3月26日に26歳という若さでこの世を去った近藤湧也。2019年シーズン、その若きライダーを起用してJSB1000クラスに臨む予定だったGBSレーシングYAMAHAの後藤高秀代表は「近藤湧也をファクトリーライダーにすることを目的にしていた。志半ばですごく悔しい」と胸中を明かした。
近藤は3月13日に岡山国際サーキットで行われたテストで走行中に転倒、病院に搬送された。意識不明の状態で病院に搬送されてからも治療が続けられていたが、3月26日の9時47分に息を引き取った。
後藤代表によれば、近藤が転倒したのはモスエスのふたつめで、スリップダウンによる転倒だったという。
近藤とGBSレーシングとの関係は2010年に始まり、2011年から本格的に全日本ロードレース選手権ST600クラスへフル参戦を開始。2015年からはともに最高峰のJSB1000クラスにステップアップし、2019年は4年目のシーズンに挑むはずだった。
また、近藤は2019年からヤマハとテストライダーの契約を交わしており、将来が期待されるライダーのひとりとして注目されていた。
近藤とともに全日本ロードを戦ってきた後藤代表は「(近藤)湧也とは2010年に知り合い、2011年からGBSレーシングで本格的に全日本(ST600クラス)に参戦を始めました。その成り立ちを話すと長いですが、湧也と一緒にハイエース一台で全国を回っていました」と、近藤との思い出を語る。
「そんな小さなチームだったんですよ。バイク一台にちょっとした機材、メカニックひとり、ライダーひとりのふたりだけのチームでした。そういった意味で僕にとってはすごい思い入れが深いライダーです」
「周りからは『湧也は後藤さんと二人三脚でやってきたからね』ってよく言われるんです。だから湧也の死は正直辛いですね」
また、後藤代表は「近藤湧也をファクトリーライダーにする」ということを目的にGBSレーシングを大きくしてきたことも明かした。
「僕は近藤湧也をファクトリーライダーにすることを目的に活動していて、湧也はGBSレーシングを大きくして有名なチームにすることを目的にしていたんですよ。お互いの夢が少しずつ叶ってきて、GBSレーシングも大きくなりましたし、湧也も今年からヤマハとテストライダーの契約ができて、良いところまできていましたが、志半ばですごく悔しいです」
全日本ロードレース選手権の開幕戦もてぎでは、4月6~7日の2日間、近藤湧也への献花台がヤマハファンブースに設置される。