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amazarashi、「Lyric Speaker」とコラボ 「それを言葉という」MVの魅力とは

2019年02月20日 12:21  リアルサウンド

リアルサウンド

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 2018年11月に日本武道館で『朗読演奏実験空間“新言語秩序”』を開催し、音楽、言葉、映像が交差する空間に観客との相互コミュニケーションが加わったライブ表現の集大成を見せたamazarashi。彼らが最新シングル『さよならごっこ』の収録曲「それを言葉という」のMVで、歌詞が浮かび上がるスピーカー「Lyric Speaker」とコラボレーションを果たした。


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 彼らのことを知っている人なら周知の通り、amazarashiの音楽は秋田ひろむが紡ぐ「言葉」の力を表現の最大の核にしている。それは楽曲だけでなくライブ/MVも同様で、彼らは多くのMVでタイポグラフィを効果的に使用。1stシングル『季節は次々死んでいく』(2015年)の収録曲「自虐家のアリー」のリリックビデオでは、いち早く「Lyric Speaker」の初代機を使用し、定点カメラで歌詞を映し続ける映像作品を制作している。また、前述の『朗読演奏実験空間“新言語秩序”』も、amazarashiによる「言葉の力を信じる決意」が公演全体の重要なテーマになっていた。そして、『さよならごっこ』の収録曲となる「それを言葉という」もまた、タイトルから伝わってくる通り、言葉への思いが強く表われた楽曲になっている(「それを言葉という」MV視聴はこちら)。


 音楽的に分類するなら、「それを言葉という」は打ち込みのビートやシンセを主体にしたamazarashi流のエレクトロチューン。ジャンルとしてはクリックやグリッチを主体にした90年代~00年代のエレクトロニカに近く、ギターのフレーズも楽曲のメランコリックな響きをそっと支える、秋田ひろむの言葉の力を最大限に引き出すようなものになっている。そして歌詞では、伝え続けることや言葉にし続けることがやがて生きる意味にまで繋がっていく秋田ひろむらしい思索を展開。〈君は伝える事諦めてはだめだ/それを届けて/(中略)千切れた涙を弾丸としてこめろ/それを言葉という〉と力強く歌うことで、全編には逆境に立たされた誰かを鼓舞して前へと進んでいくような雰囲気が生まれている。4thアルバム『地方都市のメメント・モリ』(2017年)で見せた、他者に対する優しい眼差しを思わせるような、どこか温かさを感じる言葉の数々が印象的な楽曲だ。


 一方、株式会社COTODAMAが提供する「Lyric Speaker」は、デジタル時代の音楽再生環境に適応して楽曲が持つ言葉の力をより最大化する、「デジタル時代の歌詞カード」とも言えるディスプレイ一体型のスピーカー。歌詞のデータベースと提携し、楽曲を再生するとその歌詞をアニメーションで表示してくれる。昨年末に登場した第2弾モデル「Lyric Speaker Canvas」はインテリアとして日常に自然に溶け込むようなデザインに変化しているが、ここには「日常の中で歌詞の魅力を感じてほしい」という開発者の想いが込められている。つまり、今回のコラボレーションは、「言葉の力」を信じる者同士の理想的なタッグとなるのだ。


 公式サイトで先行公開されている「それを言葉という」のリリックビデオでは、秋田ひろむの詞世界とのリンクを感じさせる様々な文学作品が収められた書棚の真ん中に「Lyric Speaker Canvas」が置かれ、楽曲に合わせてディスプレイに歌詞が浮かび上がってくる。その表示方法も楽曲の魅力と連動するようなものになっており、イントロ部分で宙をたゆたうように流れる文字の数々が、秋田ひろむの歌に連動して像をなしていく様子は、まるでamazarashiのライブでの映像/歌詞表現のようだ。また、言葉が表われ/消えていく方向やフォント、文字の大小もサウンドの盛り上がりや歌詞の意味と呼応しており、人が話す言葉特有の揺れや息遣いのようなものが想像できるのも面白い。中でも印象的なのは、最も楽曲が盛り上がるサビの部分でワードファイルの編集画面のように一文字ずつタイピングされ、変換されていく言葉の数々。これが「言葉を紡いでいく」という行為そのものの尊さを連想させるような効果を生んでいて、amazarashiの言葉にかける想いともリンクするような感覚がある。全編を通して、楽曲の言葉から臨場感や体温のようなものを引き出している。


 そうして立ち上がってくるのは、amazarashiの楽曲に込められた「言葉」の持つ意味だ。思えば、「それを言葉という」を収録したシングルのタイトル曲「さよならごっこ」も、彼らの言葉への想いを改めて感じさせるものだった。手塚治虫の名作マンガ作品を原作にしたTVアニメ『どろろ』(TOKYO MX)のエンディングテーマとして現在放送中の「さよならごっこ」は、人間の五感すべてを失った百鬼丸が徐々に身体を取り戻していく=感情や感性を取り戻していく中で逆に芽生える苦悩やとまどい、そしてその先に見える生の喜びを描いた同作に寄り添うような楽曲になっている。苦悩があるからこそ喜びがあること、別れがあるからこそ出会いがあること、過去があるからこそ今があることを、百鬼丸と旅をともにするどろろの視点で描写しているのだ。その言葉のひとつひとつが、「人が生きること」の意味をあぶり出すような効果を生んでいる。そして「それを言葉という」で描かれているのもまた、言葉に形を変えて紡がれる秋田ひろむの生き様や人生だ。これがamazarashiの最大の魅力であることは、多くの人々が感じていることではないだろうか。


 言葉は「人生」や「生きること」と同義である――。そうしたamazarashiの魅力に焦点を当てた今回のコラボレーションは、彼らの魅力をより深く理解するものになるはずだ。(杉山仁)