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今年はトランプ大統領が最低主演男優賞に “最低”の映画を決めるラジー賞の社会風刺とユーモア

2019年02月28日 12:11  リアルサウンド

リアルサウンド

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 毎年映画界最高の栄誉であるアカデミー賞の前日に、ひっそりと授賞式が行われる“ラジー賞”ことゴールデン・ラズベリー賞。その年のワースト、つまりは“最低”の映画を、アカデミー賞さながらに1000名を超える会員からの投票によって決定する。そこには明確な社会風刺としての意味合いと、ユーモアに富んだ選定基準が見え隠れしており、毅然とした批評文化が確立したアメリカらしさが現れていているのだ。


参考:トランプ大統領が最低主演男優賞を受賞した映画『華氏119』


 過去の最低作品賞受賞作を見てみると、映画史に残る空前の大赤字を記録したテレンス・ヤングの『インチョン!』であったり、ポール・ヴァーホーベンの伝説的凡作『ショーガール』に、そして劇場に行った誰もが呆然としてしまった『バトルフィールド・アース』など、スカスカすぎて逆に語りたくなるような作品が名を連ねる。他にもトム・クルーズ主演の『カクテル』やM・ナイト・シャマラン監督の『エアベンダー』だったり、大ヒットシリーズの完結編『トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーンPart2』、さらには『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』など、「記憶には残らないけど観ている間は何となく楽しかったし、それに何よりポップコーンが美味しかったから良かった」という気分を味わえる憎めない映画がずらり。


 先日発表された第39回では、イータン・コーエンという字面だけ見たらアカデミー賞常連の兄弟監督の弟のような感じがする監督が手がけた『Holmes & Watson(原題)』が主要4部門を席巻。誰もが知る名探偵シャーロック・ホームズをラジー賞の常連俳優ウィル・フェレルが、助手のジョン・ワトソンをアカデミー賞候補歴のあるジョン・C・ライリーが演じ、さらにモリアーティ教授役にはイギリスの名優レイフ・ファインズときた。そんな座組みで作り出される下品なコメディ映画となれば、もうラジーの大好物となることはハナから目に見えており、下馬評通りの圧勝となったわけだ。


 また、ラジー賞は政治的なメッセージ性を持つことも多々ある。第25回ではマイケル・ムーアのドキュメンタリー『華氏911』で批判されたジョージ・W・ブッシュ元大統領に最低主演男優賞が、ドナルド・ラムズフェルド元国務長官には最低助演男優賞が送られ、2年前にはヒラリー・クリントンを批判した『ヒラリーのアメリカ、民主党の秘密の歴史』が最低作品賞を含む4部門受賞でこき下ろされることで、明確に共和党への批判的な姿勢を貫く。そして今年は例によって『Death of a Nation(原題)』と『華氏119』の2作品で、ドナルド・トランプ大統領が最低主演男優賞を受賞。さらにダメ押しのように「ドナルド・トランプと彼の尽きない卑小さ」として最低スクリーンコンボ賞を贈るなど、決してブレない。


 そんなラジー賞授賞式の一番の面白さといえば、“最低”と言われながらも堂々と授賞式に出席する受賞者がたまにいることと、正反対の位置にあるアカデミー賞との関係性だ。圧巻の受賞劇を繰り広げた『ショーガール』のポール・ヴァーホーベンや『フレディのワイセツな関係』のトム・グリーンの楽しげなスピーチ。さらにアフリカ系アメリカ人女優初のアカデミー主演女優賞受賞者であるハル・ベリーが、その3年後にラジー賞を獲った際にはオスカー像を持ってセルフパロディで涙のスピーチを披露。また、第30回にはサンドラ・ブロックが史上初となる同一年のアカデミー賞&ラジー賞ダブル受賞を成し遂げ、翌日のアカデミー賞でも受賞できることを確信したかのような余裕の表情で会場の爆笑を誘ったのだ。


 さらに数年前から新設された「ラジー・リディーマー賞(名誉挽回賞)」ではアカデミー賞候補になったことで名誉を挽回したとして、かつて「20世紀で最低」とまで言われたシルヴェスター・スタローンをはじめ、ベン・アフレックやメル・ギブソンが受賞している。しかしアフレックはその2年後、ギブソンはその翌年に再びラジー賞を受賞しており、この“名誉挽回”というもの自体がラジー賞らしいジョークなのだとよくわかる。ちなみに今年はアカデミー賞主演女優賞にノミネートされたメリッサ・マッカーシーが受賞するものの、同時に別の2作品で最低主演女優賞を獲得するという、何にも挽回できていない結果が実にラジー賞らしい。


 もっとも、日本にも年間のワースト映画を決める賞というのは存在してはいるが、それらとラジー賞とではスタンスが少々異なるだろう。目くじらを立ててワースト映画・俳優を決めるようなことはせずに、一時的な娯楽に留まり映画館を出たら忘れ去られてしまうような“ダメな映画”を、一貫したテーマとユーモア、そして愛情を持って讃える。いわば“ダメ映画のベスト”を決めるといったところだ(おそらく心底救いようのない作品だったら、相手にもされないはずだ)。それを受け入れる観客も映画関係者も懐が広く、ユーモアがわかり、そして何より映画に対する価値観は人それぞれであるということを深く理解しているのだろう。 (リアルサウンド編集部)