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『アベンジャーズ/エンドゲーム』は素晴らしい完結編 11年を詰め込んだ卒アルのような作品に

2019年04月27日 12:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 鑑賞前は緊張して食欲が湧かないし、観終わった後は、泣きすぎが原因の頭痛を起こした。その上、何の因果関係があるのか不明だが、お腹まで壊している。『アベンジャーズ/エンドゲーム』は身体にまで影響を及ぼすほど危険な映画だ。「○○ロス」なんて生ぬるい言葉で片付けられない。この感情は喪失ではない。今もまだ衝撃を受け止めきれぬまま、この文章を書いている。


参考:『アベンジャーズ/エンドゲーム』公開直前! 過去作を振り返りながら見どころを徹底解説


 今、アメリカでは映画とドラマの巨塔が、同時期に終わりを告げるという偶然が起きている。出演契約満了に伴い、初期メンバーの卒業が約束されている『エンドゲーム』が公開され、2011年から続いたシリーズが完結する『ゲーム・オブ・スローンズ』最終章が放送中なのだ。どちらも“スターク”が長い月日を経て最終決戦に挑むストーリーで、ファンが「誰が死ぬのか?」を議論しあっている状態。米ポップカルチャー史において、これほど“とんち”が効いた現象は後にも先にもないだろう。


 2019年のアメリカは、実のところ国内興行収入があまり良くない。『キャプテン・マーベル』『Us(原題)』『How To Train Your Dragon: The Hidden World(原題)』など話題作はあれど、Box Office Mojoによれば、1月から3月までの米国内興収は昨年より14.6%も落ちている。その理由はシンプルで、2018年12月から今年の2月まで公開のヒット作が少なかったからだ。なので、『エンドゲーム』は、Netflixや『ゲーム・オブ・スローンズ』のために、家にいる人々を劇場に戻すという重要な任務も担っている。とはいえ、アメリカのみならず、すでに世界中の初日興収や前売り販売の記録を続々と塗り替えているので、心配の必要は微塵もなさそうだ。


 『ゲーム・オブ・スローンズ』より少し早く終わりを迎えた『エンドゲーム』は、ネタバレなしで、この作品を語るのは非常に難しい内容だった。劇場の照明が落とされた瞬間から約3時間、なに1つ余すことなく物語の核心に触れているからだ。予告編から考察できた出来事や不安など、わたしたちが何か月もの間、議論していたことは、開始30分くらいで解決してしまう。だから、残りの時間はどのヒーローが勇退するのか、はたまた残るのかを、ヒヤヒヤしながら見守ることとなる。


 ネタバレなしに総括すると、『エンドゲーム』は卒業アルバムをめくるような映画だった。各ヒーローの成長、アベンジャーズの絆、マーベル・シネマティック・ユニバースの10年間、すべての思い出が、分厚くて重い1本に凝縮されている。


 しかし、卒業アルバムはあくまでも内部に向けての、創作物だ。シリーズ完結編なので仕方はないが、1本の映画として考えた時、初見の観客が距離を感じるのは否めない。前作『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』は、各クラスの良い所を、掻い摘んで見学できる文化祭のような面白みを持っていた。企画当初は、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー Part 1』『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー Part 2』となるはずだったため、『エンドゲーム』から観ることが推奨できないのは十分承知だが、『インフィニティ・ウォー』はシリーズ未見の人への歓迎ムードがより濃かったように感じる。そのため、もしかしたら本作を人生のMCU第1作目に選んだ人は、心は動かされるものの、縁もゆかりもない学校のアルバムを見せられているような、アウェイ感を感じるかもしれない。


 それでもやはり、完結編として本作は素晴らしい出来栄えだ。過去作では、『アベンジャーズ』のヒーローたちをぐるりと囲むようなカメラワークや、『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』での1列に並ぶ冒頭のバトルシーンなど、ヒーローが揃ったときの“キメ”のシーンがどれも印象深いが、『エンドゲーム』の「Avengers Assemble」は桁外れだった。今まで外からヒーローを見守っていたのに対し、今回わたしたちは確かに戦場にいる。『アイアンマン』から見守ってきたファンたちは、ヒーローの1人として参戦しているような感覚を覚えるだろう。この11年間は、あのシーンのために存在する。そう言っても過言ではない。


 1つでも強烈だが、6つ揃えば計り知れない威力を持つインフィニティ・ストーンのように、単体作品として素晴らしい出来栄えのMCUの22作も、最後の『エンドゲーム』までコンプリートしてこそ、完全体になることができる。頑固なおじさん同士の大ゲンカや、世界を巻き込んだ兄弟ゲンカ、途中から変わった緑と空軍の役者、ネタバレ問題児2名、キャストとファンが必死で抵抗した監督降板劇、そしてスタン・リーの死など、思い起こせばMCUは劇中外問わず事件だらけだった。その度に様々な感情を奮い立たたされ、ぶっちゃけ忙しい思いをした。


 でも、力あるものでも心が弱いことや、血の繋がりだけが家族じゃないこと、過去の悪い自分は自身の力で抹殺できること、敗北との戦い方、エリートから元泥棒までヒーローになれる可能性は幅広くあることなど、約10年分追い続けたからこそ得たものは、書ききれないほどある。苦杯をなめたこともあったし、失敗も繰り返したが、すべてが必然で、MCUの光と影の両方があってこその、1,400万分の1だったのだろう(ヘンテコ日本描写も意味があったと信じていいはず……)。


 驚くことに、『エンドゲーム』をすでに2度観終え、どんどんこの作品を好きになっている。正直なところ始めは「完璧」と言うには危険な気がしたのだが、熱を少し冷ました今、シーンのペース配分やムードの操り方の計算の緻密さをひしひしと感じ、ふとしたセリフが重みを持つなど、新たな発見が生まれ続けている。作品における、ルッソ兄弟の均衡の保ち方にはサノスもびっくりだ。


 この先、夏には『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』が控え、『デッドプール』の合流も待ち受けており、まだまだMCUの歴史は動く。卒業の寂しさはまだまだ埋められないけれども、後ろめたさ全開で前に進むしかない。(阿部桜子)