僕は非常に性格が悪いが、元々は非常に温厚なぼっちゃんだった。ところが仲良くなった面々の口が悪いことこの上なかったがため、徐々に僕自身も口ぶりが悪くなり、終いには仲間内でも一番性格の悪い人間になってしまった。良くも悪くも、人間は育った環境によってその性質を大きく変貌させてしまうのだ。
自分が所属するコミュニティによって、自分の性格や考え方が変わることは少なくない。ただ、その変化を本人が受け入れているかどうかは、また別の話である。(文:松本ミゾレ)
「でも、自分も場を盛り上げ励ますために人を煽ってる。なんてダブルスタンダードだ」
先日、はてな匿名ダイアリーに「仲良くなってきた友達と他愛のないコミュニケーションをするのが怖い」なるエントリーを見つけた。投稿者は昔からある程度仲良くなった友人との間で発生する、悪意のない軽い煽りやイジりが我慢できないというのだ。
きっかけは学生時代のテニスの部内戦。自分のミスで負けた折、信頼していた友人から「あそこでミスるとか思わなかったわ」と笑いながら言われたことが、人間不信の最初の原因になったという。部内戦ということは、別に大きな試合でもないが、その一言で心に暗いものを感じてしまった。
大学の仲間とスノボに出かけた際には、自分の拙い滑りが動画に撮られていたことにショックを受けたり、スマブラを仲間内でやっている際に自分が負けたら悔しくて黙りこくったり。こういったことを投稿者は繰り返しているのだが、彼を傷つけた友達の言動にそこまで悪意がないことは、本人も理解している。
だが、彼は「どうしてもこの、煽りというかイジりというかその手のコミュニケーションがどうしても無理に感じるときがあります」と書いている。思うに、精神がまだ半熟状態なんだろう。
ところが、彼の偉いところはここからだ。自分の性質の問題点を理解し、
「煽ったり弄ったりしたことがまったくなかったかと言われると言い切れません。人並みに、"場を盛り上げ"たり"励ます"ために煽ったりイジったりをしていると思います。そう自覚してしまうと僕は僕自身が許せません」
と正直に言及している。その上で、「なんてひどいダブルスタンダードな人間なんだろう」と自己嫌悪に陥っているのだ。
相反する2つの自分に気付き、苦悩できるだけでも素晴らしい
いつもなら、この辺りで「そこで、この投稿に寄せられた第三者の意見を紹介しよう」とか言ってしまうんだけども、ちょっと今回は遠慮したい。というのも、この投稿に寄せられたコメントの中に、僕が見る限りではあんまり役に立つアドバイスがなかったからだ。
彼は「煽られるのが苦手」ってわざわざ書いて、そのテーマで苦悩を吐露しているのに、意地悪く煽る意見やマウントを取る声も多かった。誠実な苦悩には誠実に向き合うべきだ。
僕個人としては、彼はまだ若いのだろうから、そのうちに自分で折り合いをつけるようになっていくと考えている。言い方を変えれば、僕は彼に対して、ハッとなるような天啓を授けることは出来ない。僕はそこまで利口じゃないし……。
ただ、自分の中で「イジりは嫌だからやめてほしい」という気持ちと「じゃあ自分はどうなんだ?」と自問自答する気持ちが共存していて、それをしっかり文字で表すことができているのは凄いことだと思う。これって、よほど正直に、自分に嘘をつかずに生きてないと、なかなかできないことだ。
ネットの世界で、かっこつけよう、マウントを取ろうという人が大勢いる中で、あえて自分の弱点に向き合って気持ちを吐き出す彼は、本質的にはかなり強い男だと思う。イジりに過剰に傷つくのも、裏を返せば過剰な負けず嫌いということで、妥協が嫌なんだろう。
なんとも愛しい悩みの持ち主ではないか。僕個人としては、こういう人間になれなかったことが、悔しいぐらいである。