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『GOD OF WAR』“全編ワンカット”の狂気 その恐るべきチャレンジに迫る

2019年04月19日 17:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 今や映画とゲームは切っても切れない関係にある。ここ十数年、両者の壁は急速にブッ壊れていると言っていい。映画の方を見れば、たとえば世界的な人気ジャンル「FPS(一人称視点のシューティング・ゲーム)」からの影響だ。近作なら全編1人称で話題になった『ハードコア』(15年)、韓国映画『悪女 AKUJO』(18年)と言った作品は、FPSの存在が念頭にあるのは間違いない。ただ、映画でFPSをやると画面が揺れまくるので、観客が画面酔いしてしまうという問題があるが、ここも何らかの形で解決されることだろう。


参考:指が折れるまで叩きたいーー『GOD HAND』が教えてくれた、殺意を込めてボタンを連打する爽快感


 そしてゲームも同様だ。技術向上が凄まじく、ストーリーは練り込まれ、それを描く演出も日進月歩。新作ゲームの紹介記事では「まるで映画のような」という言葉が定型句だ。続編がアナウンスされている『The Last of Us』(13年)は、「プレイヤーとして介入できる映画」と言ってもいいレベルに達している。往年の名作『魂斗羅』(87年)のような「どっかで見たことあるそっくりさん」ではなく、実際の俳優がそのまんまゲームに登場することも増えている。『メタルギアソリッド』を手掛けた小島秀夫氏が新作の関係で、月一ほどの頻度で海外俳優/監督と飯を食っているのは有名だ。このようにゲームは映画に近づき、映画はゲームに近づいている。そして2018年、また一つ映画とゲームの垣根をブッ壊すタイトルが登場した。既に各所で話題となっている超大作『GOD OF WAR』(18年)だ。


 本作は『ゴッド・オブ・ウォー』(05年)シリーズの最新作である。神話の世界を舞台に、戦士クレイトスを操って謎を解きながらダンジョンを進み、どう見ても人の手に余る怪物を爽快かつ残虐な技で血祭りにあげていく。これまでも高い評価を受けてきた同シリーズだが、本作はシリーズの歴史を更新する素晴らしいゲームに仕上がっている。爽快なアクションは勿論として、驚異的なのは物語と演出面だ。ゲームはクレイトスと、その息子アトレウスによる共同作業から幕を開ける。木を切り倒し、「家でも作るのかな?」と思っていたら、それはクレイトスの妻(そしてアトレウスの母)であるフェイの火葬という渋すぎる作業だった。そして二人はフェイの「一番高い山の頂上から、遺灰を撒いてほしい」という『世界の中心で、愛をさけぶ』(04年)的な遺言に従い、冒険の旅にでるのだった。


 壮絶な過去ゆえに子どもと上手く接することができないクレイトスと、幼さの残るアトレウス。二人は旅の中で時に衝突しながらも、絆を深めていく。この二人のやり取りが何とも微笑ましい。表情の一つ、動きの一つをとっても気が利いている。しかし、最も特筆すべきは本作が全編ワンカットであることだ。ゲーム開始とコンテニュー時を除いて、暗転やロード画面が一切ない。加えてお話を見るための「ムービー・シーン」から、実際にプレイヤーが手を動かす「戦闘シーン」との間も画面は途切れず、カメラはまるで『クローバーフィールド/HAKAISHA』(08年)に代表されるモキュメンタリー/ファウンド・フッテージ映画の如く、主人公クレイトスと、その息子アキレウスの背中を追いかけ続ける(開発者もドキュメンタリー的な要素を目指したと発言している)。


 ワンカットの長回しは映画では臨場感を出すための定番だが、とは言え全編ワンカット(疑似ワンカットも含む)なんて滅多にお目にかかれない。しかし本作は映画以上の長さのワンカットな上、物語にプレイヤーとして介入できるのだ。これによって本作はゲームとも映画とも異なる独特なプレイ感を生み出している。その感覚は「まるで映画のような」どころではない。本作は映画とゲームが互いを刺激し合い、その果てに生まれた全く新しい何かだ。これから先に作られるゲーム、そして映画にも確実に影響を及ぼすだろう。まさに金字塔そのものだ。


 そして最後になったが、どうしても書いておきたいことがある。私は会社員として働いているせいか、どうしてもゲームや映画を見ていると、その仕事の現場に思いを馳せてしまう。最近の映画で言えば、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(18年)だ。「これ俳優たちのスケジュールどうやって調整したんだ?」「これだけの特殊効果系の会社の管理をどうやったんだ?」と驚きつつ、「担当部門は死んでるんじゃないか?」と心配になる。本作も同様だ。基本的にスタッフ全員が大丈夫なのかと不安になるが、とりわけデバッグ(ゲームを実際にプレイして、バグがないか調べる作業)の担当者たちが心配だ。本作は全編ワンカットが全ての面において重要な部分である。「オープニングからエンディングまで、何をやっても本当にワンカットに見えるか?」という部分を重点的にチェックしたはずだ。それには全編を何度も何度もプレイする必要がある。しかも考えるだけでゾッとするような膨大なチェック箇所があったに違いない。デバッグは機械的に出来る部分もあるだろうが、人力でやるしかない場面は多い。担当者の負担はとても大きかったことだろう。しかし彼らはやり遂げた。恐らく狂った量のエナジー・ドリンクを飲みながら、本作がコンセプト通りに遊べる「ゲーム」だと確かめたのだ。


 本作は恐るべきチャレンジをしているゲームだ。私の言葉がカリフォルニアのサンタモニカ・スタジオに届くかはさておき、それでも書いておきたい。前代未聞のゲームを作り上げたチームに、そして常識破りのゲームを「ゲームである」と確かめたデバッグ担当者たちに、最大級の賛辞を贈る。(加藤よしき)