■韓国で100万部の『82年生まれ、キム・ジヨン』が日本でもヒット
韓国で100万部を超えるベストセラーを記録した小説『82年生まれ、キム・ジヨン』が邦訳され、12月に刊行された。完売店が続出し、発売から2か月で発行部数8万部を突破するなど、日本でもアジア文学の翻訳作品としては異例とも言えるヒットを記録している。
本作は1982年生まれの韓国の女性キム・ジヨンの半生を、彼女を診察する精神科医のカルテという形で回想する。誕生から学生時代、受験、就職、出産、育児といった彼女のライフイベントを淡々とドキュメンタリーのように綴る中で、女性が人生で当たり前に直面する様々な不平等や差別が浮かび上がる。
また2月21日には、同書の著者チョ・ナムジュが表題作を執筆した、女性作家7人によるフェミニズム小説の短篇集『ヒョンナムオッパへ』の邦訳が刊行された。
2月19日にチョ・ナムジュが来日し、報道陣向けの記者会見と、作家の川上未映子らを招いたトークイベントを行なった。その模様をレポートする。
■「国や環境が違っても同じような社会状況が共感に繋がったのでは」
記者会見にはチョ・ナムジュと翻訳者の斎藤真理子が登壇した。
<チョ:『82年生まれ、キム・ジヨン』がこのように日本で多くの読者の方に読んでいただくことは予想していなかったので驚きました。とても嬉しいという気持ちが大きいです。>
チョは韓国でも報道されていたという、「保育園落ちた、日本死ね」と書かれた匿名ブログのニュースや、東京医大の入試における女性差別問題などに触れながら、日本でのヒットの理由を分析した。
<チョ:SNSやネットで日本の読者が感想をあげてくださっているのを見ましたが、日本人だけど共感した、似た経験をしたというのを数多く見かけました。国や環境が違っても同じような社会で通じることがあったから、日本の読者の共感に繋がったのかなと思います。>
また本書の執筆時を振り返り、自身の経験を語った。
<チョ:私もキム・ジヨン氏と同じキャリアの断絶を経験しています。育児をしながら次の進路に悩んでいる時、自分の能力が欠けているのではないかなどと自分を責めている時間が長くありました。しかしそれは全て自分の問題なのだろうか、女性を取り巻く環境がそうさせているのではないか、自分の選択が社会の制度や空気の影響を全く受けずにいられたのだろうかと考えるようになったんです。>
翻訳を手掛けた斎藤真理子は印象深い日本の読者の感想を紹介した。
<斎藤:読者からの声でハッとしたことがありました。「#MeTooはバリキャリのような女性たちの問題で、自分とは遠い問題だと思っていたが、『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んで自分が経験してきたことが社会問題の1つだと気づき戸惑っている。でも気づけて良かった」という声をいただきました。この本には、自分が認識していなかったことに名前をつけてくれる力があると思います。>
■表題作を手掛けたフェミニズム小説の短篇集『ヒョンナムオッパへ』も刊行
もう1つの作品『ヒョンナムオッパへ』では、男性から抑圧を受けている女性が主人公になっている。
大学卒業後、放送作家として働いていたチョは家庭内暴力に関するテレビ番組を制作したことがあり、そこで暴力を受けている女性は、社会的地位や経済的な能力、社会で発言する力もある人物だったという。
<チョ:そのような女性が男性との関係においては暴力を受け続けているという状況が理解できないと思いながら、その理由について長年考えてきました。心理的な部分で被害を受けた人が自らの状況を認知できず、自ら状況から抜け出すことができない、ということについて考えている時に執筆の依頼がきました。短い作品の中で、1人の女性と男性の間に起きたことを完成させたい、という思いでした。>
■「社会の変化と共にある小説として記憶されてほしい」
『82年生まれ、キム・ジヨン』は韓国で刊行後、国会議員が他の議員に贈ったり、検事長から受けたセクハラを告発したソ・ジヒョン検事も本書に言及するなど、社会の様々な場面で引用された。ソ・ジヒョン検事による告発は、韓国国内の#MeToo運動の火付け役となった出来事だ。
<チョ:韓国の国会ではいま、別称「『82年生まれ、キム・ジヨン』法案」として、雇用関係・保育関連の法令が発議されています。ソ・ジヒョン検事の事件でも加害者に一審で実刑判決が出ました。そのように今後#MeToo運動で起きた様々な出来事に対して色んな結果が出てくると思いますし、この先もそういった動きが実を結ぶと良いと思う。そうした社会の変化と共にある小説として記憶されてほしいという願いを持っています。>
■川上未映子が分析する『82年生まれ、キム・ジヨン』の二重構造。「張り巡らされた出口のなさ」
会見後に行なわれた一般公開のトークイベントには、チョ・ナムジュ、川上未映子、斎藤真理子、翻訳家のすんみの4人が登壇した。
ここではまず『82年生まれ、キム・ジヨン』の小説の構造について意見が交わされた。
本書は精神科医のカルテという体裁をとっており、キム・ジヨンが経験する様々な出来事はあくまで淡々とした筆致で報告書のような形で綴られる。川上未映子は「この作品はまるでロールプレイングゲームのように、私たちが知っていること、女性が社会で生きていると遭遇する典型的な『あるある』が積み重った構成になっている」としたうえで、本書の構造の妙を次のように考察した。
<川上:でも実際にはこのような典型をそのまま生きている女性はいないんですよね。実際の人生にはもっと様々な例外的なできごとがある。女性の半生を書くうえで影のようなものはどうしても出てくるものですが、この小説はそういった部分を意図的にごっそり落としている。
なぜこういう書き方になっているかというと、これを記述しているのが最後に出てくる男性精神科医だったという構造がある。つまりボロボロになっている女性が来て、喋っている言葉を聞いても、男性的な言語や理解ではこのようにしか記せないということが示されている。>
さらに川上はこう続ける。
<川上:そんな男性の理解を通して単純化された女性の半生を読んで、私たちは『これが私たちの物語だ』と思ってしまう。こんなに単純化された、男性による記述なのに。この二重構造、張り巡らされた出口のなさ。いかに女性がこうした視線を内面化しているかを表す、的確な構造だと思いました。>
■「小説を書きたい」ではなく、「女性の人生を歪めることなく書きたい」が出発点
チョ・ナムジュは川上の発言を受けて、報告書という形式や精神科医という語り手を用いたことについては、本書に多く登場する統計やニュースなどの客観的な資料を違和感なく溶け込ませるためであると説明。
<チョ:それを誰に語ってもらうのが良いかと考えた時、キム・ジヨンの感情や歩んできた人生をわかる人間、その相手として話を聞いてきた精神科医が報告書を作るという構成にするに至ったんです。>
また物語がピークに向かっていくような伝統的なスタイルの小説とは一線を画す本書の構造が生まれた背景も明かす。
<チョ:この作品を書いた時、読んだ人が小説だと思わなくても良いと思いました。ルポや事例集のようだと受け止めてもらっても構わないと思いました。私にとって小説を書きたいというのが出発点ではなく、女性の人生を書きたい、私と同世代の現代を生きる女性の人生を歪めることなく、卑下することなく書き記したい、という思いが強かったんです。
また私は文学専攻ではないし、ある意味文学の世界についてあまり知らなかったからこそ、自分の伝えたいことに集中できたので、このような作品が書けたのではないかと思います>。
本書のラストに込めた思いについても言及。物語の語り手である精神科医は、キム・ジヨンや自身の妻の置かれた状況に理解を示しているように見えるにもかかわらず、物語の最後に絶望的とも言えるような結末をもたらす。このラストについてチョは「悲観的な思いをこめたのではない」と強調する。
<チョ:精神科医はキム・ジヨン氏や妻に愛情や関心を持っている人物です。それでも自分の業務に関連したことにおいては全く違う判断をするという結末を示すことで、当事者でない男性が女性にまつわる問題を理解していたり、サポートする意思があったとしても限界がある、より広い反映で共に悩みながら制度や慣習を変えていかなくてはいけないということを提案したかったのです。>
■韓国文学と社会の関わり。「私たちは声を上げることで世の中を変えていけることを体感している世代」
さらに話は韓国文学と社会問題の関わりにおよぶ。
斎藤真理子は「韓国文学には『正しさ』への強烈な欲求みたいなものを感じる」と指摘する。『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』(イ・ミンギョン著)の訳者の1人であるすんみはこれについて次のように考察した。
<すんみ:お話を伺っていて、韓国では日帝時代から文学には何かと戦うという役割があったのではないかと思いました。民主化運動のときも文学をもって軍部政権と戦ったという経緯があります。文学は常に社会的な問題に背を向けることができなかった。
時代がそうさせたのか、文学がそうあるべきだとされていたかは一概には言えませんが、歴史的にそういった役割を文学が担ってきたという部分はあるのではないかと思います。>
チョは現在の韓国社会の状況についても説明。
<チョ:(今の人々は)ロウソク革命によって自分たちが街に出て発言することで世の中が変わるということを全身で感じた世代でもあります。またセウォル号事件によっても社会全体で感じる共通の痛み、悲しみを経験しています。これは韓国の人全般に行き渡っている共通の感覚とも言えると思います。韓国では様々な出来事を通じて、ある種の正義や正しさについて社会的な合意が形成されたのではないかと思います。>
韓国では#MeToo運動や女性たちによるデモが活発に行なわれているが、最近はそういった動きを受けて性差別的な発言が撤回されたり、謝罪が行なわれたりという成果が見られるようになってきた。
<チョ:私たちは、声を上げることで世の中を変えていけるということを体感、共有している世代だと思います。小説家もそのような社会の空気から影響を受けて、そういったことをテーマにした作品も増えてきています。>
■「オッパ」と「主人」。男性にまつわる日韓の呼称に潜む固定観念
最後に、会場が最も大きく沸いたのはこのたび刊行された『ヒョンナムオッパへ』で使われている「オッパ」という呼称について話題がおよんだ時だった。
「オッパ」というのは本来は家庭内で年下の女性が年上の男性(兄)を呼ぶ際に使われていたが、現在では社会や恋愛関係の中で年下の女性が年上の男性を呼ぶ際に一般的に用いられている。
以前から「オッパ」という呼称の使われ方に違和感を抱いていたというチョが「『オッパ』は男性が持っている権威や力をロマンティックにコーティングした呼び名にも思える」と語ると、川上は日本で夫に対して「主人」という言葉を使うことに触れ、主従関係が表す「主人」という呼称を使うことをやめようとコラムに書いたところ、多くの反響が寄せられたことについて話した。
チョはこれを聞いて「日本では今もそんな呼び方が使われているのですか?」と驚きの表情。イベントの締めくくりの挨拶で「『オッパ』について話している場合ではないような気がします」と鋭い一言を残した。
■次回作は、架空の都市国家で不法在留者が住むマンションの物語
チョはトークの中で「キム・ジヨン氏は本の中で何か行動を起こしているわけではないが、読者が本を読んで声をあげることで作品を完成させているのではないかと思った」と語っていた。
『82年生まれ、キム・ジヨン』はチョの言うとおり、主人公の体験する困難について解決策を示すものではなく、そこから何を感じるかは読み手に委ねられている。日本では性差別、不平等の問題について韓国ほどの大きな抗議運動は起きていないのが現状だが、日本でもこの本を読んだ読者が自分の物語を語り、他の人と話し合うというアクションが、社会で大きなうねりを起こす第一歩となるかもしれない。
チョの次回作は、時代も場所もわからない都市国家にある、不法在留者が住む古いマンションを舞台にした作品とのこと。「私も女性として生きてきて、このまま男性中心の社会の主流に入っていけないのではという悩みがあった。女性というテーマが全面に出ているわけではないが、中心部ではなく周縁部に生きる人々の悩みが表現された作品です」と明かしてくれた。
1冊の小説で現実の社会問題へと密接に関係する波紋を起こしたチョ・ナムジュ。その語り口からは一貫して社会から無視され、主流から取り残された人々に眼差しを向ける、強い意志が感じられた。