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安田顕が語る、キャリアを積んだ今だからこその演技論 「色んな感情の起伏が出てくる」

2019年02月22日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 安田顕が主演を務める映画『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』が、2月22日に公開される。原作者の宮川サトシが実際に体験した母との最期の日々から葬儀、そしてその後の生活の日々を描いたヒューマンドラマだ。衝撃的なタイトルとは裏腹に、「家族の死」というテーマにあたたかな視点とユーモアを加え、普遍的な感動をもたらす本作。安田顕に、本作へのアプローチを語ってもらった。


参考:松下奈緒が、再び漫画家の妻に 『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』本編映像


ーー原作は、宮川サトシさんの実体験をもとにしたWEB漫画ですが、最初に読んだ時はどんな印象を受けましたか?


安田顕(以下安田):最初読ませていただいて、感動しました。笑ったし、涙しましたね。宮川さんの独特の視点や客観性だったり、なかなか出てこない発想が沢山あって心を打たれました。普通に体験を描いただけだと作品にはならないけど、そういう独特の感性をお持ちの方だったので、それを大森立嗣さんが脚本化して、大森さんなりの作品になっているのかなと思いました。


ーー実際に宮川さんとは会いましたか?


安田:葬儀場での撮影で、宮川さんと奥さんと娘さんと、宮川さんのお兄さんとお会いする機会がありました。お話はあまりできなかったんです。「どういう気持ちでしたか」とか質問しようかなと思いましたが、なんとなく聞かなくて。ただ宮川さんと奥さんと娘さんが手を繋ぎながら歩いていて、その後ろ姿を遠目に見た時に、「ああ、これで何も聞くことはないな」と、一本自分の中で芯が通ったと感じました。その姿が見れただけで、作品に対するモチベーションや取り組み方が自分の中で定まったというか。


ーー「身内の死」というテーマにあたたかな視点が加わっていますよね。


安田:「俺はこう思うんだよ」とストレートにやるより、宮川さんの言葉遣いや視点、ユーモアがあった方が伝わるんでしょうね。「死にはエネルギーがある。親の死は自分を前に進ませるんだ。そう思って俺は死んでいく」というシンプルな言葉の中に、人の心を動かすものが沢山あります。それは、生み出そうと思って生み出せるものじゃないから、僕らは気づかされる。そういうものがこの作品には流れている気がします。もちろん悲しいことですが、母が残してくれたものがなんなのか。思い出や母がしてくれたことは、自分の子どもができた時に照らし合わせることができるだろうし、遺された者が受け継ぎ伝えていく。この作品は決して悲しいだけじゃなく、微笑ましいところが多々あって、僕も完成した映画を見た時に、あたたかい気持ちになれたし、いつもより前向きな自分がいました。人に対して優しいまなざしを持てる自分がいたので、この作品にすごく感謝してます。


ーー母親役を演じられた倍賞美津子さんとの関係性はどのように築いていたんですか?


安田:極力そばに居るようにしました。もちろん、撮影の合間は役に集中する時もありますから、様子を見ながらですが。現場に入ってからは、そばにいて世間話をしたりして共に時間を過ごしていました。「ここはこういう役だから私はこうしたい」みたいな会話は、ほとんどありませんでしたね。


ーー母のガンを告げられた時の「がーん」が印象的でした。


安田:僕もわからないから想像でしかないんだけど、そういうこともあるのかなと思いました。衝撃的なことが起こった時、その時点では信じられないですが、後から現実というものがジワジワと襲ってくるじゃないですか? そういう重みがありますよね。


ーー本作は男性陣が右往左往しています。その中心で芯を持っているのが松下奈緒さん演じる恋人の真里ですね。


安田:松下さんは素敵だしすごく面白い方でした。気さくですし、ご一緒していて楽しかったです。この作品における真里ちゃんの存在はすごく大きくて、精神的には女性の方が強いんだろうなと。母を慮るよりは、失うことへの「嫌だ」という気持ちが強かっただろうし、真里ちゃんのポジションじゃないと言えないものがあると思います。


ーー駐車場でのやりとりも救いがありましたね。


安田:そうですね。ああいう本音でのケンカってそうそうできないですから。


ーー一方で、男性陣は言葉を口にはしないですよね。村上淳さん演じる兄と石橋蓮司さん演じる父と、お墓を買いに行くシーンや一緒にタバコを吸うシーンは台詞はないですが、会話が成立しているような雰囲気がありました。


安田:僕もあのシーンは撮りながら、「うわ! 映画撮ってる!」って思いましたね。タバコを吸うシーンにしても、それぞれ見ているもの、感じていることがちょっとずつ違うんだろうけど、寂しさだったりそこからどう進んでいこうとか、そういうものを共有している。だから”引きの画”っていいですよね。僕もあのシーンすごく好きなんだ。なぜ好きなのか漠然としていたけど、きっと今言ってくれたことが理由かもしれないですね。


ーーその後、3人で湖に向かい感情をぶつけ合いますが、あのシーンは原作にはありませんでしたね。


安田:僕が子どもの頃は、高校生が夕日に向かって叫んだりするドラマがあったんだけど、大の大人が、あれをやっちゃうのがなんとも好きで。「泳ぐぞ!」って言って、親父が「泳げない」、俺も「泳げない」、兄も「俺も泳げねえ!」って(笑)。言葉にならないものがいっぱいあるような気がして、そこに見ている側は心が動かされていくんでしょうね。


ーーこれまで演じてこられた役柄だと、安田さんは同年代や下の世代の方とぶつかり合う印象があります。


安田:そうなんですかね……。何年か前に笑福亭鶴瓶さんと『スジナシ』という番組で2人芝居をしたんです。その時に鶴瓶さんが「ぶつかり合うんじゃなく、一緒に作っていくんだよ」とおっしゃっていて。僕は、「その感覚か」と思いました。文字通りぶつかるというよりは、ともに1つの作品に向き合って作っていくという。今回、倍賞さんや石橋さんとの共演を通して勉強になるところが多くありました。年齢を重ねていくことは心のヒダが沢山できることだと思います。それができれば、普通の格好で普通に喋っていても、その人のヒダってきっと伝わりますよね。女装したり眉毛を潰して怖い格好したりするアプローチは、僕の性に合っていて、それを求めて下さる方も多いのですが、本当はそれを取っ払っても、年齢を重ねていけば色んな感情の起伏が出てくる。お二人の芝居からは、そういったものを感じました。


ーー見ている側としては、柔和な雰囲気の姿から突然叫んで泣いて曝け出す姿に、安田さんのヒダが表れているように感じました。


安田:ありがとうございます。鼻水垂らして泣くシーンが最終日だったんだけど、気づいたら、台本一枚一枚に無意識に手を当てている自分がいて。撮ってきたものに対して、色んな感情が溢れていました。それくらいあの台本が愛おしかったし、その時の自分にとっての精一杯を出し切れたのかなと思います。


ーー安田さんは昨年から『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』『愛しのアイリーン』と主演作が続いてますね。


安田:本当にありがたいことです。ただ、それは今までの貯金だったりするので、コンスタントに色んな役をやれることが一番嬉しいことだけど、ひとつひとつ今いただけたものを感謝してやっていくしかないです。「これで大丈夫だ」という気持ちは全然ないし、至らないところはたくさんあると自分では思います。また今回のような作品に出会えたらいいですし、周りの方から、自分が常に後押しされる存在であるように一生懸命やっていくしかないと思います。


(取材・文・撮影=安田周平)