2019年03月01日 20:31 弁護士ドットコム
国会の裁判官訴追委員会が、3月4日に東京高裁の岡口基一裁判官を呼び出すことを決めた問題について、最高裁が過去に戒告などの処分とした事実と同じ内容で訴追し、弾劾裁判にかけることについて「表現の自由や司法権の独立の侵害」と問題視する声が、一部の弁護士から出ている。
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現時点で、明らかになっている岡口氏の呼び出し理由は、2つのツイート。犬の飼い主をめぐる訴訟についてのツイートと、女子高生が殺害された事件についてのツイートだ。最高裁は前者について2018年10月に戒告の懲戒処分を出し、後者については、厳重注意処分としている。そのため、2件とも最高裁からすると「処分済み」となっている。対して、訴追委は、2つのツイートについて聞くため、2月に岡口氏の出頭を要請した。
弾劾制度の解釈や今回の岡口氏への訴追の動きをどう考えればいいのか。憲法学者として弾劾制度や裁判官懲戒制度を研究する近畿大学法学部の土屋孝次教授と日本大学法学部の柳瀬昇教授に見解を聞いた。訴追委の調査について、「訴追や調査自体、委員会の権利の濫用にあたるのではないか」「訴追だけでなく弾劾裁判で罷免しても制度上は問題ない」などと、意見が分かれている。
現時点では、最高裁が処分したのと同じ事実によって、岡口氏が弾劾裁判にかけられ、罷免になる可能性がある。
分限裁判と弾劾裁判で、同じ事実について別の制裁を加えることについては、両者とも問題ないとの立場だ。岡口氏に対する最高裁の処分は「裁判所の内部の処分」(土屋教授)であるのに対して、弾劾・訴追は「憲法上の根拠を有する国民の公務員選定、罷免権の具体化」(柳瀬教授)、つまり国民が公務員を辞めさせる権利の現れであると考えられるためだ。
「(弾劾制度と懲戒制度は)憲法レベルで趣旨が異なる」(土屋教授)「法的性質が全く異なる」(柳瀬教授)とする。実際に、1956年に罷免された裁判官に対し、東京高裁が1954年に2回にわたって過料の決定をくだしていた先例もある。
ただ、戒告を決めた分限裁判と弾劾裁判を同質とする見方もある。最高裁は、罷免に相当する裁判官と考えられる場合、訴追委員会に訴追請求をする義務(裁判官弾劾法15条)があり、土屋教授も「憲法解釈上は異質だと考えるが、最高裁長官による訴追請求制度があるように、運用は同質論的な面がある」とする。
両者を同質なものと捉える根拠として、処分の事由を定めた裁判所法49条と裁判官弾劾法2条が、後者に「甚だしく」「著しく」といった副詞がある程度の違いしかない類似性を指摘する見方も、かつてはあった。懲戒と弾劾を同質のものとみなす立場に立つと、2つの制度による同一理由の処分は二重の危険に抵触する可能性があると言える。
一部の法曹から「司法権の独立の侵害」との指摘がある点についても、2人の学者は否定的だ。土屋教授は、弾劾制度について、国民が裁判官を罷免させる「憲法的趣旨に基づくもの」と指摘し、三権間での均衡抑制よりも、むしろ国民主権に基づく司法に対する作用を主眼として見る。
柳瀬教授は、「司法権の独立」を、「裁判所の独立」と「裁判官の職権行使の独立」にわけたうえで、ツイッターでの発信が裁判官の「職務」とは言えない点を指摘し、「職権行使の独立を侵害することにはならないと解する」「議論は分かれると思うが、司法の独立を論ずる場面ではないと考える」(柳瀬教授)とする。
ただ、今回の訴追委の具体的な動きについての評価は、両者の意見が割れた。
前述のように、最高裁は、裁判官に対して罷免理由があると考えられる場合、訴追請求の義務がある(今回の訴追請求の主体が国民なのか最高裁なのか現時点では判明していない。また訴追委は、訴追請求を受けずに、独自の職権で調査開始することも可能)。
最高裁が、戒告処分としたことについて、土屋教授は「最高裁は訴追請求をしなかったとみられ、最高裁は罷免の必要がないと考えていると理解して良い」と指摘する。土屋教授は、今回の調査対象が2つのツイートに限定されるという前提に立ったうえで、「最高裁からの資料提供をもって判断可能であり出頭要請は不要」「著しい問題行動を起こした裁判官を罷免する例外的な制度趣旨に反した調査は職権乱用」と指摘する。
平成に入ってからの裁判官の訴追理由が、児童買春やストーカー、盗撮など刑事事件での有罪判決となっている中、「弾劾制度の趣旨や、実務的に見て先例との整合性がとれない」として、岡口氏を訴追すれば、さらなる職権乱用にあたる可能性との認識を示す。
対して、柳瀬教授は、最高裁が懲戒処分を下したうえで、訴追請求をすることについて「議論は分かれると思うが、問題ないと考えている」としていて、最高裁が訴追請求した可能性は残されている。
訴追委の出頭要請を含めた調査について、柳瀬教授は、外部からの訴追請求だけでなく、訴追委が自らの職権で調査が可能なことを踏まえて、「訴追委が調査等を行うとしても、裁判所が機関として政治から影響を受けて適正妥当な職務が取れなくなるということはないと思う」として、調査や訴追に問題はないとの立場に立つ。
さらに、「弾劾裁判所が罷免判決した場合の、弾劾裁判所の判断についても同様」と指摘し、罷免までいたっても制度上は問題ないとの見解だ。
ただ、実際に岡口氏のツイートについて、柳瀬教授は「知りうる限りでは、(弾劾裁判法2条2号の罷免事由まで)『該当しない』とまでは言えないが、到達しているとはいいがたい」との見解を示す。その上で、「(岡口氏が)今後、司法当局に対する批判をさらに強め、それによって司法に対する国民の信頼が揺らぐような事態が生じれば、別の判断になる可能性がある」と指摘する。
一部の法曹から、表現の自由を萎縮させる可能性が出ている点については、両者ともに影響はあるとの見解。「(他の)裁判官への萎縮効果はある。裁判官の表現の自由は重要」(土屋教授)「(個人的な表現活動の自由については、訴追の動き以前に)岡口氏の事件が社会問題化した時点で、他の裁判官に対する萎縮効果はあるだろう」(柳瀬教授)という。
ただ、柳瀬教授は、今回問題となっているのが、プライベートでの発信である以上「準業務的な判例評釈等については、あまり影響がないと思う」とする。
2人の学者は、現状の裁判官に対する弾劾・懲戒制度についても指摘する。
裁判官に対しては、分限裁判、弾劾裁判を通じての制裁は、「罷免」「戒告」「1万円以下の過料」の3つの選択肢しかない。一般的な公務員と比較し、「降任」「停職」「減給」にあたるものが準備されていないといえる。また「1万円」という過料の金額も、裁判官分限法が制定された1947年以降、変わっていない。土屋教授も裁判官への強い身分保障の重要性に理解を示しつつも、「『降任』や『停職』にあたるような不利益処分が制度上あっても良いのではないか」と指摘する。
ただ、国民の関与については、両者の意見は割れている。現状、国民がトリガーを弾けるのは弾劾裁判のみで、裁判官の懲戒処分については、国民が直接関与できない。
柳瀬教授は、裁判官の懲戒のトリガーを国民がひくシステムについて、「(訴追請求が)現状、具体的な裁判に不満のある当事者等のクレームとして事実上誤用されている」とした上で、国民が裁判官の懲戒に関与する制度にすると「裁判に負けた人々が懲戒請求を乱発するのは想像に難くない」と否定的だ。
対して、土屋教授は、「些末な問題や当事者等からのクレームが増えると予想されるが、司法への信頼を確保するために必要」として、裁判官の懲戒手続きを国民に開く必要性を指摘している。