トップへ

『いだてん』中村勘九郎に起きた悲劇 マラソン競技の過酷さを伝える呼吸音の演出

2019年03月25日 16:31  リアルサウンド

リアルサウンド

写真

 『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』(NHK総合)第12話では、四三(中村勘九郎)がマラソンのスタートを切った。しかし、記録的な暑さの中、走り続ける四三に悲劇が起きてしまう。第12話は、日本人の思いを背負って走った彼の悔しさとふがいなさが強く印象に残る回となった。


参考:寺島しのぶ、黒島結菜、菅原小春、柄本佑ら『いだてん』新キャスト発表 菅原「秘めている思いを表現できたら」


 四三がまもなくマラソンに出場するという頃、日本・熊本では、スヤ(綾瀬はるか)が金栗家と共に応援の宴を開いていた。準備万端とは言えないままマラソンのスタートを切る四三だが、徐々に順位をあげていく。だが、記録的な暑さに襲われ、四三は足元がフラつき、幼いころの自分の幻影を見る。


 会場入りが遅れ、足袋のこはぜを留めている最中にマラソン競技がスタートしてしまうという状況の中、四三は序盤こそ焦りが見えていたが、ぐんぐんと順位をあげていく。しかしそれが悲劇の幕開けだった。1912年に行われたストックホルムオリンピックは記録的な暑さであり、劇中、時折ぐわりと空間が歪むような演出が挿入される。猛烈な暑さの中走り続ける四三の視界を追体験するかのようだ。突然の出来事に戸惑う四三だが、彼は走り続けた。「走りたい」という純粋な思いと、日本人の期待を背負って。


 走る四三には台詞が用意されておらず、スッスッハッハッという呼吸音だけで、四三の調子が分かるように演出されていた。スタート直後の四三の呼吸は、緊張と焦りで呼吸法が整っていない。だがう定番の呼吸音が聞こえると、最下位だった四三はぐんぐん加速し、各国の選手を追い抜いていく。だが最初に四三がフラつきを感じたときから息苦しさが伝わってくる。現代を生きる視聴者は、猛暑によって生じた四三の異変が何であるか即座に気づいたことだろう。しかし四三にはそれが何かわからない。わからないが故に走り続け、体の異変はどんどん悪化していく。


 加えて、走る四三の目には故郷・熊本の風景や東京の街並みが見える。そのうち彼は、幼き頃の自分の幻影を見る。幼い自分は四三をいたわりながらも前へ進んでいく。幼い自分に導かれるように、立ち上がり、走り続けようとする四三。徐々に苦しさを増す呼吸音は、当時のマラソン競技の過酷さを物語っていた。そこに幼い自分が見えるという自分自身と向き合う演出が加わることで、たった1人で競技に立ち向かわなければならないマラソン競技の過酷さが伝わってくる。


 幼い自分に導かれた四三は分岐点でコースアウトする。ライバルのラザロが懸命に声をかけるも、四三は森の中へと消えていってしまった。


 気づくと四三は自室にいる。意識が戻った四三は状況を理解することができない。レース中に日射病で倒れたことを知らされ、四三は茫然とする。勝ち負けにこだわらず、純粋に走ることを楽しんでいた四三が味わう絶望を、中村は体現していた。四三は思い出せる分の様子を嘉納治五郎(役所広司)に話す。「調子がよくて、どんどんどんどん楽しくなって……」と笑顔を見せる四三だが、その表情には楽しかったという純粋な思い以上に、走りきれなかった事実に直面した悔しさが強く伝わってくる。自分の状況を理解できても、なかなか受け入れられない、そんな複雑な表情を中村は浮かべる。この表情に心を痛めた視聴者もいたことだろう。「負けは負けです」「すみません、すみません」と謝り続ける四三の体を案じた治五郎は彼を優しく寝かせた。横たわってもなお「すみません」と謝り続ける四三。静かに頰を伝う涙が、四三が味わったふがいなさを伝えてくれる。競技に挑んだ本人にしか分からない歯がゆさ、至らなさだ。


 なお第12話のタイトルは『太陽がいっぱい』。アラン・ドロン主演、ルネ・クレマン監督作の名作フランス映画のタイトルを引用したものと思われるが、ストックホルムオリンピックの猛暑、日射病によるフラつきを感じさせるだけでなく、勝ち負けにこだわらない四三が背負うことになった日本人の思い=太陽なのではと感じさせる奥深さに驚く。マラソン競技の壮絶さだけでなく、オリンピック参加への重圧をも伝える、ほろ苦い回となった。(片山香帆)