トップへ

『ミスター・ガラス』が描く異色のヒーロー像 シャマラン監督初“ユニバース作品”に潜むテーマとは

2019年02月13日 12:11  リアルサウンド

リアルサウンド

写真

 1月18日より日本公開された『ミスター・ガラス』は、国内はもちろん世界興収も右肩あがり。M・ナイト・シャマラン監督初の“ユニバース作品”として、非常に良い成績を収めている。実は、彼は前作の『スプリット』、そして本作を全て自分の資金で制作しているのだが、ご存知だっただろうか?


参考:<a href=”https://www.realsound.jp/movie/2019/02/post-317449.html”>まさにエンターテインメントの満漢全席! テンコ盛りだけど分かりやすい『アクアマン』の面白さ</a>


 この『ミスター・ガラス』は19年前に公開された映画『アンブレイカブル』の続編である。さらに、2017年に公開された『スプリット』の系譜も踏む作品となっており、本作から鑑賞する方にとっては近年多いヒーローもののシリーズ映画のように「あのキャラがわからない」「前作との繋がりも知らない」と、実はハードルが高いように思える。


 なので、本記事は『ミスター・ガラス』鑑賞にあたって、前2作を踏まえて知っておくべきポイントを、この3作品をこよなく愛する私がお送りする。


※本記事には『アンブレイカブル』および『スプリット』両作品の結末に関するネタバレが記載されています。


・『アンブレイカブル』:ヒーローの可能性と黒幕の狂気


・デヴィッド・ダンのスーパーパワー
 『アンブレイカブル』は、未だかつてないほど悲惨な列車事故で唯一“無傷”で生き残った男デヴィッド・ダン(ブルース・ウィリス)の物語。彼は、奇跡の生還者として新聞に取り沙汰されたが、医者も彼も自分にかすり傷ひとつ付いていないことに疑問を覚える。そこから、彼はどうやら“unbreakable(破壊不可能)”な男であることが判明する。


 デヴィッドのパワーはそれだけではない。彼は、手で触れた人間のヴィジョンを見ることができる。なので、悪事を行っている人間を触るだけでわかるのだ。そんな“特技”を利用して、自警団的行動をとりはじめたデヴィッド。しかし、どんなスーパーパワーの持ち主にも“弱点”がある。デヴィッドの弱点は、水だった。


・父と子の友情
 
 並の人間では持ち上げることができない重さのダンベルを、デヴィッドは持ち上げる。それを目撃した息子は、父のそれを「スーパーパワー」だと確信した。デヴィッドは自分の能力を人に言わないように、と息子に口止めをする。ここから、デヴィッドの唯一の理解者が息子であり、息子は彼なりに父親を守る構図が生まれた。この構図は、『ミスター・ガラス』に全面的に表れている。


・息子・ガラスに対する母の想い
 さて、『アンブレイカブル』の主要登場人物はもう一人いる。イライジャ(サミュエル・L・ジャクソン)だ。彼はコミック画商を生業としている男だが、ある特徴があった。それは、“生まれた時から”骨折をしていたこと。骨形成不全症という難病を患っていて、身体がありえないぐらい弱いのだ。そんな彼は、いつからかパワーを持つヒーローやヴィランを描く、アメコミの世界にのめり込んでいった。


 そのきっかけとなったのが、彼の唯一の肉親であり誰よりも彼を愛する母親だ。彼女は病弱で引きこもっていた息子に外に出てもらうために、家の中から見えるベンチにプレゼントを置く。イライジャが勇気を持って取りに行くと、それはアメコミだった。「結末はどんでん返し」と言いながら、外出する度に一冊ずつコミックをイライジャに渡す母。


 彼女は、彼の特異さを理解した上で、誰でも勇気を持てば自分のなりたいヒーローになれることを、弱い彼に教えたかったのではないだろうか。『アンブレイカブル』では彼女がイライジャの愛するコミックの、特にヒーロー論とヴィラン論について深い理解を持っていることがわかる。


・映画史に残るヴィラン像、誕生の瞬間
 
 映画の結末は、どんでん返しだった。イライジャのアドバイスによって、人を救う“ヒーロー”となったデヴィッド。しかし、友となった彼と握手をした時、列車事故を含めた一連の事件が、イライジャによって仕組まれたものだったことが明かされる。彼は、マスター・マインド(黒幕)だったのだ。


 イライジャは超能力を持つヒーローの存在を信じ、これらの事件を引き起こすことによってそれを探し出そうとしていた。つまり、ここで「ヒーローを求めてヴィランが生まれる」という、映画史に残る構図が誕生したのだ。彼はデヴィッドに「最も恐れること、それは自分の居場所がわからないことだ」と語る。自分の存在理由とは、何か。それを問い続けたイライジャの答えが『ミスター・ガラス』で描かれることになる。


・『スプリット』:“ヴィラン”の救済


・24の人格を持つ男、ケヴィン
 『スプリット』は『アンブレイカブル』の同じ世界観での出来事を描いた作品だ。そして、この世界観をつなぐ男、それがケヴィン(ジェームズ・マカヴォイ)である。彼は23の人格を有する多重人格者だった。人格には、主に潔癖症であり女子高生誘拐事件を起こすデニス、品格のある女性パトリシア、永遠の9歳であるヘドウィグ、アーティストのバリーなどがいる。中でも『ミスター・ガラス』ではヘドウィグ、パトリシアがメインの人格として登場する。


 そして、24番目の人格“ビースト”が目覚める。彼は超人的な肉体を持ち、壁を登ることだって、物凄いスピードで走ることだってできる。まるで獣のような人格であり、人を食い殺すのだ。しかし他の23人格と彼の決定的違いは、そのパワーだけではない。23の人格はケヴィンが幼少期に母親から受けた虐待が原因で生み出された。しかし、ビーストは“ケヴィンによって生み出された人格ら” が、ケヴィンを守るために信仰し、生み出した産物なのだ。この“信仰”が、『スプリット』やビーストを考える上で重要な鍵となる。


・ケイシーという少女
 
 そして本作でデニスに誘拐された女子高生たちの中で、唯一の生き残りであり、『ミスター・ガラス』にも再び登場するのがケイシー(アニャ・テイラー=ジョイ)。他の2人がビーストの餌食となって死んだのに、彼女だけ生還できたのは何故か。それは彼女の育った背景にある。


 ケヴィンが虐待を受けていたという過去は先述の通りだが、実はケイシーもまた叔父に幼少期から虐待を受けてきた。そのため、彼女の素肌は傷だらけなのだ。ビーストと対峙した時、彼女の衣服は崩れ、その傷が見え隠れする。それに気づいたビーストは彼女を攻撃する手を止め、こう言うのだ。「壊れは進化の証し。純粋な心であることを喜べ」と。そう、彼はケヴィンを救済するために生み出された人格で、痛みを知る“失意の者(broken)”を肯定し、讃えるのだ。


・ビーストは“ヴィラン”なのか
 
 そこで、疑問にあがるのが「ビーストは果たして“悪”なのか」ということだ。結論から言うと、私は彼がヴィランではなくヒーローの一人だと考えている。いや、厳密に言うとヴィランにはヴィランなりの“正義”があり、故にビーストは誰かにとってのヒーローでもあると考えている。


 実際、ケイシーはビーストのおかげで精神的にも肉体的にも救済された。彼女にとって、彼はヒーロー(英雄)なのだ。そのため『ミスター・ガラス』でケヴィンが精神病院に入れられたことを知ると、彼女は彼の元へ感謝の気持ちと共に会いに行く。


・『アンブレイカブル』との繋がり
 
 そして、『スプリット』のラストでは、少女誘拐事件のニュースをカフェで見るデヴィッド・ダンが登場する。ここで初めて2作品が関連していることに気づくのだが、実はその前に他にも重要な繋がりを表すシーンがあった。


 それは、ビーストが目覚める直前にケヴィンが花束を購入し、駅のホームに置くシーンだ。これが、実は『ミスター・ガラス』で明かされる秘密に繋がっていく。


・『ミスター・ガラス』:『アンブレイカブル』への解と『スプリット』のテーマ性
 さあ、ついに『ミスター・ガラス』だ。本作ではこれまで紹介してきた2作品に登場するキャラクターが一堂に会する。そこに生じる繋がりやテーマ性をポイントごとに紹介する。


・『アンブレイカブル』組の現在
 
 『アンブレイカブル』の2人は、その後どうしていたのか。『ミスター・ガラス』では現実世界(18年ぶりの続編)と並行して、同じぐらいの時が経っている。デヴィッドの妻は病気で亡くなってしまい、息子と二人でセキュリティー会社を自営する日々を送っていた。しかし、それは表向き。夜になると父の“散歩”を息子が無線でサポート。地元にはびこるヤンキーを、自警していたのだ。彼の存在はメディアを通して知れ渡り、「監視者」という呼び名がつくように。そしてイライジャはというと、その間ずっと精神病院に収容されていた。


・3人の超能力者と、3人の理解者
 
 本作で一同に会する3人には、それぞれスーパーパワーがある。おさらいとなってしまうが、デヴィッドは破壊不可能な男、ケヴィンにはビーストと多重人格、イライジャには高い知能が備わっている。彼らは本作で、ビーストの誘拐犯罪を止めようとするデヴィッド、それに対抗するビースト、それを見守るイライジャという立ち位置になってくる。デヴィッドとケヴィンは戦闘中に警察に包囲され、イライジャの収容されている精神病院に連行されるのだ。


・スーパーヒーローは存在するのか
 
 本作のキャッチコピーともなっている命題、それは「スーパーヒーローは存在するのか」ということ。3人が収容された精神病院にやってきたのは、エリー・ステイプル(サラ・ポールソン)という医師 。彼女の専門は「自分たちにスーパーパワーがあると思い込んでいる人」であり、真っ向からヒーローの存在を否定する。彼女は3日間、彼らに“自らの存在が特別ではない”ことを説き、それを理解させるというのだ。


 シリーズを通して描かれてきた、信じる気持ちによって得られたパワー。それが揺らいだ時、彼らは力を失ってしまうのか。そもそも彼らの持っていたパワーとは何なのか。


 そんな問いを彼らだけでなく、我々にも向けられているような作品となっている。


・“失意の者”に対する救済、アメコミ映画に対するシャマランの解
 
 本作のテーマ性は、『アンブレイカブル』より『スプリット』のものに近い。それというのも、『ミスター・ガラス』は生まれてから痛みしか知らなかったイライジャ(ガラス)にスポットライトが当たる映画だからだ。


 『アンブレイカブル』では信じる者が描かれ、『スプリット』では救済するものが描かれた。痛みを知る者を描く本作は、ビーストがケイシーを救済したように、ミスター・ガラスを含む、多くの痛みを知る“失意の者”にとっての伝道師となろうとする。つまり、本作にはもうヴィランは登場しない。登場するのは、3人の全く違う英雄だというわけだ。


 また、シャマラン監督がMCUやDC映画がヒットする中で本作を打ち出したのも意味深いと感じる。実際、劇中に登場する新ビルについて取り上げた雑誌には「OSAKA TOWER TO TRUE MARVEL」という記載もあった。MARVELとはもともと「脅威」や「奇跡」という意味の言葉であり、もちろんこの言葉においてもそういった文脈で使用されている。しかし、どこかアメコミ映画を意識しているようにも捉えられる。


 もともとは「ヒーローとは何なのか」を描いてきたアメコミ映画シリーズ。しかし近年はダイナミックなアクション、キャラクターの能力描写が派手になっていくにつれ、そのメッセージ性というものは薄れてきているように感じる。「ヒーローとは何か」と考える前にその「かっこよさ」に目がいってしまうのだ(もちろん、中にはヒーローとヴィランについて深く考えさせられる作品もあるけれど)。


 そんな中、シャマランが世に出した『ミスター・ガラス』。それはヒーローの“オリジン・ストーリー”を描いたものであり、だからこそ非常に意味深い作品となっているのだ。 (文=アナイス)