スペイン在住のフリーライター、アレックス・ガルシアのモータースポーツコラム。F1第3戦中国GPではF1グランプリ1000戦目のお祝いムードだったが、F1の長い歴史をひも解くと複雑な事情が垣間見える。
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2019年4月14日、F1は1000回目のレースを迎え、世界でも他のモータースポーツがまだ達成したことのない、偉大な節目に到達した。F1のマーケティングの専門家たちは、中国GPは“1000回目のグランプリ”であることを公に知らしめ、一方で世界中の多くのメディアは“1000回目のF1レース”として報道した。
しかし実は、こうした呼び方はどれも真実ではない。実際のところ、唯一の正しい言い方は、我々が“ドライバー世界選手権としての1000回目のレース”を目にしたということだろう。実際の数字にはさらに多くの秘密が隠されているのだ!
まず、一番の問題を見てみよう。なぜ中国GPがF1の1000回目のレースではないのか?また、なぜ1000回目のグランプリでもないのか?
これを理解するためには、選手権が始まった1950年まで時間をさかのぼる必要がある。我々はF1世界選手権と言うけれども、当時はそのようなものは存在しなかった。当時のシリーズ名はドライバー世界選手権と呼ばれており、“F1”はマシンを規定するレギュレーションのひとつでしかなかった。基本的には“LMP1”や“GT3”と同じもので、マシンに向けた特定のレギュレーションを識別する名称だった。
当然ながらこのことは、世界選手権にはF1マシンが出ないレースもあり得たことを意味する。1950年から1960年には実際にそのような状況があった。インディ500がシリーズに含まれていたからだ。皮肉なことに、ほとんどのヨーロッパのドライバーはインディアナポリスに参戦しなかったし、一方のアメリカ人ドライバーは、ヨーロッパのレースには出ようとはしなかった。
そのため実際には、インディ500は最終ランキングにとってはそれほど重要ではなかった。タイトルを巡る戦いに影響を与えることがなかったからだ。それでもなお、11レースが“グランプリ”ではなかったことになる。要するに、中国GPは実際には“グランプリ”の名前を冠した989回目の世界選手権だったのだ!
だが物事は、歴史においてしばしばそうであるように、さらに複雑になる。なぜなら1952年と1953年には、世界選手権はF2のレギュレーションのもとで運営されたからだ。
当時もF1マシンは非常に複雑で高価だったため、参戦していたアルファロメオは新たなマシンを用意する資金がなかった。そしてイギリスのコンストラクターたちにとっての問題は、フェラーリだけが唯一の強力な競争相手であることだった。その時点で主催者は、短期的な解決策としてF2レギュレーションを採用することを決めた。
そういうわけで、1952年には世界選手権として数えられる7回のグランプリが開催され、1953年にはその数は8回に増えた。もちろんインディ500も追加された。合計では15回のF2レースとなる。そうして手早く計算すると、最終的な数字が出てくる。世界選手権ということならば、中国GPは実際には974回目のF1グランプリだったのだ。
言い換えれば、1950年から2019年までに、世界選手権のなかで974回のF1レースが開催されたことになる。ところで私は、非常に興味をそそられたことがある。非選手権レースを含め歴史上何回のF1レースが行われたのだろう?
そこで私は調査をすることにした。1950年から1983年までは、非選手権レースも行われたことを頭に入れておかなければならない。つまり、世界選手権と同じテクニカルレギュレーションのもとで開催されたが、ポイントが付与されないレースがあったことになる。
ドライバーとチームは、主に賞金を目当てにレースに出た。賞金は彼らのプログラムに資金を投入する助けになった。だがここで物事を分析するのが難しくなる。情報は常に明快で入手可能とは限らないからだ。
1950年から1983年まで、290回の非選手権レースが行われた。だがその多くは1952年と1953年に、実際はF2の非選手権レースとして開催された。それでも、その一部は実際にはF1レースだった。
だから当然ながらこれらのレースは数に入れることができる。これら非選手権F2レースを除けば、1950年から1983年までに240回の非選手権F1レースが開催された。(他のマシンがゲストとしてレース参加を許可されたこともあったが、本質的にはF1レースだった)だが実際は、これ以上のレースが開催されたのだ!
なぜなら、1950年に世界選手権が創設される前に、F1はすでにテクニカルレギュレーションとして存在しており、1946年から1949年の間に何度かレースが行われていたのだ。正確には、選手権が生まれる前に、合計で80回のF1レースが開催された。
つまり世界選手権のF1レースは974回あり、世界選手権のF1レースの前身として80回のレースがあり、非選手権のF1レースが240回あったわけだ。だがこれらのレース以外にも、数に入れるべき他のレースがまだあるのだ。
多くの人に知られていないことだが、1961年から1975年まで、南アフリカでF1選手権が開催されており、合計で154回のレースが行われた。そして短命に終わったものの、イギリスもブリティッシュF1選手権(フォーミュラ・オーロラと呼ばれることもある)を開催しており、44回のレースが行われた。そういうわけで、1946年にF1のコンセプトが誕生して以来、実際にはこれらのレースはすべて、世界中で開催されたF1レースということになる。
厳密にはフォーミュラ・リブレ(フォーミュラカーならすべて参戦できた)のレギュレーションで運営されたレースもあるため、100パーセント確実なことは言えない。だが参戦したのはF1マシンだけだった。こうしたレースを“F1レース”と呼ぶべきだろうか?私の考えでは、そう呼ぶべきだと思う。だがもちろんこの話題は、議論に任せることになるだろう。
また、当初はF1マシンだけとされていたが、F2マシンの参加が許可され、後で遡って“F2レース”に変更されたレースもある。明確にするには難しく、非常に複雑な話題なのだ。
私の結論としては、私が認識しているF1レースの合計は1492回だ。これには世界選手権レース、世界選手権レースの前身、非選手権レース、そして南アフリカとイギリスでのシリーズが含まれる。この数字は100パーセント確かに確認されたわけではない。
歴史の常で、新たな証拠が過去について分かっていることを変えることがある。しかしながら、この調査は興味を引かれるものであったし、とにかく今日までに世界中で約1500回のF1レースが開催されたということは、自信を持って言えるのだ。
ところで知っていただろうか?厳密に言えば“F1世界選手権”の名称は、1981年からしか使われていない。それ以前は、F1マシンで参加する単なる“ドライバー世界選手権”だったのだ。
終わりになるが、私はタスマン・シリーズ(1964年~1975年)を数に入れていない。テクニカルレギュレーションが異なるからだ。“F1メカニカ・アルゼンティーナ”と“オーストラリアンF1”も同様だ。これらは名称にF1とあるが、実際はルールが異なっていた。
そして最も興味深いケースは、1960年から1976年の間に存在した、ソビエトF1だ。驚いたことに、ソビエトは数年の間、F1のFIA国際ルールに準拠したレーシングカーを使用していた。だが彼らのマシンはソビエト連邦内でのみレースをしており、非常に遅かった。(多くの場合、世界選手権のF1マシンの半分以下のパワーしかなかったという)こうしたレースは本当にF1レースと言えるだろうか?こうして、この話題は永久に続いていくだろう……。