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恋愛のゴールって何だろうーー『愛がなんだ』岸井ゆきのが彷徨う狂気と正気の間

2019年04月27日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 恋愛のゴールって何だろう。普通は相手と両思いになること、だけど、それだけではないとしたら? 恋愛映画の鬼才、今泉力哉監督が、角田光代の小説を映画化した『愛がなんだ』は、そんなゴールが見えない愛の物語だ。


 24歳のOL、テルコ(岸井ゆきの)は、友達の結婚式の二次会で知り合ったマモル(成田凌)のことが好きになる。マモルのことばかり考えるうちに、マモルが生活の最優先事項になってしまい、仕事をしていてもうわのそら。誰かに片想いをした時、相手のことが気になって仕事が手につかないこともあるけれど、テルコは度が過ぎている。「熱が出たから来て」と呼ばれると、張り切ってマモルのマンションに直行。かいがいしく料理や部屋の掃除をするけれど、深夜に「そろそろ帰ってくれるかな」と追い出される。それでも、テルコはマモルが好き。嫌いになることができない。そんな話を聞いて呆れるのが、テルコの親友の葉子(深川麻衣)。「やめときなよ、そんな“俺様”男」と意見するが、葉子は自分に想いを寄せ続けている年下のナカハラ(若葉竜也)を、都合がいいように使っている。自分とナカハラの関係が、テルコとマモルの関係と同じだということを葉子は気付いていない。愛される者は愛されることに鈍感で、愛する者は振り向いてくれない相手にどんどんのめり込む。そんな、一方通行の関係性にハマってしまった二組の男女。


【動画】岸井ゆきのと成田凌がベッドで脚をぶつけ合う『愛がなんだ』予告編


 それぞれの関係は平行線を描き続けるが、テルコとマモルは一瞬、交わる。愛というより、気まぐれにマモルはテルコと関係を持ち、二人は恋人たちのように幸せな日々を過ごすが、突然、マモルはまた冷たくなってテルコを突き放す。マモルは何かと気を回すテルコの性格をうざったく感じていた。でも、自分が弱っている時はかまってくれるテルコを呼び出す。端から見れば「“俺様”男」だが、そういう状況を許しているテルコのせいでもあるのだ。そして、それは葉子とナカハラの関係でもいえること。そんな、4人の前に現れるのが、年上の女性、すみれ(江口のりこ)だ。タバコをすぱすぱ吸い、思ったことを遠慮せずに言うすみれのことを、どうやらマモルは好きらしい。3人で食事をした帰り道、マモルはテルコに「すみれさんを見習えば」と言う。そんな残酷なことを言われても、マモルを諦めないテルコ。ひとり夜道を歩きながら、テルコがラップですみれをディスるという意表を突いた演出が、テルコのどん底ぶりをオモシロ哀しく伝えている。そして、なぜかすみれがテルコのことを気に入ったことで奇妙な三角関係が生まれ、テルコとマモルの関係はますますややこしくなっていく。


 物語が進むに連れて浮かび上がってくるのは、誰かを好きになることのどうしようもなさだ。テルコやナカハラは言うまでもないが、マモルも例外ではない。マモルはテルコに対してはぞんざいだが、すみれに対してはやたら気を遣う。恋愛を通じて、人は主人にも奴隷にもなってしまう。そして、登場人物たちは好きになった気持ちを持て余しながら右往左往する。最初は客観的に4人の関係性を眺めていたすみれも、いつの間にか4人の関係に呑み込まれていく。最初は正反対のような存在だったテルコとすみれが、マモルを軸にして近づいていくのも面白い。ラブストーリーが両想いというゴールに向けてドラマティックに展開せず、観客は登場人物の感情が雲みたいに形を変えていくのを眺める、という恋愛観測のような視線は、今泉ワールドの真骨頂だ。


 そして、そこにリアリティを与える役者たちもそれぞれ魅力的だ。ヘタをするとイタいキャラクターになってしまうテルコを、岸井ゆきのはけなげさとユーモアを織り交ぜながら魅力的に演じていて、心ある男子はみな「僕が幸せにしてあげたい!」と願うはず。でも、テルコのマモルに対する気持ちは揺るがないので、テルコに恋した観客はみんなテルコ同様、救われないの片思いに陥ってしまうのだ。ダメだけど憎めないマモルを飄々と演じた成田凌。ツンデレぶりがハマっている深川麻衣。5人のなかで、いちばん切なさをダイレクトに表現して強い印象を残す若葉竜也。そして、腰の据わった演技で場の空気を引き締める江口のりこ。それぞれが、しっかりとアンサンブルを奏でていて、ひとつひとつのシーンから、他人の恋愛を覗き見するような生々しい空気が伝わってくる。


 なかでも印象的なのは、すみれに想いを寄せるマモルと、そのことを知っているテルコが一夜を共にするシーンだ。この時、マモルはテルコと同じく恋愛で辛い思いをしている側。ベッドのなかで二人は初めて打ち解け、それぞれが胸の内を明かす。「(テルコがマモルのことを)好きになるようなところなんてないじゃん」とマモルが言うと、「そうなんだよね。変だよね」とテルコが笑う。恋愛が題材になっているものの、この映画に漂っているのは、愛することの高揚感より愛されないことに切なさであり、都会で浮き草のように暮らしている若者たちのふわっとした孤独だ。そんな繊細なムードを、Homecomingsの主題歌「Cakes」はうまく捉えている。


 本作に地に足つけて夢を目指して頑張る若者は登場しない。みんな揺れ動きながら、デリケートな心を抱えて暮らしている。そんななかで、最後までブレないのはテルコひとり。テルコが仲間だと思っていたナカハラと訣別するシーンは、映画のなかでも最もエモーショナルで観ていて辛くなる。ナカハラという同志を失って、孤高の道をいくことになるテルコ。そんなテルコの姿を見て、ふと、こじらせ系ガールズ・ムービーの傑作『ゴーストワールド』で、親友と訣別して我が道を行くヒロイン、イーニドを思い出した。とても寂しくて厳しい道だけど、彼女たちにはそこしか選択肢がない。誰もが恐れる孤独を受け入れることで、彼女たちは別の世界へと旅立っていくのだ。


 マモルと付き合いたい、というレベルを越えて、マモルになりたい、と思うようになるテルコの情熱。「恋する私は狂ってる。でも、そう言える私は狂ってはいない」とフランスの哲学者、ロラン・バルトは語ったが、恋する者はみんな狂気と正気の間を彷徨っている。そして、ほとんどの者はやがて正気に返るが、そうじゃない者もいる。テルコの心のコンパスは、どんな時もマモルを指している。でも、そこに女の情念のようなドロドロしたものを感じさせないのが、テルコというキャラクターの不思議な魅力だ。愛することをやめられない者にとって、愛は喜びである以上に苦しみなのかもしれない。この物語は愛を安売りする世の中に「愛がなんだ!」とケンカを売りながら、同時に「愛ってなんだ?」と問いかけているのだ。


(村尾泰郎)