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生まれながらにしての俳優・神木隆之介 『フォルトゥナの瞳』で見せる、大人の表情

2019年02月22日 08:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 全国映画動員ランキング初登場1位と、華々しいスタートをきった『フォルトゥナの瞳』で、初のラブストーリーに挑んだ神木隆之介。“初の”とあれば、とうぜん彼の新たな表情が見られることは確実である。


【写真】『バクマン』出演時の神木隆之介


 子役として俳優活動をスタートさせた神木のキャリアは、すでに20年を越えている。物心がつくよりも前からの活動開始とあって、彼こそ真の意味で“ナチュラル・ボーン・アクター(生まれながらにしての俳優)”と呼んで差し支えないだろう。それは、これまでの彼の俳優としての軌跡をたどれば一目瞭然であり、辿ることでこそ、その確証を得られるだろう。


 12歳の頃に公開された『妖怪大戦争』(2005)で、早くも日本を代表する演技者陣の先頭に立ってみせた神木。それ以降、手堅くキャリアを積み上げ、青春映画の新たな金字塔となった『桐島、部活やめるってよ』(2012)の主演で、現在の地位を不動のものとした。その後は、舞台の映画化であり、比較的公開規模は小さかったものの得難い作品となった『太陽』(2016)や、人気漫画の実写化作品『バクマン。』(2015)、『3月のライオン』(2017)でも主役として、唯一無二の存在感を示してきた。いずれもの作品が、その年を代表する邦画作品の一つに数えられるものだろう。


 しかしながら、引っ張りだこな人気子役であったことや、あどけなさが残る顔立ちも相まって、25歳の現在も、いまだにそこから抜けきれていない印象が強かった。だがこれはもちろん、多くの方がポジティブな心持ちで受け止めていたはずである。いつまでも若々しい役どころを演じられるのは強みであるし、事実彼は、いくつのときもその世代のトップ俳優として、同世代の者たちをリードしてきたのだ。


 だがそんな神木も、いまや20代半ば。もうそろそろ「大人な神木隆之介を見たい」、そういった声も上がってきていたのではないだろうか。『刑事ゆがみ』(2017・フジテレビ系)などで“大人役”を演じてはいるものの、まだまだ未熟さの感じられる役どころであったことは記憶に新しい。この“未熟さ”こそ、神木が演じてきたキャラクターの多くに見られる個性であり、この『刑事ゆがみ』は神木の特色を活かしたキャスティングであるとも言えたが、もう少し、彼の芝居の幅が見たいのだ。


 今作『フォルトゥナの瞳』で神木が演じる木山慎一郎は、幼い頃に遭った飛行機事故により、“フォルトゥナの瞳”を得てしまった。これは、“死を目前にした者が透けて見える”という不思議な力だ。彼は他人と深く関わることを避け、波風が立たぬよう素朴に振る舞う、寡黙で仕事一筋な若者である。


 そんな彼の前に、運命の人・桐生葵(有村架純)が現れる。この物語は容易に想像できるように、恋人となる葵の“死の運命”が慎一郎には見えてしまい、彼はどのように振る舞うべきか、というものが主題となる。彼はその死を回避しようと努めるが、運命を変えてしまうことには、それなりの代償を支払わなければならない。その代償の行き着く果ては、やはり自身の死である。


 本作は恋愛ものではあるが、ベースにそういった壮大なテーマがあることもあり、終始重苦しい雰囲気が漂っている。神木の得意な、弱腰で、おどけてみせるような若者像は慎一郎には見出だせず、強く根付いていたように思えるこれまでの神木のイメージとは大きく異なっているのだ。しかし寡黙な青年役とあって、セリフは多くはない。とうぜん彼は、視線や仕草といった細部でキャラクターを表現していかなければならないのだ。“死の運命が見える力”とは、多くの者にとって、見たくないもの、また、見なくてもいいものが見えてしまう、というふうにも言い換えられるだろう。望まぬ特殊な力を持って生きる彼の瞳には、若くしてすでに諦念の色が見え、演じる神木の据わった目つきにはブレがない。しかし運命の人との出会いによって、少しずつ明るい方へと変化していくその瞳に惹きつけられる。神木がどこまで自身の「瞳」に意識的であったかは分からないが、“瞳の映画”らしく、慎一郎の心情が、そこには繊細に反映されているのだ。


 今作で神木に対する印象が、がらりと変わった方も多いでのはないだろうか。筆者もその一人である。だが、神木のこういった細やかな表現力の高さが、今作で急に開花したわけではないことは誰もが知るところだ。「もっと色んな表情の神木隆之介が見たい」、私たちがそう声を上げることで、彼が秘めるポテンシャルは、次々と顔を見せてくれるのではないだろうか。4度目の出演となった大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』(NHK)でのヤンチャな姿も、漏らさずに見守りたいところである。


(折田侑駿)