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リズムから考えるJ-POP史 第3回:90年代末の“ディーヴァ”ブームと和製R&Bの挑戦

2019年04月13日 08:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 前回は小室哲哉の仕事についてtrfを中心に論じ、小室を「90年代を通じて日本人の『BPM感覚』と『16ビートのグリッド』を規定した」プロデューサーと位置づけた。続いて取り上げるのは、1996年ごろから徐々にJ-POPにあらわれてきた和製R&Bの流行、あるいはより具体的には和製R&Bのサウンドにのせて相次いで登場した“ディーヴァ”系シンガーの流行である。


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 この流行は、90年代末にメインストリームで巻き起こった日本語ヒップホップブームとあわせて、日本のポップミュージックのリズムに大きな影響を与えた。それはサンプリングミュージックがもたらす“ループ感覚”の普及にまとめられる。ここでは同時代のアメリカで起こった“ヒップホップ・ソウル”の動向を参照しつつ、和製R&BがJ-POPのリズムにもたらしたものの内実を検証していく。


 と、本題に入る前に、J-POP史上における和製R&B及び“ディーヴァ”ブームの歴史的な経過と意義を確認しておく。このブームはある意味ではメインストリームとアンダーグラウンドの境界線を揺さぶり、CD普及以降に起こったリスナー層の平準化をいっそう推し進めた。


 たとえば、音楽ライターでありプロデューサーとしても功績が多く、R&Bに造詣の深いことで知られる松尾潔は、ジャズミュージシャンの菊地成孔との対話でこのように言葉を交わしている。


松尾 ほんと朝本(筆者注:音楽プロデューサー朝本浩文)さんが手がけたUAの「情熱」という曲は、僕のような立場の人間からすると、エポック・メーキングそのものという曲ですよ。「ビフォーUA」「アフターUA」と言いきってもいい。
(菊地成孔・大谷能生『アフロ・ディズニー2 MJ没後の世界』文藝春秋、2010年、pp.318-319)


 UAのデビューは1995年。「情熱」は翌年にリリースされた彼女の4枚目のシングルだ。力強いドラムスやカッティングギター、ベースラインがうねるバンドアンサンブルは、1998年、MISIAのデビューあたりを境に主流となる、打ち込みを中心に据えた和製R&Bとは趣が異なるものの、バックビートを強調したグルーヴやシンコペーションの多いメロディラインなど、その特徴は共通している。


■ループ感覚の台頭
 90年代末の“ディーヴァ”ブームを支えた和製R&Bのアレンジ面での挑戦とは、ループミュージック化が進んだ90年代アメリカのヒップホップ・ソウルを、いかにJ-POP的な“物語構造”と調和させるか、に集約される。近田春夫の言葉をひいてみよう。


 「同じことの繰り返しが、人を退屈させない」時、その音楽には“グルーヴがある”というのが、私の基本的な、グルーヴの考え方である。もう少しいうと「その反復性が何よりの魅力の根源となっている場合」、そこにはグルーヴが存在している。
 […]
 Jポップは、いってみれば早く「行かせよう」とすることに技術をこらしている音楽だと思う。[…]だからメリハリを重んじる。例えばサビになればなったで、景色が変わるように違う世界が飛び出してきたりするのも、メリハリが目的である。
(近田春夫「Bonus Track 『陽のあたる場所』はJポップとダンス音楽の境界線に立つ」『考えるヒット2』文春文庫、2001年、pp.150-151)


 近田春夫の「グルーヴ」観はそのまま、ヒップホップ以降のR&B、すなわちヒップホップ・ソウルと地続きである。対してJ-POPは、小室哲哉以降特に顕著になるが、楽曲内のメリハリがときに物語としての整合性を壊しかねないほど強調されることも少なくない。


 和製R&Bの多くは楽曲の構成から言えば「A‐B‐サビ(‐大サビ)」、ときにクライマックスでの転調、といった90年代以降のJ-POPを踏まえたものが多く、またメロディの輪郭もはっきりとわかりやすい。基本的にヴァース(平歌)とフック(サビ)からなり、和声的にも変化の薄いヒップホップ・ソウルと比較すると、ポップミュージックとしての定石に忠実であるように思える。


 とはいえ、典型的なJ-POPのアレンジと比べればコード進行は極力単純化され、楽曲のさまざまなポイントにループ感覚を示唆する要素も詰め込まれている。それは第一に16ビートで刻まれる一定のグルーヴィなリズムパターンと、それを強調するベースラインやメロディ楽器の使い方であり、第二には打ち込みやサンプリング特有のエディット感覚あふれるフレージングである。楽器編成上、楽曲構成上のミニマリズムと、日本における歌謡曲~J-POPに求められる定石の折衷として、和製R&Bはきわめて高い洗練を迎えていた。


■MISIA「つつみ込むように…」イントロの巧みさ


 これらの要素と、“ディーヴァ”たちの“声”を同時にプレゼンテーションしている例として、やはりMISIA「つつみ込むように…」(1998年)はブームに火をつけるだけの力を感じさせる良い例だ。とりわけイントロは特筆に値する。イントロは5分50秒のランニングタイムのうち36秒を占めるにすぎず、さらにいえば7秒あたりからはMISIAのフェイクが始まるため、体感的にはもっと短いようにも思える。しかし、ここには和製R&Bの特徴がしっかりと刻みつけられている。


 まず耳に残るのは、冒頭の2小節に渡る四分音符のヒットである。同じサウンドが切り貼りされたかのように繰り返されることで、シーケンサーやサンプラー特有の反復の感覚が示唆される。


 このヒットの連続が終わるとすぐ、MISIAによる超高音の“ホイッスルボイス”が登場し、彼女の“声”のキャラクターが示される。そのままナチュラルな音域に戻って続くフェイクでは、ややシャッフルした16ビートの上で三連符のフレーズが歌われ、続いてシンコペーションを含むメロディの下降が現れる。そして、2小節、次のパートへ接続する細かいブリッジが挿入され、Aメロに入る。時間にすれは30秒ほどだが、声のレンジとニュアンスの表現、またリズムに対する感覚の確かさが詰め込まれたフェイクだ。


 加えて、8分音符でコードを刻み、ハイハットと並んでビートのグリッドを示唆するピアノの使い方は、この楽曲の肝がまずリズムに、さらに言えばこのグリッド上で反復するパターンにあることを示している。また、2拍分の休符を含むベースラインは、コードの進行に合わせてメロディを変形させながら、基本的には楽曲を通じてオスティナートのように同じ音型を保つ。これらによって、楽曲を構成する反復の単位が明確に示されているのだ。そもそもこのイントロはサビのトラックをほぼそのまま援用しているので、全体を通しての反復の印象はなおのこと強い。


 以上のように、このイントロはほぼ「これから始まる音楽はこのようなものだ」ということを主張しきっている。しいて付け加えるならば、サビのメロディで効果的に用いられているアウフタクトや16分音符単位のシンコペーション(譜例1、8分音符の裏にひっかかるような譜割り)だろうか。こうした譜割りの妙が浮かび上がるのは、ほかでもなく反復する“グルーヴ”の感覚が楽曲を貫くように配慮されたアレンジだからだ。


■32分音符と“グルーヴ”の重層性
 和製R&Bの多くは、バックビートをスネアドラムで強調した16ビートのリズムを反復するヒップホップマナーを踏襲していたが、一方で90年代後半のアメリカでは、ヒップホップとR&Bをまたいで活躍するプロデューサー、ティンバランドがまったく別のアプローチを流行させようとしていた。彼が展開したのは、BPMを60前後と極端に落とした上でリズムの解像度を上げる――32分音符までをアレンジの範疇に入れる、ということだった。このスタイルは90年代半ばにThree 6 Mafiaなどによってサザン・ヒップホップ(いわゆる「サウス」)の特色として認知されたが、ティンバランドはこうしたスタイルをヒップホップとR&Bの境界線上に持ち込んだ。


 このスタイルによってどういう効果が生まれるか。BPM60における32分音符は、BPM120における16分音符と等価だ。(図1)BPM60の1小節は、BPM120の2小節としても解釈できる。ポリリズムというほどおおげさなものではないにしろ、32分音符は“グルーヴ”を多重化するのだ。それはあたかも小室哲哉が傾倒したジャングルが、スローなレゲエに倍速のリズムを合わせてみせたのと並行するかのようでもある。


 2000年代に入るとティンバランドは時代の寵児と言うべき勢いでヒットを重ねていく。そのビートはオリエンタルなパーカッションの導入もあいまってより奇抜に変化したが、スタイルの根幹は一貫している。2000年ごろには和製R&Bの流れにも32分音符が入りこんでくる。


 ここで興味深いのは、いわゆる“ディーヴァ”系シンガーの作品(1999年11月25日のMISIA「忘れない日々」など)のみならず、SMAP「らいおんハート」(2000年8月30日)やDA PUMP「if…」(2000年9月27日)といった男性アイドル、ないしパフォーマンスグループのヒットソングに32分音符が入り込んでくることだ。単にリズムパターンのなかに味付けとして挿入されているのではなく、「if…」にせよ「らいおんハート」にせよ、“グルーヴ”が重層化されるように効果的に用いられている。前者の例はとりわけハイハット、キック、スネアといった各リズムパート同士の絡み合いがきわめて複雑で、歌唱力とダンスの双方に力を入れていたグループならではのめまぐるしい“グルーヴ”が感じられる。


 さらに、結婚や出産に伴う活動休止もあり“ディーヴァ”ブームとは距離のあった安室奈美恵の動向にも目を向けたい。2001年を境に小室哲哉のプロデュースを離れた安室は、ZEEBRAやVERBALと共に2003年に活動したSUITE CHIC以降、ヒップホップ色を強めていった。そこではもちろん、ティンバランド以降と言えるややフリーキーで重層的なビートが多用された。安室のボーカルは“ディーヴァ”系とは異なり、むしろ同時代で言えばアリーヤのクールさに近い(ただし、SUITE CHIC以降で具体的に参照したのはジャネット・ジャクソンだろう)。数年のラグを経て、満を持してヒップホップ・ソウルのクールなボーカルが日本でもメインストリームに登場したのだ。


 “ディーヴァ”ブームの終焉をどこに見るかはさまざまだが、本論では、安室奈美恵のポスト“ディーヴァ”的なボーカルがヒップホップマナーのビートにのって再び脚光を浴びた2003年を分水嶺と見なしたい。


■宇多田ヒカルは“ディーヴァ”だったか
 と、ここまでの議論に、宇多田ヒカルがほとんど不在であることを指摘する人もいるかもしれない。あくまで筆者の見立てであることを断っておくが、宇多田のその後の活動を考えると、たとえ「Automatic」や「Addicted To You」といった初期の楽曲に和製R&B的な傾向が見られたとしても、その範疇で語ることは適切ではない。むしろ、この連載の第1回でも取り上げたように、活動休止を経た近作、とりわけ『初恋』の先鋭性こそに着目すべきだ。日本のポップミュージックに宇多田がもたらした功績は、『Fantôme』や『初恋』以降の視点から改めて論じる機会が設けられればと思っている。(imdkm)