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『ビール・ストリートの恋人たち』“理不尽への抵抗”がメロドラマを通した新鮮なタッチで描かれる

2019年03月04日 14:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 2016年公開の監督作『ムーンライト』で、第89回アカデミー賞作品賞の栄誉に輝いたバリー・ジェンキンス。彼の手がけるあらたなフィルムが『ビール・ストリートの恋人たち』である。本年度(第91回)のアカデミー賞でも、3部門ノミネート、1部門受賞と高い評価を受けた。原作小説を手がけたジェイムズ・ボールドウィンは、公民権運動の時代に重要な役割を果たした黒人作家だ。彼の同名作は、黒人カップルのラブストーリーであると同時に、人種差別に対する抵抗の書物でもある。2017年には、ジェイムズ・ボールドウィンを通してアメリカにおける差別の歴史と実態を描いたドキュメンタリー映画『私はあなたのニグロではない』が発表され、日本でも劇場公開された。海外文学読者のみならず、多くの映画ファンが、この才能豊かな黒人小説家の名前を記憶しているはずだ。


 『ビール・ストリートの恋人たち』はラブストーリーである。1970年代のアメリカ、ニューヨ―ク。22歳の青年ファニーと19歳のティッシュは幼なじみであり、いまでは仲睦まじい恋人どうしであった。愛し合い、幸福にすごすふたりであったが、ファニーはとあるきっかけで白人警官の不興を買い、身に覚えのない罪で留置所へ入れられてしまう。彼の潔白を証明し、留置所から出すため、ファニーとティッシュの家族は懸命の努力を重ねるが、無罪放免を勝ち取るためには幾多のハードルが立ちはだかっていた。やがてティッシュは、留置所にいるファニーの子を宿していることに気がつく。


 バリー・ジェンキンスは1970年代のアメリカを描きつつ、現代につながる物語としてこのフィルムを撮っている。現代アメリカに根強く残る、人種差別の問題が本作の重要なテーマだ。こうして評を書いている間にも、オクラホマ州タルサで、無抵抗の黒人に発砲し、射殺した白人警官に対して、銃を撃った判断は妥当であり、事件を調査した司法省は「警官の罪を問わない」と判断したとのニュースが入ってきた(The New York Timesより)。いまはもう2019年だというのに、両手を挙げて無抵抗の意思を示していた市民を撃つ行為が、自己防衛だと判断されてしまう理不尽な現状は変わっていない。白人警官による黒人への暴力を告発するブラック・ライヴズ・マター運動は、2016年に大きな社会現象となったが、アメリカ社会は変わることができずにいる。いまから30年前、1989年にスパイク・リー監督が警官の暴力を描いたフィルム『ドゥ・ザ・ライト・シング』から、あまり前進できていないのだ。


 『ビール・ストリートの恋人たち』がユニークであるのは、こうした重くシリアスなテーマを伝える際に、アメリカ映画がほんらい持つ怒りと熱気ではなく、ヨーロッパ映画的な静けさと美的感覚をもって物語を構成していく独特のセンスにある。前述した『ドゥ・ザ・ライト・シング』を例に取れば、スパイク・リーはラップ・ミュージックの激しいビートと、うだるようなニューヨークの暑さ、勢いのあるせりふの応酬によってアメリカ映画らしいエネルギーを獲得していた。対照的に、『ビール・ストリートの恋人たち』における撮影のセンス、画作りの美しさや色使いの巧みさには、ヨーロッパ映画的な静寂と内省が見て取れる。むろん監督は黒人を取り巻く状況に対して怒りを覚えているのだが、作品へと昇華する際にもっとも強調されるのは静けさであり、美しさである。ここにバリー・ジェンキンスならではの新鮮なタッチがある。


 たとえば冒頭、美しく色づく秋の街路樹の下を歩く男女をとらえたショットはどうか。彼らが身につける洋服の黄色と青は、街路樹の黄色い葉と鮮やかなハーモニーを奏で、ふたりの愛を印象づける。優雅でロマンティックな、ラブストーリーらしい雰囲気に胸がときめくオープニングだ。劇中、愛し合うふたりの経験する理不尽さは、爆発する怒りとしてではなく、引き裂かれるふたりの不運に寄り添うメロドラマとして表現される。考えてみれば、前作『ムーンライト』のフレッシュさもまた、黒人コミュニティを描きつつ、そこにアメリカ映画らしからぬ雰囲気を漂わせる巧みな演出にあった。『ムーンライト』劇中、主人公の少年と彼の面倒を見る男性ふたりが海水浴に興じる美しい場面を連想してほしい。あのような静けさに満ちたヨーロッパ映画的な描写が、アメリカ映画の枠内から生まれたことに感動してしまう。


 個人的にもっとも心を動かされたのは、スクリーンに写し出される人びとの表情である。わけても、無実のファニーを個人的な怨恨から犯人に仕立て上げた白人警官や、犯罪被害を受けた女性を正面からとらえたショットのみごとさには唸るほかない。彼らはいかなる人間なのかを鋭く問うような、バストショットの迫力。映画ならではの、カメラを通して人を見つめる行為の怖ろしさに戦慄してしまう。次にバリー・ジェンキンスが取り組むのは、黒人奴隷の解放をテーマにしたコルソン・ホワイトヘッドの小説『地下鉄道』(早川書房)の連続ドラマ化だという。原作の選択も彼のテーマ性とぴったりと重なり、いったいどのような作品になるのかと期待はふくらむばかりである。(文=伊藤聡)