2019年、スーパーGT GT300クラスに松井孝允と佐藤公哉のコンビで挑むつちやエンジニアリング。チームは2月20日、その参戦体制を発表したが、サプライズで今季からFIA-F4にも一台のマシンを投入することになった。そのドライバーとして起用されたのは、堀尾風允(ほりおふうま)。彼はいったいどんなドライバーなのだろうか? 堀尾と、彼を起用することにした土屋武士に話を聞いた。
堀尾は1997年1月8日生まれ。7歳でレーシングカートをはじめ、最年少でトヨタ/ヤマハスカラシップを獲得。カート界では順調にステップアップしていた。そんななか、中学3年生だった堀尾に、当時の全日本カートの最高峰に挑戦するか、それとも海外でカートに挑戦するか……という二択のチャンスがやってきた。
「そこで僕は、一度海外に行ってみようと思いました」という堀尾は2011年、イタリアに渡った。日本とは異なる本場のフィールドで自分の速さをみせたかったが、そこで堀尾はあるドライバーに「圧倒的なパフォーマンス」を見せつけられることになる。それは今やF1で戦っている、マックス・フェルスタッペンだった。
「彼とはクラスをずらして、同じチームに在籍していました。フェルスタッペンのカートレースでの最後の年(2013年)は、僕がセカンドメカニックとして入って、どういうレースをしているのかを間近で見ていたんです」と堀尾。
「他にも海外で知っているドライバーは多いですね。ランス・ストロールなんかも戦ったことがありますし、同じクラスではないですが、ランド・ノリスやシャルル・ルクレールのレースは見てきています」
蒼々たるメンバーのなかで6年間、堀尾は速さを磨き、そして人間としても成長していった。
「ヨーロッパではレースへの気持ちが変わりましたね。初めて行ったのは中学3年生でしたが、日本では親とケンカしながら……とか、よくあると思うんです。でもイタリアに行って気づいたのは、まず“親に感謝した”ということです」
「シンプルに『オレはひとりじゃ何もできないんだ』といちばん最初に気づきました。レースに対する取り組み方を変えなければならないと思ったんです。それは今、自分の強みになっているかもしれません」
そして2017年、堀尾は帰国。ミッション付きカートのシフタークラスや、ダンロップのネクストカップなどに出場し、チャンピオンを獲得。2018年は全日本カート最高峰のOKクラスに、高木虎之介率いるTAKAGI PLANNINGから出場した。今季、堀尾と同じく四輪で飛躍しようとしているドライバーたちと切磋琢磨。ただこの年は「苦しいシーズンでした」という。
■つちやエンジニアリングに新しい“風”を吹かせる
そんななか、堀尾は21歳となり四輪ステップアップを目指し、フォーミュラトヨタ・レーシングスクール(FTRS)を受講した。年齢としては、今や少々遅いくらいだ。残念ながらスカラシップを得ることはできなかったが、ここで講師だった土屋武士に出会う。
「練習はちょっとはしたけど四輪にはまだ出ていなくて、教えていくと理解はしていくタイプだなと。そしてそれ以上にパーソナリティが面白くて、いわゆる“日本の若者”っぽくないんです。話を聞いたら、6年間イタリアでカートをやっていた」と土屋は当時を振り返る。
「そしてそれ以上に、意思が明確に伝わりやすいキャラクターなんです。自分のアンテナに引っかかるタイプでした。走りよりもそういうところに興味をもちました」
土屋は堀尾に「来年どうするんだ?」と声をかけた。つちやエンジニアリングには、松井孝允がスーパーGTに出るにあたり腕を磨いたJAF-F4があった。「その気があるなら、ウチを手伝ってくれればタダで貸すよ」と土屋は言うつもりだったが、「新たな刺激が欲しくなってきた」とFIA-F4をTAKAGI PLANNINGから購入することを決断する。
「ウチで孝允が働きながらそうしたように、風允にも戦ってもらい、サムライサポーターズという名前を復活させてようと。風允が新しい“風”を入れてくれるのではないかと。今のところそれは感じているので、良かったと思います」
こうして堀尾は、チームサムライから2019年のFIA-F4に参戦することが決まった。ライバルとなるのは、カートで切磋琢磨しながらスカラシップを得たドライバーたちだ。
「FIA-F4にはもう乗っています。基本はカートと一緒だと思っていますが、車体が大きくなって、カートよりもセンサーをつけなければいけないと感じています。でも乗っていて楽しいですね」と堀尾。
「もちろん出るからには勝つこと以外には考えていません。ただ、勝つだけではなく、その過程も重要だと思っています。このチームサムライでしか得られないことをきちんと吸収して、そして勝つというのが大事だと思います」
20日の発表会では、『サムライサポーターズF4』という車名が土屋から告げられると、詰めかけたサポーターから大きな歓声が上がった。かつて松井を育て上げたときの車名が復活したのだ。堀尾に寄せる期待は当然大きい。
堀尾に将来の目標を聞くと、「もちろんプロのレーシングドライバーになることです」という返事が返ってきたが、さらにこう続けた。
「モータースポーツに興味のない人でも僕の走りを観ることによって、何かしら感動を与えられたり、興奮を与えられるようなドライバーになりたいと思っています」
つちやエンジニアリング、そしてチームサムライが熱い期待を寄せる堀尾。今年FIA-F4で、どんな走りでサポーターたちの期待に応えてくれるだろうか。