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【アイルトン・セナの思い出】PART3:試合に勝って勝負に負けたロン・デニス。ボール一杯の激辛ホットソース。食べきったら1000ドル

2019年04月27日 19:01  AUTOSPORT web

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1988年 アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
5月1日で、レース界の伝説アイルトン・セナが死去してから25年になる。1994年のサンマリノGPの週末は酷いものだった。ローランド・ラッツェンバーガーが予選中に事故で死亡し、翌日には決勝レース中に、セナが単独クラッシュで命を失ったのだ。

 元マクラーレンの会長兼CEOのロン・デニスは、1988年から1993年にかけてマクラーレンに在籍し、3度の世界タイトルをチームにもたらしたセナについて、多くの思い出を持っている。

 これは本シリーズにおける、セナについてのデニスの3回目の談話だ。

「メキシコGPのためにメキシコにいた時、我々は座って食事を待っていた。そこにはあらゆる種類のホットソースと、そのソースに付けて食べるクラッカーが置いてあった。こうしたホットソースが、燃えるように辛いことが想像できるだろうか。試食した全員が目に涙を浮かべていたよ」とデニスは振り返った。

「アイルトンはこう言った『あなたはこのどれも食べられないだろうけれど、僕はブラジル出身で辛い物が好きだ』と。そこで私は、1000ドル(約11万2000円)くれればボール一杯のホットソースを食べてみせると言ったんだ。彼はその賭けに乗ってきたよ」

「アイルトンの名誉のために言うと、彼は賭けを取り消さなかった。私はホットソースで死ぬことはないだろうし、燃えることもないだろうとはっきり思っていた。そして、辛さを感じる前に、すぐさま食べ終えて体内に入れてしまえば、1000ドル勝てるだろうとね」

「だから私はスプーンを手にとって、できる限り早く食べた。彼は大変驚いていたよ。その後、私は最初のショックに見舞われたが、1000ドル勝ったことによってそれも心地よく緩和された。もちろん彼はお金を持ち合わせていなかった」

「私は水を飲み、30分後には完全に辛さの効果を中和させることができた。グラス何杯かのワインを飲む頃には、これまでで一番楽に稼いだ1000ドルだった、などと考えていたんだ。だが、その数時間後にトイレに行くと、化学効果は体内にあるだけでなく、体外にも出てこようとしていることに気づいたのだ!」

「私は簡易宿舎のシャワーヘッドを取り外し、しばらくの間、冷却液を塗らなければならなかった。我々の間に起きた多くのことがそうだったように、最も重要なのは、そんなことが起きたとは決して認めないことだった」