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人気YouTuberヒカキン、“家賃2万円”下積み時代のエピソードが明らかに スーパー勤務時代の上司からコメントも

2019年04月24日 08:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 人気YouTuberのHIKAKIN(以下、ヒカキン)が、4月23日に放送された『幸せ!ボンビーガール』に出演。下積み時代の“ボンビー”エピソードを語った。


(参考:ヒカキンが『ダウンタウンなう』で見せた、YouTuberとしての矜持 驚愕の「おもてなし」を振り返る


 同番組は、毎回のゲストをスタジオメンバーには伏せ、その“ボンビー”エピソードを紐解き、ヒントを出しながらスタジオで種明かしするのが恒例になっており、この日も「かつてはオリンピックを目指していた」「高校3年生の時、アーティスト発掘番組を見て音楽活動を始めた」「その時からいつテレビに出てもいいように動画を撮っていた」といった序盤のヒントが明かされ、番組がスタートした。


 その後、新潟の県立高校に通っていたが、芸能界になんのつてもないため、東京の会社へ就職を決意。しかし、東京の求人は2件だけで、その中から創業者もスタッフも新潟県出身者が大勢いる、御徒町駅のスーパー『吉池』を選んだことが明かされた。ここでは乾物コーナーで商品の品出しやPOP作りを行なっており、月給は手取り15万円だったことはファンも周知のエピソードだが、この日は実際に彼の上司だった小林氏へのインタビューも。小林氏いわく、ヒカキンは「とにかく真面目でPOP作りもうまくて、お客さん目線で考えていたんです。今の仕事とも結びつくところもあると思う」と、当時から人を喜ばせるアイデアを持ち、真面目でストイックな性格であったことを語った。


 さらに、番組ではヒカキンが当時住んでいたアパートも明らかに。東十条から徒歩6分にある、木造2階建アパート(会社の寮のため、家賃2万円)だが、そのぶん隙間が多く、ジュースの飲み残しに入ってきたアリが群がっていたこともあったそう。さらに、上京時の所持金が2万円だったため、ココアの粉と見切り品の食パンで作った「ココア食パン」を食べていたという。これを実際にADが食べ「粉が喉に」と咳き込むが、ヒカキンは「むせるんですけど、飲み物を飲みながらだと美味しい」と、当時を振り返っていた。


 さらに、番組は音楽活動の経歴を追っていく。動画きっかけで初めて出演したライブは、渋谷駅から2分のRUIDO.K2で、オールナイトイベントの終盤である午前4時に出演したが、本人いわく「渋谷のイケてる人の前で緊張して。お客さんの方見れなくてフードをかぶっていました」と、成功といえるものではなかったと告白。そのあともeggmanやDESEO miniでライブを重ねるも手応えがなく、ステージに立つのをやめ、“部屋で一番綺麗な音が響く場所”である東十条のアパートの風呂場で、ひたすらビートボックスに磨きをかけたというエピソードが話された。番組で彼の“ボンビー”エピソードが掘り下げられたのはここまでだが、その後の活躍は様々なメディアや動画で取り上げられる通り、というわけだ。


 ここまでのヒントを見て、先んじて正体がわかったスタジオメンバーは劇団ひとりのみ。彼は「うちの子供達が大好きだから、会えるのがめちゃくちゃ嬉しい」と、その登場に興奮していた。その後、ヒカキンがスタジオに登場すると、劇団ひとりは「うちの子がずっと見てる、『アンパンマン』『ミッキー』『ヒカキン』ってくらいだよ」と、世界的なコンテンツと肩を並べる頻度でヒカキンに熱中していることを明かした。


 また、番組の最後には、ヒカキンがこの日紹介されたボンビーガールについて「夢を持って生き生きとしていて、それが苦じゃないように見える方が多かった。これからも頑張ってほしいです」とコメントした。彼も下積み時代を経て、いまや国民的YouTuberになり、都心で「6LLDDKK」の豪邸に住むようになったため、この言葉の説得力も大きい。


 最近はテレビ出演も多く、ともすればその“景気の良さ”に焦点があたりがちなヒカキン。しかし、今回は『ボンビーガール』は、彼の下積み時代をあらためて振り返ったうえ、新たな情報も提供してくれる充実したものとなっていた。ヒカキンのように、ボンビーガールたちも夢を叶える日が来るのか。いずれにしても、たゆまぬ努力で“YouTuberドリーム”を掴み取ったヒカキンは、夢を追う若者のいいお手本になるに違いない。


(向原康太)