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無精髭を生やし、山中で孤独な炭焼きに励む 稲垣吾郎が紡ぐひとつの“半世界”をのぞき見る

2019年02月26日 08:31  リアルサウンド

リアルサウンド

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 稲垣吾郎が、炭焼き職人・高村紘として生きる『半世界』。監督の阪本順治は「“半世界”というのは、ハーフ・ワールドではなく、アナザー・ワールド」だと語った(参照:https://filmaga.filmarks.com/articles/2306)。本作では、地方都市を舞台に、名もなき小さな営みを描き出し、そこからもう一つの世界を見ようというのだ。


 紘(稲垣吾郎)は、父から製炭業を継ぎ、妻と息子と細々と暮らしていた。そこに、自衛官を辞め、妻子と別れたという同級生の瑛介(長谷川博己)が帰ってくる。ふたりと幼なじみで、中古車販売を自営でしている光彦(渋川清彦)と共に、久しぶりの再会に喜ぶ3人。だが、瑛介には何か心に傷を抱えているように見える。なんとか瑛介に向き合いたいと近づく紘と光彦だったが、壁を作られてしまう。引きこもる瑛介を外に出すため、紘は「俺の仕事、手伝えよ」と、声をかけて……。


【写真】無精髭を生やした稲垣吾郎


 スクリーンに映し出される稲垣は、これまで多くの人が知る彼のパーソナルイメージとは大きく異なる。無精髭を生やし、がさつにニット帽を被る。ドアを強くノックして、遠慮する友に「甘ったれんじゃないよ」と大きな声を出す。その風貌、その仕草一つひとつに対する圧倒的な違和感が、むしろ現実社会の稲垣とは異なる、紘の人生=アナザー・ワールドに強く引き込まれる。高級ワインではなく、徳用の焼酎ボトル。多くの観客が見守るショーではなく、山中での孤独な炭焼き。多くの女性をときめかせるジェントルマンな立ち居振る舞いはもちろんなく、家庭のことは妻の初乃(池脇千鶴)に頼りきりで、反抗期の息子・明(杉田雷麟)との関係も雲行きが怪しい。


 一方、仕事には真面目でまっすぐな紘。自分の身長より遥かに高いウバメガシをチェーンソーで切り倒し、ワイヤーにくくりつけてクレーンでトラックに積み、窯に運ぶ。1000度以上にもなる炎を見つめ、タイミングを図って炭をかき出す。まだ火花が散る炭に、大きなスコップで灰をかけて……を繰り返す。現代的な機械は必要最低限しかない。昔ながらの器具での人力頼み。39歳、代わり映えのない日々に見えて、ふと、息の上がる体に年齢を感じるのだった。


 もし稲垣が、地方の炭焼き職人の家に生まれ、華々しい芸能界に入ることなく、大人になったとしたら、このような人生を過ごしていたのだろうか……そんなふうに思いを馳せるところから、“半世界”という言葉が心の中でズシンと響いてくるような気がした。


 私たちはどう頑張っても、半分の世界しか生きられないのだ。自国と他国。地方と都市。自分と誰か。親と子。男と女……こっちの“世界”と、あっちの“世界”というボーダーを設ければ、いつだってその先には必ず知らない“半世界”ができる。誰ひとりとして、同じ世界を見ている人はいない。自分が見えている世界があれば、見えていない世界が常に存在し、永遠にすべてを網羅することはできない。また、ある選択をすれば、そうしなかったもうひとつの世界が生まれる。思わぬ事件・事故が起これば、そうならなかった世界を求めてしまう。


 そして、本作の主人公たちのように、人生のハーフポイントとも呼べる年齢に差し掛かると、残りの人生という“半世界”も意識するようになる。同じスタートラインにいたはずの友人たちは、気づけば全く異なる世界で生きている。淡々と自分の世界を走り続ける中で、“本当にこの道でよかったのか”と不安になることも少なくない。“あのとき、あの道を選んでいれば”、”あのとき転ばなければ”……“もしかしたら、今ごろ別の世界を走っていたのかもしれない”、と。


 地元に残って家業を継いだ紘と光彦と、海外に出た瑛介。結婚した紘と瑛介と、未婚の光彦……それぞれが異なる道を選んできたが、それでも紘も光彦も「二等辺三角形じゃない、正三角形だ」と瑛介に告げる。そして、3人で酒に酔って押しくら饅頭をしながら〈負けない事・投げ出さない事・逃げ出さない事・信じ抜く事/駄目になりそうな時 それが一番大事〉と、大事マンブラザーズバンドの「それが大事」を歌うシーンに、なんだか胸が熱くなる。


 誰もが最善の選択をして、今の世界を生きている。だが、誰もそれが正解だとは教えてくれない。しかし、1人で走っていても、独りではないこと。理想通りとはいかなくても、自分の世界も悪くないと思えるのは、そんなふうに誰かと繋がれたときなのだろう。別の世界を生きているからこそ、どうしようもなくなった相手の世界から、新しい世界に手を差し伸べることもできる。


 世界は、残酷で、孤独で、“駄目になりそうな時”で溢れている。それでも“生きること”は容赦なく続く。だからこそ、“半世界”にいる相手と繋がり、ときには押しくら饅頭をして温め合わないと凍えてしまう。その相手がいる世界が、たとえ想像を絶するあっち側の世界だったとしても……。本作は、稲垣が紡ぐひとつの“半世界“をのぞき見することで、それぞれの半世界を認め合い、そしてまだ見ぬ未来も大切にするキッカケを作ってくれる。


参照
・https://gqjapan.jp/culture/movie/20180531/goro-inagaki-han-sekai


(佐藤結衣)