮かべようとすると松尾さんがふっと頭の中に現れる(笑)。暖かさみたいなものがすっと入ってくる彼の在り方って何なんだろうなって考えてます。


■「重要なのは結局人となり」


ーーナレーションや落語もあって、ストーリーパートでは孝蔵自身の人生も演じており、一役でのたくさんの役割を果たしていますが、どう意識して取り組んでいるのでしょうか。


森山:撮影している時はナレーションのことは特に意識してないですし、もちろん喋っている噺が実際のストーリーにリンクする瞬間はあるんですけれど、そのメタ構造みたいなものを僕自身が意識しなくてもいいかなとは思っているので、あまり気にせずにやっています。ナレーションは、大根監督と『モテキ』をやった時にドラマでも映画でもかなりモノローグがあったので、それで鍛えられたかもしれません。


ーー古今亭菊之丞さんから落語の指導を受けたそうですね。


森山:菊之丞さんから言われたことは、これは落語だけに限ったことではないですが、技術というのはある一定のところまでは到達できるけれども、そこから重要なのは結局人となりでしかないということ。噺家としての腕を磨いていくのはもちろんですが、そういう技術的ではないところで、どのようにしていけば高座にも浅草の風景にも心地よく馴染めるのかを相談しています。


ーー『苦役列車』で主演をした際に、荒んだ生活を実際に自分で体験してその役作りをしたと聞きましたが、今回もご自身の状況と役柄がリンクするようなことをしましたか?


森山:最初の入り口だけは見つけたいなと、寄席には通っていました。浅草に住んでみた方がいいのかとも考えたんですが、そういうことは最近はあんまりやらなくなったのかなと思います。あくまで自分が楽しめる範囲の中でそういうことをやるのもいいなと思うんですけど、それよりもどのくらい自分のままでそこにいれるのかという気持作りをする方が大事かなと考えて今回はやっています。


(大和田茉椰)