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世界最多連続出場36回。ダカールラリーの“鉄人”菅原義正が2019年大会をもっての引退を発表

2019年04月23日 22:51  AUTOSPORT web

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1997年ダカールでトレードマークである鯉のぼりを掲げる菅原義正
日本レーシングマネージメント(JRM)と日野自動車は4月23日、JRMの会長でありダカールラリー36回連続出場の偉業を誇ってきた菅原義正が、2019年1月に行われたダカールラリーをもって引退を決めたと発表した。また、同時に日野チーム・スガワラの代表も退くことになった。

 当時はパリ~ダカール・ラリーであった1983年から、砂漠に挑み続けて来た“ダカールの鉄人”の挑戦がついに終わりを告げるときが来た。ルーフに鯉のぼりを掲げ、排気量10リットル未満クラスのカミオンである日野レンジャーを駆り、欧州メーカーの大排気量・大型カミオンをも苦しめ続けた菅原の挑戦は、ある意味ダカールラリーの象徴でもあった。

 菅原は1941年北海道小樽市出身。国内のレースやラリーに参戦し、1983年に二輪でパリ~ダカール・ラリーに初挑戦。当時すでに41歳だった。四輪でも出場を果たした後、1992年からは日野レンジャーでトラック部門への参戦を開始した。

 その情熱は留まることを知らず、2019年にはギネス世界記録となるダカール・ラリー世界最多連続出場36回・世界最多連続完走20回という前人未到の記録を達成。もちろんただ出場するだけではなく、トラック部門総合準優勝6回、排気量10リットル未満クラス優勝7回という戦績も残してきている。

 また、息子である菅原照仁もダカール・ラリーに挑戦。今回菅原義正はJRMと日野で構成されるダカールラリー共同参戦チーム『日野チームスガワラ』の代表から退くことになったが、代表は照仁が継ぐことになる。

「私のダカールラリーへの挑戦は、2019年1月の大会をもって最後とし、後進に道を譲ることとしました。チーム代表を息子の照仁に譲り、新たなドライバーの人選も任せます」と菅原はコメントを残している。

「ダカールラリーには1983年から、日野自動車とは1992年から協力して参戦してきました。壮大なスケールでレースをしながら旅することにロマンを感じ、さまざまな人や文化に触れるたび魅力に取りつかれ、毎年、“ゴールはスタートと捉え、次のラリーへの準備をする”ことを続けてきたら36年経っていました。これまで続けてこられたのは皆様の応援があったからこそであり、本当に感謝の気持ちでいっぱいです」

 とは言え、78歳になる菅原だが、その“挑戦”は終わらないという。「ダカールラリーからは引退しますが、私のキャリアを終わらせるつもりはなく、今後も様々なチャレンジを続けていきたいと思っています。照仁が率いる新チーム、そして私の今後の活動についても、応援いただければ大変嬉しく思います」

 偉大な“鉄人”の引退については、これまで長年ともに歩みを続けてきた日野自動車の下義生社長も「多くの人に勇気を与えた菅原義正氏のダカールラリーへの挑戦に心から敬意を表します。義正さんご本人から、そして義正さんと参戦したダカールラリーを通じて、多くのことを学びました」とコメントした。

「中でも、現地で感じた『人財育成』や『チームの大切さ』は特に心に刻まれ、日野の企業文化に浸透させるべきであると改めて考えさせられました。義正さんのチャレンジスピリットを胸に、チームの新代表である菅原照仁氏と、ダカールラリーへの挑戦を続けてまいります」