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ジェイソン・モモアの魅力が爆発 絶対に観客を飽きさせない『アクアマン』の豪快さと緻密さ

2019年02月21日 10:01  リアルサウンド

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 アメコミ界の老舗・DCが展開する映画シリーズ、DCEU(DCエクステンデッド・ユニバース)の通算6作目にあたる、『アクアマン』。2017年の『ジャスティス・リーグ』で銀幕デビューを飾ったジェイソン・モモア扮するアクアマンは、その名の通り、海中を猛スピードで移動する豪快なヒーローだ。しかし、同作ではクライマックスのアクションシーンが普通に地上だったこともあり、彼の真価を十二分に堪能することは叶わなかった。それもあってか、満を持しての主演作公開に向けて、アメコミ映画ファンの期待値は輪をかけて高まっていたことだろう。


参考:興収2週連続1位の『アクアマン』 その空前の大ヒットがDC映画に与える影響は?


 実際に鑑賞してまず印象に残ったのは、映画全体が持つ壮大なスケール感である。それはもはや、「海」と一口に表現するのがはばかれるほど。


 ドラマチックな情景の灯台、思わず見とれてしまうサハラ砂漠、潮の香りすら感じさせるシチリア島の街並みなど、様々なロケーションで観客を楽しませてくれる。また、海底に存在する巨大帝国の建築物や、その大きさに思わず目を見張る石像、クライマックスに登場する海底怪獣など、海という得体の知れない領域の「広さ」や「深さ」がスクリーン狭しと暴れ回る。ただVFXをペタリと貼り付けただけではない、奥行きと規模を実感させてくれる演出がとにかく尽きないのだ。


 そして、そんな惚れ惚れするスケール感は、画のインパクトだけに留まらない。伝説とされるトライデントの存在をマクガフィンに据え、主人公・アーサーはメラ王女と共に、アトランティスの果てしない歴史を探求していく。まるで『インディ・ジョーンズ』のような、トキメキに満ちた冒険譚だ。


 お話がややスローペースになったかと思えば、途端に爆発が発生し、敵の急襲が始まる。「絶対に観客を退屈させないぞ!」という意地にも似た何かを感じるほどに、とにかく前に前に話を転がし、停滞感を生まない作りになっているのだ。その大味さは、ともすれば粗を生みかねないが、なんのその、エンタメ作品としての潔さが全編に満ちているため、不思議と気にならない。それどころか、あまりの豪快なストーリーテリングに、それを是としてしまう世界観の器の大きさを感じるほどである。


 一方で、所々の演出は実は非常に緻密で、言うなればクレバーな作品でもある。


 冒頭10分で主人公の両親の物語(出会いから別れまで)を展開し、そのクライマックスでは、アクアマンの母・アトランナの計算されつくされた見事な「長回し風」アクションが披露される。ここでぐっと心を掴んだかと思えば、続く10分で、男と女のラブストーリーから一転、厚みを感じるギターサウンドを従えたアクアマンが豪快に海賊を討伐する。ここまでの冒頭約20分で、親子二世代の活躍を立て続けに描き、世界観の説明や物語のテイストを難なく観客の脳に刷り込んでいく。先の「大味さ」を成立させる仕掛けの一端である。


 更には、物語中盤の、シチリア島でのアクションシーンがとにかく素晴らしい。ブラックマンタ率いるアトランティス兵士との乱戦が繰り広げられるが、戦況は大きく、「アクアマンvsブラックマンタ」「メラvsアトランティス兵士」に分類されていく。同じロケーションでふたつの戦いが描かれるのだが、それぞれのマッチをワンカット内でシームレスに切り替えて進行していくのだ。驚くほどの、位置関係描写の的確さ。


 アクアマンに対しジェット噴射で上空からの攻撃を仕掛けるブラックマンタと(縦軸)、屋根づたいに集団でメラを追いかけるアトランティス兵士(横軸)。その味が巧妙に差別化された縦横のアクション構成は、シチリア島の街並みを存分に活かしつつ進行していく。随所に挟まれる人助け描写や、パルクールのような画の動き、コメディチックなやり取りなど、しっかり計算された緩急が見応えを生み続ける。一連の見事なまでの画面構成には、思わず唸ってしまった。


 他にも、あまりに鮮やかな回想シーンへの切り替えなど、全編を通して、ジェームズ・ワン監督の丁寧な配慮を感じる作品であった。


 豪快に思えて、その実、緻密に。壮大なスケール感で圧倒しつつ、クレバーな組み立てで観客の心を誘導する。「海」が、我々が生きる地球を母のように包み込みながら、同時に1,000万種以上の生物が共生する複雑な環境であるように、『アクアマン』という作品は、その一見相反する魅力を見事に共生させているのだ。大きさに思わずのけ反ったり、計算されつくされた神秘性に身を乗り出したり。まるで「海」のように、寄せては返し、観客の心理を楽しく翻弄していく。


 そして、主人公であるアクアマンことアーサーも、まさに「海」のような男である。豪快に酒をあおり、闊達な様を見せたかと思えば、陸の世界に関心を向けるメラを優しく導こうとする。一緒に薔薇を口にするあのマッチョな紳士ぶりは、柔も剛も兼ね備えた彼の大きな魅力だ。


 海は、陸があってこそ海。そして陸は、海があってこその陸。陸の世界に攻め入ろうとする異父兄弟のオーム王に対し、アクアマンは、海も陸もないんだと、強い眼差しと共に手を差し伸べる。自分自身が、その双方があってこそ生を受けた混血の存在であり、そんな彼だからこそ、ふたつの世界を包括する架け橋としての「ヒーロー」になれるのだ。一国の王ではなく、全てを救う英雄として、まさに「海」のごとき壮大な器でもって作品そのものを牽引する。何よりの主人公の魅力の強さが、本作の一番の魅力であろう。


 奇しくも「王家モノ」として、今日のアメコミ映画界を牽引するMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の『マイティ・ソー』や『ブラックパンサー』とも似た構造を持つ本作。様々な映画ジャンルを内包していくマーベルに対し、DCは、あくまでアメコミ作品としての直球さを忘れない。ザック・スナイダー監督が『ジャスティス・リーグ』までに作り上げた、本ユニバース特有のトーンや語り口、決めのカットにおける一枚絵のような美しさを踏襲しながら、主人公の豪胆さで作品全体の風通しをぐっと良くする。


 『アクアマン』は、DCEUのブレイクスルーと位置付けても過言ではない。アメコミ作品の面白さと可能性を誰よりも作り手が信じている、そんな「気持ちの良い」作品に仕上がったと言えるだろう。続く『シャザム!』や『ワンダーウーマン1984』(邦題未定)にも期待が膨らむところである。(結騎了)