食事のマナーは、地方や国、地域によってばらばらだ。あるところで良しとされる行為が別のところでは無礼な振る舞いになるケースさえある。種類が多いだけに議論にもなりやすい。
はてな匿名ダイヤリーに2月4日寄せられた「ご飯茶わんでお茶を飲んだら、怒られた。」というエントリーも、食事マナーに関するものだった。投稿者はご飯を食べ終わった後、茶碗に麦茶を注いで飲んだところ「お茶漬けでもないのに下品!」と言われたという。しかし、
「後でご飯茶わんを洗う時もお米が取れやすくなるし、合理的だと思うのです。小さい頃からうちではそうしてきた」
と、納得いかない様子だ。(文:石川祐介)
禅宗では修行の一環で行われる行為 日常生活では控えるのが無難?
コメント欄では「下品寄りだと思う派」、「私だったら古風だなぁと微笑ましくみるけど」と賛否が分かれた。「緑茶は許す。麦茶は許さない 」と独自の拘りを主張する人や、
「下品と感じる感覚が感覚的にわからない。食べ物の器に飲み物を注ぐのが下品になるの?なんで?食器なのに?」
「親がやっているから特に何も思わない」
「下品だと思う派だけど、熱湯で始末するのは災害時に役立ちそうだと思ったので覚えとくわ。でも平常時には見たくないねえ」
など、様々だ。
ご飯茶碗にお茶を注ぐのは、禅宗の修行僧にとっては当たり前の行動だ。臨済宗妙心寺派 寶雲山泰岳寺で副住職を務める泰丘良玄さんは、自身のブログで、
「禅宗の食事作法ではすべてを食べ終えた後にお椀に温かいお茶orお湯を入れて沢庵などのお漬物を使用してお椀を洗うというものがあります」
と綴っている。洗鉢(せんばつ)と呼ばれるこの行為は、13世紀頃に発行された仏教書『無門関』にも出てくるほど古くから続いているものだ。
しかし、これはマナーというより修行の一環。マナーが他人を不快にさせず、お互いに心地よく過ごすためのものなら、修行僧でもない限り、「食べ終わった茶碗にお茶を注ぐ」のは控えたほうが無難だろう。