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『君は月夜に光り輝く』で北村匠海が“死”と向き合う 映画でこそ新たな価値を得た恋物語に

2019年03月26日 08:11  リアルサウンド

リアルサウンド

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 姉の「死」をきっかけに、「死」に魅せられたひとりの少年が、「死」を目前とした少女と出会うーーこれは、小説『君は月夜に光り輝く』の筋書きであるが、同名タイトルで映画化された本作は、原作とはずいぶんと異なった読後感をもたらす。


 本作でメガホンを取ったのは、難病を抱えた少女と、その彼女に翻弄される少年の交流を描いた本作と近い構造を持つ、『君の膵臓をたべたい』(2017)の月川翔だ。そして同作に続き、北村匠海が翻弄される少年を演じ、今作では永野芽郁が余命いくばくもないヒロインに扮している。


【写真】『グッドワイフ』でも新米弁護士役好演した北村匠海


 小説を映画化するにあたって、改変や省略などの脚色が施されるのはとうぜんのことだ。その中で、原作を忠実になぞっているかどうかの“再現度”や、脚色によって一本の映画作品として自立しているのかどうかが、原作モノ映画の多くの場合の評価基準となるだろう。しかし本作では、原作にあったいくつもの重要なシーン(要素)が描かれておらず、どうにも釈然としない。その結果、主題が変わっているように感じるのだ。


 ヒロイン・渡良瀬まみず(永野)が患っているのは、「発光病」という、この物語内にだけ存在する不治の病だ。これを患うと、細胞異常により皮膚が発光し、死期が近づくにつれてその光は強くなるのだという。彼女はすでに“余命ゼロ”であり、いつその輝きが絶えてもおかしくはない。そんな彼女と出会った少年・岡田卓也(北村)が、まみずがノートに記した“死ぬまでにやりたいこと”を代行していくというのが本作の柱だ。


 ところでこの岡田少年、じつは過去に姉(松本穂香)を亡くしている。身近な大切な者を失った彼は、以来、「死」について漠然と考えを巡らせるようになったようだ。これこそが、原作で肝となる部分であり、全編にわたって岡田少年の一人称で綴られていることで、彼がなぜ、まみずの代行者になるのかがそれとなく読み取れるようになっている。彼は、「死」が迫る人間がどのように変わっていくのかに興味があるという、いささか変わった人物なのだ。


 もちろん、これらのことが映画でまったく描かれていないわけではない。ときおり岡田少年にはかつての姉の姿がフラッシュバックするし、彼は終始浮かない面持ちで、声の色数は少なく、感情表現が乏しい。この岡田という人物の心の機微を、北村は表情と声音の限られた変化で表現することに挑み、キャラクターの背景までをも垣間見せているように感じられる。難病を抱える役どころでありながら、あえて快活に演じてみせる永野の姿も相まって、それはより際立っているだろう。しかし、そのあまりに限られた情報だけから彼の心の内側を観客に想像させるというのは、じつに難しい。つまり岡田少年が、姉の「死」と、まみずの「死」とを結びつけるのには少々無理を感じるのである。この連関にあるのは「死」というキーワードだけであり、彼自身が「死」というものをどのように捉えているのかの訴えが私たちに届かなければ、それは描かれていないのと同じではないだろうか。


 少女が発光するということは、それは死期が迫っている証であり、少年の瞳には「きれいだ」と映る。このことは、「発光」=「死」=「きれい」という方程式に置き換えられるだろう。しかしこの「きれいだ」というセリフは原作にしかないもので、それを省略したということは、先の方程式は成立せず、「発光」=「死」となる。映画では、少女が最後の最後に見せた生命の輝きを、“身体を発光させることで可視化させた”という事実にとどまっているのだ。


 説明過多や情報過多といって、批難を浴びる作品は多々あるが、本作の場合は主人公の心理描写を極端に省略してしまったため、死期の迫る少女と少年の、よくある恋物語に落ち着いている印象だ。この手の作品はこれまでにも多くあったが、ほかと本作が違うのは、ノートに書かれたことは必ず実行しなければならないという、“デスノート”ならぬ“代行ノート”というユニークな発想が取り入れられたという点ではないだろうか。“人の「死」のその先”が描かれた原作からの脚色により、「死」という重いテーマがより普遍化され、多くの人にとって共感を得やすいものとなったのはたしかだろう。しかし同時に、深みが失われている気もしてならないのだ。


 だが、恋物語としては映画でこそ新たな価値を得ている点もある。その最たるものは、代行中の岡田少年に見られるスマートフォンの多用だ。原作でもスマホは重要なアイテムとなるが、とある一点を除いては、基本的に連絡ツールである。ところが本作は、岡田少年が代行時にテレビ電話として使用することで、まみずは病室にいながらにして、恋人を通して新たな世界を目にし、これまで知り得なかった自身の感情を育むのである。映像だからこそ現実味を持って受け入れられる、感動的な場面だろう。そこには、“誰かとの出会いで世界は一変する”という恋物語の一つの主題が、ありありと映し出されている。そういった意味で本作は、原作から主題がすり替わったというよりも、フォーカスされる部分がより絞られたのだと受け取るべきかもしれない。


(折田侑駿)