5月1日で、レース界の伝説アイルトン・セナが死去してから25年になる。1994年のサンマリノGPの週末は酷いものだった。ローランド・ラッツェンバーガーが予選中に事故で死亡し、翌日には決勝レース中に、セナが単独クラッシュで命を失ったのだ。
元マクラーレンの会長兼CEOのロン・デニスは、1988年から1993年にかけてマクラーレンに在籍し、3度の世界タイトルをチームにもたらしたセナについて、多くの思い出を持っている。
これは本シリーズにおける、セナについてのデニスの2回目の談話だ。
セナとデニスは彼の新契約について交渉していたが、彼らの交渉は行き詰まった。セナは50万ドル(約5600万円)の値上げを要求したが、デニスはマクラーレンのオファーをそこまで釣り上げることを拒んだ。
「50万ドルが些細な金額だと言うのは間違っている」とデニスは語った。
「だが、どちらが交渉のこの最終段階で勝つかということが争点になった。本当のところは、私は彼が『50万ドル少ない報酬でドライブしなければならなくなっても、マクラーレンのためにそうするよ』と言うことを確信していた。そして私も『50万ドル値上げしよう。なぜならマクラーレンのために走ってほしいからだ』と言っただろう。つまり、双方ともこの追加の報酬のことを本当に気にしてはいなかったが、交渉の最終段階で負けることをより気にしていたのだ」
「その段階では、彼の英語は完璧ではなかった。そこで、時機を見て私は、行き詰まりを解消するためにコインを投げて決めようと提案した。行き詰まった交渉を打破するために、コイントスで決めようという考えは、明らかにブラジルにはないものだ。だから説明をするのに少し時間を要した」
「もちろんとても真剣になった。交渉の行き詰まりを解消するためにコイントスをするというのなら、そのルールについて完全に明確に理解しているべきだと分かっていたからだ」
「私は文字通り、コインの表と裏の絵を描かなければならなかった。コインを選び、こちらの面が彼でこちらの面が私だと言い、コインは側面ではなく、表面か裏面が出なければならないと伝えた」
「ルールを決めて何度も説明した後、誰がコインを投げて、どこで受け止めるか、それとも床に落とすのか、という話になった。何度か予行演習をしたよ。とても小さなオフィスで、毛足の長い茶色のカーペットが敷いてあった。だからコインを落とすには適した面ではなかったね」
「我々はコインを投げた。そしてコインはカーテンの下に転がっていった。彼がカーテンを開けると、コインの面が出ていたが、コインはカーテンの端に引っ掛けられ、寄木細工の床の上に転がり落ちてしまった。賭けに勝ったのは私だった!」
「私は車で走り去る時になって初めて、それが3年契約だったことに気づいた。つまり実際には、我々は150万ドル(約1億6800万円)を賭けてコインを投げたのだ。150万ドルを賭けてコイントスをやったことがある人が他にいるかどうか、私は少々疑問に思うね。我々がお金を冒とくしたように聞こえるかもしれないが、そういうことではない。膠着した交渉を打破するための、単なる方法だったのだ」