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『SEKIRO』の難易度をめぐり海外で論争勃発 イージーモードは必要なのか?

2019年04月11日 09:31  リアルサウンド

リアルサウンド

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 先月リリースされた『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE 』は、『DARK SOUL』シリーズを手がけたフロム・ソフトウェアが開発したゲームに相応しい高難易度であることによって、大きな注目を集めた。しかし、そのあまりの難しさがゲーム開発者をも巻き込む論争を引き起こしている。


(関連:『SEKIRO』海外の反応は? 『DARK SOULS』シリーズより難しい、ゲーム機により画質異なるとの声も


■プレイの内容と理由を決めるのはプレイヤー自身
 論争の発端は、ゲームメディア『PC Gamer』が6日に公開した『SEKIRO』攻略に関する記事だった。通常の攻略記事であれば敵キャラの撃破方法を指南するものであるが、この記事はチートソフトを使って「葦名弦一郎」を倒したことをレポートした。同記事を執筆したライターのJames DavenportはPC版でプレイしたのだが、PCにチートソフトをインストールして敵キャラの速度を遅くした状態で勝利したのだった。


 以上のようなチートプレイに対して当然浴びせられるであろう「ゲーム開発者の意図を裏切った」という非難を想定して、同ライターはチートプレイによってSEKIROの魅力が損なわれたことはないと断言した。というのも、同ゲームの魅力は「特定の瞬間」をプレイすることにあり、決して剣の腕前を鍛えることにはないからだ。さらに「ゲームの内容とプレイする理由について何がいいか判断するのは、自分自身だ」とゲーム開発者の意図を軽視するかのようなコメントも述べた。


 この記事に対しては、直ちに非難するツイートが殺到した。そうしたツイートのなかで多くの支持を得たのが、「チート行為はゲームだけではなく自分をも欺くものだ」というものであった。このツイートはさらに続き、チートをすれば「成長しないし、進歩もしない」と糾弾している。その一方で、『SEKIRO』のようなあまりに高難易度のゲームには「イージーモード」の実装が必要なのではないか、という意見も多数ツイートされた。


■問題は難易度ではない
 『SEKIRO』の難易度論争は、ついにはゲーム開発者を巻き込むことになった。この論争に一石を投じたのは、身体障がい者のゲームプレイを支援する団体であるAble GamersのCOOであるSteve Spohn氏のツイートである。同氏はイージーモードと(万人がプレイできることを意味する)アクセシビリティが混同されることに苦言を呈し、あるゲームが「イージー」であるかどうかはプレイヤーによって異なることを指摘している。実際、ゲーム実況者のLimitlessquad氏は、四肢に麻痺があるにもかかわらず『SEKIRO』に登場するボスのひとり「破戒僧」を撃破した動画をYoutubeで公開している。


 同氏のほかのツイートでは、ゲーム難易度よりゲーム開発者が留意すべきなのはすべてのプレイヤーに対して各人に望ましい難易度を提供する公平性であり、こうした公平性こそがアクセシビリティの核心である、と訴えている。同氏が主張するアクセシビリティに従えば、イージーモードはハードコアゲーマーにとっては簡単すぎて「不公平」であるので、こうしたモードを実装したところでアクセシビリティの高い「良い」ゲームになるわけではないのだ。


 以上のようなアクセシビリティに対して、大ヒットアクションゲームシリーズ『ゴッド・オブ・ウォー』のディレクターを務めたCory Barlog氏は「アクセシビリティは、私のゲームに関するビジョンを損なうことはなかったしこれからもそうだろう」とツイートして、賛意を表した。もっとも、一連の論争を報じたゲームメディア『EUROGAMER』の記事では、近年のヒットしたゲームである『Marvel’s Spider-Man』や『Uncharted 4』がイージーな操作をサポートしていたことを指摘している。イージーな設定の実装は、アクセシビリティを実現する数ある方法のうちのひとつ、というわけなのである。


■難易度論争から離れて……
 難易度ばかりがクローズアップされている一方で、『SEKIRO』のゲームグラフィックやキャラクターデザインに愛着を抱いているプレイヤーがいるのも確かである。そうしたプレイヤーの一人であるRedditユーザGS-alpeRは、なんと同ゲームの主人公である忍者の狼が着用する義手のレプリカを制作したのだ。細部まで忠実に再現されたレプリカからは、同ゲームへの愛情が伝わってくる。


 『SEKIRO』は高難度だからこそ、ゲーマーたちに愛されているという一面もある。同ゲームを難しすぎると感じるゲーマーも少なくないが、どんなレベルのゲーマーであっても同ゲームが「美しい」ことには同意するのではないだろうか。


(吉本幸記)