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新井浩文事件、不祥事で「作品封印」の慣行は本当に必要なのか~境真良氏に聞く

2019年02月19日 10:11  弁護士ドットコム

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派遣型マッサージ店の女性従業員に乱暴したとして、人気俳優の新井浩文容疑者が強制性交の疑いで逮捕された事件。新井容疑者が出演した公開予定の映画が相次いで「お蔵入り」するなど、事件の影響が広がっている。一方、ネット上では「お蔵入り(封印)すべきではない」という議論も起きている。芸能人の不祥事があるたびに取りざたされる「封印問題」について、コンテンツ産業にくわしい国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)客員研究員の境真良さんに聞いた。


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●「過剰な反応をしていると言うしかない」

さて、新井浩文容疑者の事件は大きく報道されましたが、その影で、ちょっとした事件が起きています。それは、新井容疑者の出演する多くの作品が「封印」されたことです。すでに撮影が終了していた『台風家族』は公開延期、『善悪の屑』は公開中止になりました。さらにNHKオンデマンドから『真田丸』まで姿を消したというのは、少しやりすぎにも思えます。



そもそも、なぜこうした芸能人スキャンダルから作品の「封印」が起きるかといえば、芸能人自身のイメージの変化によって、作品の意味合いや印象が大きく変わりうるからです。最も顕著なのは、タレントに強くフォーカスしたポスターなどの広告作品です。広告は、強い印象を与えるために、よりシンプルに、たとえばタレントの肖像と大きな標語表記の組合せなどで、全体を構成します。



もしも、納税を促すポスターに起用されていたタレントが巨額脱税で逮捕されたりしたならば、標語の意味も皮肉にしかとれなくなるなど、ポスターの効果は大きく変わるでしょう。そういう意味では「封印」も理解できるところです。



しかし、むしろ、こうした作品は例外的で、ドラマや映画の場合、芸能人は「役」を演じる俳優として画面に登場します。そこでは、俳優個人は「役」を現実空間に描き出し、作品の中に登場させるための素材にすぎないと言えます。



さらに、一人舞台とまで言わなくても、主役、あるいはそれに準ずる重要な役だというならまだわかりますが、作品に多くの登場人物が出てくれば、作品全体に対する当該芸能人の寄与度はどんどん小さくなります。つまり、作品の意味への影響は減っていきます。そういう意味で、新井容疑者が、たかだか「加藤清正」という脇役でたまに登場したに過ぎない『真田丸』までが配信中止になったことは、筆者としても驚きでした。



このように、わずかな関与でも作品が「封印」される場合、その原因はいくつかあります。代表的なものが、「作品に不随する広告の広告主への配慮」というものです。しかし、それも広告主が申し入れたのであればいざ知らず、実際の申し入れもない段階での措置であれば、「封印」の理由としては不十分ではないでしょうか。しかも、本質的に広告ビジネスである民間テレビ放送ならともかく、NHKの放送番組や、映画その他の作品についてはどうにも納得がいきません。



しばしば語られるのが、「マスメディアとしての社会的配慮」というものですが、これは実体が曖昧模糊としています。一部の国民から放送局や劇場などメディア企業に苦情が寄せられたという事件はよく言われますが、実際の苦情件数が発表されているわけではないので実情は「藪の中」ですし、そもそも今回の対応の早さを見ていると苦情が入る前におこなった対応と思われますので、予備的な対応ということでしょう。



つまりは、たとえば、かつてそうした一般視聴者からの苦情があったとか、広告主が怒ったなどの過去の経験に囚われ、やや過剰な反応をしていると言うしかないのではないでしょうか。



●作品の「封印」は観客の利益にならない

今回の新井浩文容疑者の場合、その「損害」総額は約十億円とも言われています。しかし、そのうちどのくらいが容疑者自身(またはその延長としての所属事務所)に求償可能か、といえばかなり難しい部分があります。



仮に裁判になった場合に認められるものと考えれば、求償可能であるのは、原因行為と発生した損害の間にいわゆる「相当因果関係」が認められる部分に限られることになります。



たとえば、今後撮影予定であった作品への影響(制作遅延や代役の調達の費用その他)については、逮捕によって撮影不可能になるわけですから、認められるでしょう。広告作品についても、その撤去、回収の費用、そして一般的な水準であれば代わりのポスターの制作費なども認められる余地があるでしょう。



しかし、すでに制作が完了していた映画やドラマであれば、どこまでが「相当な因果関係」なのかは、議論がありそうです。余程のことがない限り、封印する必要があったとは言えないのではないでしょうか。そうであれば、今回の「損害」のうち、多くは容疑者に求償できるものではなく、単にメディア産業の自損案件、と言えるかもしれません。



とりわけ、今回の事案について、『台風家族』など、映画関係者からは、本当は予定通り公開したかったという声も漏れ聞こえています。もちろん、主役や主役級の俳優の不祥事は、作品の受け止められ方を大きく歪める可能性が高いですから、制作側にも公開中止に同意する理由は十分あります。



ですから、関係者全体で納得した判断であればよいのですが、もし仮に配給元や劇場の強硬な拒否でこうなったということであれば、もう少し考える余地はあったのではないかと思います。



こう言うと、関係者にわざと犯罪事件を起こさせる炎上事案のようなものを助長すると怒り出す人もいそうですが、「話題が増えた」という見方もできるわけです。劇場への観客動員が増える可能性もあるわけですから、メディア産業側としても一概に公開中止するだけが正解ではないと思うわけです。



「作品を楽しむ国民≒観客」の側からしてみれば、見たいときに見たい作品が見られる状態にあることが一番です。そういう意味で、こうした作品の「封印」はまったく観客の利益にはなりません。もちろん芸能人のみなさんがこうした不祥事を起こさないことが一番なのですが、不幸にしてこうした事案が起きてしまったとき、より観客の利益が優先され、作品の「封印」が最小限になるよう、業界も慣行を見直してほしいものだと心から思います。



(弁護士ドットコムニュース)