2019年02月25日 10:41 弁護士ドットコム
前橋地裁太田支部は2018年12月、計382円相当を万引きして窃盗の罪に問われていた女子マラソンの元日本代表選手、原裕美子さんに対し、懲役1年、保護観察付き執行猶予4年の判決を言い渡した。
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裁判で注目されたのは、原さんが万引きをやめたくてもやめられない「クレプトマニア(窃盗症)」だったことだ。
クレプトマニアの患者が刑事事件を起こした時、どんな制度や社会的支援が必要なのか。長年クレプトマニアの弁護を続け、原さんの弁護人も務めた林大悟弁護士に話を聞いた。(ライター・高橋ユキ)
ーー原さんは17年にも2700円相当の品を万引きし、窃盗罪で執行猶予判決を受けていました。18年12月に判決の出た事件は、執行猶予期間中に起こした再犯でした。裁判で原さんは、マラソンによる過度な体重制限がきっかけで摂食障害を発症し、食べるものを盗るために万引きを繰り返すようになったと明かしていました。林弁護士が関わってきたクレプトマニアの方々は、何がきっかけで万引きを始めた人が多かったですか。
(林大悟弁護士)「仕事や生活上のストレスなどは、確かに直前の引き金や中間的な原因にはなっているかもしれません。ですが多くの人は、ストレスを感じても万引きをしないわけで、原因はもっと根本的なところにあります。
たとえば、生まれ育った環境が機能不全家庭だったり、若い頃に性被害にあって、それを誰にも言えずに放置されたりした人もいました。
クレプトマニアには女性が多いのですが、大体10代後半で摂食障害になり、食品の万引きから始まり、だんだん他のものも盗るようになり、最終的にクレプトマニアを合併するという経過が多いです」
ーー執行猶予中に再び窃盗罪に問われた際、実刑判決になる場合もまだ多々ありますが、徐々に変化してきているようにも感じています。クレプトマニアの方々が刑事事件を起こした際、どんな社会的支援が必要でしょうか。
(林弁護士)「まず医療、その中でも効果の高い入院治療をすべきだと思います。まだ少ないですがクレプトマニアの治療を行う医療機関はいくつかあります。
社会福祉士や精神保健福祉士など、トータルでサポートする人が必要だと感じていますが、まだまだ制度は不十分。そのため、弁護人が事実上その役割を担っているのが実状です。
刑事手続きにのった時はチャンスでもあります。司法手続きの枠内で、医療と繋がりどう再犯防止できるかを考え、更生支援計画を組み立て、弁護士主導で実行するのが一番スムーズなのだろうと思います。
私は2014年にクレプトマニアの回復支援団体である『アミティ』を作りました。病院の紹介や、入院中の人のフォロー、退院後の出口支援など行う団体です」
ーー公判で原さんは逮捕後から入院治療を開始し、退院したのちは中間施設から職場に向かう生活を送っていると語っていました。退院後、気をつけることはありますか。
(林弁護士)「裁判や治療をすると、病院や弁護費用で、時間とお金がかかるので『早く働いて取り戻さなきゃ』という焦りから、社会復帰を急いでしまう場合があります。
ですが、通院がまだ必要な時期にフルタイムの仕事に戻り、ストレスフルな人間関係に身を置くことで再発してしまうことがある。私の依頼者でもそういった方は一定数います。
焦りは本当に禁物です。また、保護観察官が悪気なく早期の就労を勧める場合があるのですがそれは逆効果なのです」
ーー原さんは昨年12月に裁判が終わりましたが、現在、どのような段階にありますか?
(林弁護士)「現在も中間施設で生活していますが、社会復帰を円滑にすすめていく段階に来ています。しっかりと入院治療をして退院し『維持ステージ』といって治療の効果を維持する段階にいます。
通院を真面目に、決められたペースで続け、ご理解のある、事情を全て知っている職場に通勤し、規則正しい生活をして、施設で共同生活をして、いま考えられる限りいちばんベストな環境に身を置いていると思います」
ーー完全に社会復帰した後は、どれだけ充実した生活を送れるかも非常に重要になってきますね。
(林弁護士)「そう思います。彼ら、彼女らが社会で活躍するのが究極の目標です。治療後の人生の質というか、充実度はすごく大事ですよね。どこまで弁護士が伴走するのかという問題はもちろんありますが。
いま『アミティ』では、クレプトマニアのキャリアを再構築し、リスタートできるような場所を作りたいと、就労支援事業を始める準備をしているところです。そこまでやって本当の回復、人間的成長、克服だと考えています」
ーーちなみに先生は今年からランニングを始めたとお聞きしましたが、それは原さんの影響でしょうか?
(林弁護士)「原さんと最近話した時に『土日寂しくて死にそう』って言ってたので、日曜でも彼女を誘い皇居を走ろうかなと思って企画しているんです。
友達がいないから気が狂うほど寂しいと言うんです。平日はまだ会社があるけれど、土日が寂しいと言っていて。この数年は、婚約破棄や事件を起こし、慌ただしく過ごしていたんです。裁判が終わったいま、忙しさで紛れていた本来の寂しさに気づいたのだろうと思います。
心に余裕が出てきた現れなのでしょうから、決して悪いことではありません」
ーーまた、クレプトマニアを話題にすると、よく聞くのが「犯罪を病気のせいにするのか」「甘えだ」という声ですが、それについて林先生はどうお考えでしょうか。
(林弁護士)「本人たちは病気のせいにしていません。むしろ『意志の弱さから万引きするのだ』『甘えている』と周囲から言われなくても、自分自身で『気持ちが弱いからだ』、とか『意志を強く持とう』と思い続けているのに、繰り返す。
常にダメだダメだと罪の意識に苛まれていますし、許されないことだと十分理解もしています。また本人たちは病気の認識が薄いので、医師や弁護士が『あなたは病気だから、治療が必要だ』と、認識を植え付けることからクレプトマニアの克服は始まります。
自分の意思ではどうしようもないのだと、まずそれを認めることから始める。病気と本人が認めることが第一ステップです。彼女たちは病気に逃げたりしていないし、むしろ病気の認識が薄い。まずそこを理解してほしいと思っています。
周囲から見れば甘えているように見えるし、未熟に見える。薬物依存症もクレプトマニアも、やってはいけない行為を繰り返すので『認識が甘いんじゃないのか』と思われてしまうのですが、実は、本人たちは悩んでいるし、止められないのが依存症なんです」
【取材協力】林大悟弁護士 東京弁護士会所属・全国万引犯罪防止機構正会員・一般社団法人アミティ代表理事・日本労働弁護団常任幹事・一般社団法人弁護士業務研究所理事。主にクレプトマニア患者や認知症に罹患した高齢者の万引き事件、性依存症者による性犯罪事件等に特化して全国で弁護活動をしている。 事務所名:鳳法律事務所 事務所URL:http://yokohamaootori-law.com/
【プロフィール】高橋ユキ(ライター):1974年生まれ。プログラマーを経て、ライターに。中でも裁判傍聴が専門。2005年から傍聴仲間と「霞っ子クラブ」を結成(現在は解散)。主な著書に「霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記」(霞っ子クラブ著/新潮社)、「木嶋佳苗 危険な愛の奥義」(高橋ユキ/徳間書店)など。好きな食べ物は氷。
(弁護士ドットコムニュース)