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【アイルトン・セナの思い出】PART1:元CEOロン・デニス「私とゲルハルトで、セナには過激ないたずらもしたよ」

2019年04月23日 13:21  AUTOSPORT web

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1988年アメリカGP アイルトン・セナ(マクラーレン・MP4/4)
5月1日で、レース界の伝説アイルトン・セナが死去してから25年になる。1994年のサンマリノGPの週末は酷いものだった。ローランド・ラッツェンバーガーが予選中に事故で死亡し、翌日には決勝レース中に、セナが単独クラッシュで命を失ったのだ。

 元マクラーレンの会長兼CEOのロン・デニスは、1988年から1993年にかけてマクラーレンに在籍し、3度の世界タイトルをチームにもたらしたセナについて、多くの思い出を持っている。

 デニスはセナについて、次のように語った。

「我々のチームに加入した当時、彼にはユーモアのセンスがなかった」とデニスは思い起こした。

「そのせいでチームでの評判が良くなかった。我々のことを陰気で面白みがなく、情熱とチームスピリットに欠けていると考える人もいるかもしれない。だがチーム内部は決してそんなことはなかった。振り返ってみると、彼にはユーモアのセンスがなかったが、彼がユーモアのセンスを持つことは重要なことだった」

「私は笑いの価値を彼に理解させる作業に取りかかった。それはある状況での緊張をほぐすのに素晴らしいやり方だったよ。もちろんそれは(チームメイトの)ゲルハルト・ベルガーと私にとって愉快な任務になった。悪ふざけはチーム全体でよくあったことで、時には過激ないたずらも行われた」

「ある時彼は、いたずらには誰が他の人に対して一番とんでもないことができるかという、競争の要素があることに気づいた。そして彼は俄然やる気になった」

「もちろん、最後には緊張を和らげることになり、それはドライバーと上層部の間の関係における良い潤滑油になった。彼は熱心に取りかかったよ。なぜなら彼は、少々調子に乗ることができる環境にあったからね」

 セナとベルガーの間のいたずらは、実に激しいものになった。

「オーストラリアで、ゲルハルトはアイルトンのパスポートを盗んだ」

「そして我々はパスポートから写真を切って取り除き、非常に怪しげな雑誌から同じサイズの男性器の写真を切り取って、セロハンテープでパスポートに丁寧に貼り付けたんだ。一見しただけでは、何かが行われたと気づかないようにね」

「ヨーロッパに戻ったアイルトンは、すぐに飛行機に乗りブラジルへ向かった。彼はアルゼンチンを経由しなければならなかった。そこで初めて彼のパスポートが人目に触れたんだ。アルゼンチン側の人々は感心しなかったね。彼はアルゼンチンで24時間を過ごすことになった。なぜなら彼らは修正したパスポートなしに、彼がアルゼンチンを通過することを許可しなかったからだ」