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『グリーンブック』が作品賞受賞! 第91回アカデミー賞は“変化へのためらい”を象徴する結果に?

2019年02月27日 14:21  リアルサウンド

リアルサウンド

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 「主役不在」や「大混戦」といった触れ込みがある年に限って、蓋を開けてみれば案外収まるところに収まったという結果になるのがアカデミー賞の常だ。ファンタジー映画という壁を超えた昨年の『シェイプ・オブ・ウォーター』や、監督賞候補漏れというまさかの事態を凌ぎ切った第85回の『アルゴ』。何らかのハンデを持った本命作が危なげなく受賞を遂げる。しかしながら、今年の第91回では本命作として注目されていた『ROMA/ローマ』が、逆転候補の筆頭だった『グリーンブック』に惜敗。一筋縄ではいかない「大混戦」を象徴する結果にまとまり、その点では『スポットライト 世紀のスクープ』が制した第88回のときを想起させるものとなった。


参考:『ROMA/ローマ』はNetflixにて配信中


 助演部門が前哨戦通りの堅い決着となり、主演男優賞はノミネート発表の段階から世界中が受賞を期待してやまないスター性の強い俳優が輝き、そして監督賞の結果で世界中の誰もが作品賞は決したと思いきや、最後の最後でサプライズが巻き起こる。このような流れはまるっきり3年前と同じだ。改めて第91回の流れを振り返ってみると、いかに2018年という年が“激動”の年だったかがよくわかることだろう。作品賞候補の8作品を見渡しただけで、ハリウッドが変化を受け入れるのか、それとも変化しないのか。大きな岐路に立たされていると見受けられたのだ。


 そんな中で授賞式がはじまると、ほとんどの部門が通常のアカデミー賞通り、“収まるところ”へと向かっていく。最多ノミネートという花を持たせてもらった『女王陛下のお気に入り』が、有力視されていた部門で相次いで『ブラックパンサー』に連敗してバランスが保たれると、“音”に関する部門では『ボヘミアン・ラプソディ』が強さを見せる。長編アニメーション賞でディズニー作品が敗れるものの、その代わりのように短編アニメーション賞が与えられて丸く収められる。そして短編部門では“女性の時代”が強く掲げられる結果に。脚色賞では、前哨戦で敗れながらも『ブラック・クランズマン』が逆転勝利を飾る。アカデミー賞で毎年のように取りざたされる人種問題に常に警鐘を鳴らし続けてきたスパイク・リーを讃えるかのようなこの受賞は、ある意味ではひとつの“落とし所”といった意味合いが強く感じられた。そして続けざまに発表されたオリジナル脚本賞でも、『グリーンブック』が受賞することで作品自体の評価の高さと、20年前にセクハラ問題を起こしたことが明るみになって監督賞からノミネート漏れする事態に陥ったピーター・ファレリーへの“落とし所”が与えられたように映った。必然的にこの時点で『ROMA/ローマ』が監督賞と作品賞を同時受賞し、言語や製作国に囚われない映画の多様性と、配信という現代の映画のあり方をアカデミー賞が認めることへの期待感が一気に高まったことは言うまでもない。


 しかも作品賞が発表されるまでに起きたサプライズらしいサプライズといえば、主演女優賞で無冠の女王グレン・クローズがオリヴィア・コールマンに逆転負けを喫したということぐらいか。それでも最も競っていた部門である点や、クローズの対象作が他の部門で候補にあがっていない点、クローズとアカデミー賞の関係性を演出する盛り上げの効果としては、この結果も充分に納得できるものだといえよう。そして授賞式が佳境に突入し、監督賞のプレゼンターとして昨年の受賞者ギレルモ・デル・トロが登場した時点で、もう盟友キュアロ
ンの受賞は約束されたようなものだった。


 しかし大きなサプライズはそのあとに待っていた。ジュリア・ロバーツがプレゼンターを務めた作品賞で、タイトルが読み上げられたのは脚本賞と助演男優賞を獲得していた『グリーンブック』。もっとも、作品賞の結果と直結する(これまで30年の歴史で21回が合致するほど)アメリカ製作者組合賞で作品賞を受賞し、すでに『ROMA/ローマ』や『ボヘミアン・ラプソディ』などのライバルとの決着が付いていただけに、順当な結果という見方もできないわけではない。


 オスカーへの最初の切符といわれている、秋のトロント国際映画祭で観客賞を受賞した同作。この賞に輝いた作品は近10年で9作品がアカデミー賞作品賞に候補入り(残る1作品は考慮資格対象外だったので、100%といってもいい)。実際に作品賞に輝いたのは『それでも夜は明ける』以来5年ぶりのことだ。さらに賞レースの幕開けを告げるナショナル・ボード・オブ・レビューにゴールデン・グローブ賞作品賞(ミュージカル/コメディ部門)、前述の製作者組合賞と、作品賞を獲るには充分すぎる下準備が整っていたのだ。


 しかしながら、人種差別を題材にした作品でありながらもその描き方が白人目線であると批判の声が相次いだこと。さらに主演のヴィゴ・モーテンセンが上映イベントで差別用語を口にして非難を浴び、脚本家であり劇中の主人公のモデルとなった人物の実の息子ニック・ヴァレロンガが過去にTwitterで差別発言をしていたこと、そして追い討ちをかけるように前述のファレリーの一件。いずれも真摯に謝罪してことなきを得たとはいえ、1年を代表する作品に選ばれるには少々ふさわしくないケチがついてしまっていたことは否めない。


 保守的なイメージの強いアカデミー賞にとって、これらの件はマイナス要因として働くのは当然のことだ。それでも他の作品を選ぶに足るだけの、革新的な“変化”への躊躇いがまだアカデミー会員の中に強くあったのだろう。配信映画で外国語映画、アメコミ映画、低評価で製作トラブルがあったポピュラー作品、リメイク映画、題材はオスカー向きでもクセの強い作品たち。しかもそういった中で、数年前から導入されたノミネート作品に順位をつけて最下位に選ばれた票が少なかった作品が残っていくという消極的な投票システムの功罪がまんまと露呈した結果になったわけだ。


 そうなれば“とりあえず万人受けしそうなフィールグッドムービー”が最後まで勝ち残って残るのも仕方あるまい。そのような結果に最も嫌悪感を示していたのは、同じく人種差別を題材にしていた『ブラック・クランズマン』のスパイク・リー監督のようで、「いつも誰かが誰かを乗せて運転していると俺は負ける」と自身が初ノミネートされた年に受賞した『ドライビングMissデイジー』を引き合いに出してコメント。偶然にも『ドライビングMissデイジー』も人種問題を扱って、人種を超えた友情がドライブによって紡がれていく様が描かれているという点で『グリーンブック』と共通するものがあったわけだが、いずれにしてもアカデミー賞の持つ気質や価値観というものが30年前と何ら変わっていないということが証明されてしまったようだ。


 少なくとも『ROMA/ローマ』に期待されていた、配信作品がアカデミー賞で頂点に輝くという可能性は、これからまだまだある。マーティン・スコセッシ監督の最新作『Irish Man(原題)』をはじめ、アン・ハサウェイとベン・アフレック、ウィレム・デフォー共演の『The Last Thing He Wanted(原題)』などが来年の賞レース参戦を噂されているのだ。今年は「配信」「外国語」「白黒」という幾重にも重なった高い壁があったわけだが、来年は純然と「配信」か「劇場公開」かという価値基準の中で、ひとつの明確な答えが見出されることになるだろう。 (文=久保田和馬)