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映画史の新たなフェーズへ 『大人のためのグリム童話 』配給担当が語る、アニメーションの必然性

2019年02月05日 18:01  リアルサウンド

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 昨年夏に日本で劇場公開されたフランスのアニメーション映画『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』のBlu-ray&DVDが2月6日に発売される。本作は、監督のセバスチャン・ローデンバックが1人で描き上げた長編アニメーション映画だ。クリプトキノグラフィーと呼ばれる斬新な技法によって描かれ、水墨画のような線画が絶えず流体のように変化するユニークな作品で、多くの映画ファン、アニメーションファンに驚きを持って迎えられた。グリム童話の『手なしむすめ』を下敷きに、過酷な運命に負けず、強く生きる女性を活き活きと描いており、グリム童話の新しい解釈としても高い評価を得ている。


参考:『父を探して』と『君の名は。』の共通点とは? 配給会社代表が語る、インディペンデントアニメの世界的潮流


 今回リアルサウンド映画部では、日本で本作を配給したニューディアーの土居伸彰氏に本作の魅力について話を聞いた。(杉本穂高)


■前衛性と俗っぽさが同居した作品


ーー土居さんはアヌシー国際アニメーション映画祭で本作を初めて鑑賞されたそうですが、その時の印象はどうだったのでしょうか?


土居伸彰(以下、土居):きわめて格好良い作品だと思いました。単純に、しびれましたね。ただ手法が変わっているので、配給するにはリスクのある作品だとも思いましたが、思い切ってやってやろうと。配給を検討している際、フランス版のポスタービジュアルを見たのですが、ガックリきました(笑)。なので日本版のメインビジュアルは、監督にオリジナルのイラストを描き下ろしてもらいました。その際、いくつかパターンを描いてもらったんですが、採用しなかったパターンをポストカードにしてBlu-ray・DVDの特典にしています。フランス版のメインビジュアルがショボく見えたのにはいくつか理由があって、まず、フランスではこの作品は子ども向けに公開されていたから、そもそもターゲット層が違った。さらには、この作品は監督が仲間たちと開発したクリプトキノグラフィーという独自の手法で作っています。静止画では何が描いてあるのか分からず、アニメーションとして動きのなかで観ると初めて絵が完成するという手法で、まさにアニメーションでなければできないやり方なんですけど、つまり、静止画だとよくわからない絵になってしまうのです(笑)。


ーー確かにこの作品は1コマずつ観ても、何が描いてあるのかよくわからないですよね。


土居:そういう意味では、Blu-rayで止めながら観ると逆に面白いですよ。映像にした時に初めて絵が浮かび上がってくるので、コマ送りで観たらアニメーションの魔法を感じ取れると思います。Blu-rayのハイビジョン画質なら、筆の息遣いもダイレクトに伝わってきて、それが作品のテーマにも密接に関わってきますから。手法に関してはローデンバック監督のインタビューも映像特典にありますから、それを観てもらえればクリプトキノグラフィーについてもよくわかると思います。ただ、そういう手法の前衛性だけでなく、良い意味で俗っぽいところもこの映画の魅力だと思います。


ーーどういう点に俗っぽさを感じますか?


土居:何度も観ていると、悪魔のキャラ造形に、日本の少年漫画の悪役っぽい、ある種の単純さがあるなという印象を受けるようになりました。ローデンバック監督の息子さんは『週刊少年ジャンプ』が好きらしいんですが、その流れで監督自身も結構『ジャンプ』を読んでいるんじゃないかと思ったり(笑)。監督はもともとバンド・デシネ作家になりたかったような人で、来日した時も、『ジョジョの奇妙な冒険』とか、いろいろな漫画に反応していました。ある種の俗っぽさが、手法の前衛性と混ざり合うことで、この作品に深みを作り出していると思います。


ーー本作は、フランスではヒットしてるんですよね。


土居:そうみたいですね。先ほど言ったとおり、フランスでは子ども向けに公開されています。ただフランスは事情が特殊で、親たちのあいだに「ディズニーとは違うものを観せたい」という一定の需要がある。なので結構、子ども向けのアニメーションのラインナップが多彩なんです。ただ、この作品自体にも、手法が前衛的でありながら「ヒットしそう」感が漂っていて、それを感じ取ったから配給したというところもあります。一昔前であれば、自分ひとりで作画した長編アニメーションは、もう少しアングラ感が強かった。でも、この映画は、絵柄は一見難解な印象を与えるかもしれないけど、そういう雰囲気じゃないんですよね。ローデンバック監督が昨年の夏に来日した時に、岡山と熊本で、小学生から高校生の子どもたちを対象にこの映画を観せる機会を作ってもらいました。その時の生徒たちの反応もすごく良かったと聞いてます。この作品は、『大人のための~』というタイトルにしてはいますが、ビデオでのリリースをきっかけに、小さな子どものいるご家庭でも観てほしい作品だと思っています。親子の愛についての普遍的な物語でもありますから。ローデンバック監督も2人のお子さんがいますが、彼自身の子育ての経験もここには入っている。ちなみに岡山と熊本での子ども向け上映の話は、深田晃司監督がフランスの映画教育を日本にも普及させようと、自治体と共同でやっているプロジェクトの一環で行われたものです。深田監督からは今回の公開にあたって推薦コメントもいただきました。日本にもグリム童話の原作(『手なしむすめ』)に近い話があるらしく、それをベースに映画を作りたかったそうで、先を越されたと悔しがっていました。


ーー物語に普遍性がありますよね。


土居:同じフォーマットの物語が、ヨーロッパだけではなく日本にもあるというのはとても興味深いです。この作品、手法が変わっているので、ある程度ネガティブな反応も出てくるのではないかと思ったのですが、そんなことはなかったですね。物語に普遍性と現代性があるのもそうですが、片渕須直監督が強く推してくれたということもあり、日本のアニメーション・ファンにもかなり好意的に受け止めてもらえたかなと。いま、日本のアニメーション・ファンはとても目が肥えていると思うのですよね。弊社ニューディアーや、カートゥーン・サルーンの作品を配給しているチャイルドフィルムさんなど、海外の長編アニメーションの配給も定期的にありますし、長編は映画祭を通じて観る機会も増えているので、そういった環境の影響もあるのかもしれません。以前だと日本アニメのファンと海外アニメーションのファンは断絶している印象だったのですが、そのあたりの垣根も無くなってきた感じがあります。今年『リズと青い鳥』が第73回毎日映画コンクールで大藤信郎賞を受賞しました。僕も審査員の1人を担当させていただいたのですが、本当に尖った作品だと思いました。同賞は、昨年は湯浅政明監督の『夜明け告げるルーのうた』、一昨年は『この世界の片隅に』が受賞しています。この賞は、実験的な作品にフォーカスを当てるものですが、3年連続で長編アニメが受賞したわけです。長編アニメが実験性を帯びる時代だからこそ、『手をなくした少女』も受け入れられやすかったのかなと。


ーー日本アニメのファンと海外アニメーションのファン層が重なり始めているというのは面白い話です。


土居:実写映画ファンがアニメーションを観るようになっているという傾向もあると思います。ここも昔であれば断絶していました。僕自身、かつては実写映画を扱っている人が多いところで研究者をしていましたが、かつての実写映画の特性として言われていたドキュメンタリー性や、それを通じた人間の尊厳や生命感を描くやり方みたいなものは、今はむしろアニメーションのほうがラディカルにやれているのではないかと思ったりもします。むしろ、実写映画の人物の方が「キャラ」的になっていたり。一方、大藤信郎賞を獲った3本のアニメは「人間」を強く感じさせます。『手をなくした少女』にもそれがあると思うんです。生命の儚い煌きのようなものが、これらの作品からは感じられます。


■脚本なしで「即興」で作られたアニメーション


ーーローデンバック監督は、来日時に片渕須直監督と対談されていますね。その時にアニメーション映画の作り方を更新したいとおっしゃっていました。


土居:はい。彼は長編アニメーション映画の文法を一新するということにすごく意識的なんです。彼によれば、実写映画では(ジャン=リュック・)ゴダールのような人たちが何度も映画の文法に革命を起こしているのに、アニメーションでは未だにディズニーの文法が保たれ続けているのはおかしい、と。アニメーションの文法を更新する試みは、これまでは短編アニメーションの専売特許でした。でも、その実験の場が、ここ10年くらいは長編に移ってきた感があります。ローデンバックは、その流れが始まったのは湯浅政明監督の『マインド・ゲーム』からだと言っていました。『マインド・ゲーム』はとりわけフランスで伝説的な作品として受け止められていて、フランスでいまだに2Dアニメーションが強い伝統を保持しているのはあの映画のおかげだ、と言う人もいるくらいです。


ーーそういう流れの中にローデンバック監督の登場もあったわけですね。ところで、ローデンバック監督はこの作品を作る上で脚本を書いたのでしょうか?


土居:脚本は用意していないようでした。この作品は本来、もっと大きな予算で、もっとキラキラとしたファンタジーとして作ろうとしていたんですけど、予算が集まらずに制作が頓挫したんです。その頃に作られたパイロットフィルムの一部は、今回のパッケージの特典のインタビューのなかに収録されています。妖精が出てきてピラピラ~っとやったら橋が出てくるみたいな、本当に全然違った作風と世界観で(笑)。監督自身はその後もずっと、この物語をいかにして世に出すのかというのをずっと考えていたので、脚本なしでも作れたんだと思います。作画の作業をしながら展開を考えていたシーンもあったくらいです。


ーー脚本なしで描き始めるというのは、脚本を作り、段取りをしっかりやって撮影するスタジオ映画に対して、カメラを持って街に繰り出していったヌーヴェルヴァーグのようですね。


土居:そうですね。こんなに即興性に満ちた長編アニメーションは僕も観たことがなかったです。映像特典に、昨年3月に監督が来日した時のサイン会でドローイングを描いている映像を収録しているんですが、これがまた面白いんです。1人ずつ全員に、全部違う絵を描いていました。まず、スッと線を引くんです。最初のうちはそれらの線が何を意味するのか全然わからないんですが、線がいくつもいくつも重なっていくと、ある瞬間、主人公の少女がいる景色が突如として生成してくる。すごくマジカルな体験です。本人に聞いてみたら、最初に明確なゴールを決めず、やはり、描きながら考えているって言うんですよ。それは今回の映画を実際に作っていたときの彼の感覚と非常に近いと思います。


■多様化する世界のアニメーション


ーー少し話を広げて、世界のアニメーションの今についてお伺いします。土居さんには2年前にも『父を探して』の時にお話を聞かせていただきましたが、この2年で世界のアニメーション市場はどう変化していますか?


土居:単純に、世界中の長編アニメーションの水準がどんどん高くなってきていますね。


ーー今年日本で観られる作品で、それが実感できる作品はありますか?


土居:ひとつは、『キリクと魔女』のミッシェル・オスロ監督の最新作『ディリリとパリの時間旅行』ですね。今日の話に絡めれば、オスロ監督も長編アニメーションの美意識を変えようとしてきた人です。アニメーションに限らず巨匠の作品は老年になると良い意味でも悪い意味でもアバンギャルドになりがちだと思いますけど、本作はそれが良い方に転んでいて、僕としては、オスロ作品のなかでも一番良いのではないかと思っています。ベル・エポック時代のパリが舞台なんですが、背景はオスロがパリで撮影した写真をコラージュして作っている。このコラージュが実に不思議な質感を作品全体に与えていて、3Dのキャラクターたちの動きもとても魔術的です。ニューカレドニアから来たカナックの女の子ディリリがパリで巻き起こる騒動を解決していく話なんですが、華麗なアニメーションのなかに、人種差別や女性蔑視の問題なども描いていて、とても野心的です。あと、レイモンド・ブリッグズ原作の『エセルとアーネスト ふたりの物語』も面白いです。これはブリッグズが自身の両親の人生について語った話です。ブリッグズの両親は『風が吹くとき』の主人公夫妻のモデルにもなっているので、アニメーション・ファンは親しみを感じると思います。絵柄もブリッグズの絵柄に忠実ですし、単純に、非常にユニークな人たちの物語として面白い。でも、その愛らしさにコーティングされて、とても生々しくてビターなところもある。先ほども話題に出た、「アニメーションがドキュメンタリー性を帯びる」「生の儚さ・煌きを描く」という話とも共鳴するところがある。老いや死について、考えさせられます。


ーーかつては子ども向けと思われていたアニメーションで老いを積極に描いているんですね。


土居:そうですね。日本での公開の予定はないようですが、ジャン=フランソワ・ラギオニという巨匠の切り紙アニメ作家も、2年前に『岸辺のルイーズ』という長編作品を作っています。これも死を目の前にした老いた女性が主人公で、わびさびを感じさせます。


ーーディズニーなどの3DCGアニメーションは一義的には子どものためのものですが、世界のアニメーション全体では多様化が進んでいるんですね。


土居:そうですね。本当に幅広く全年齢対応になってきて、成熟してきていると感じます。だから、実写映画ファンも観てくれるようになったという点もあるかなと思いますし、アニメーションを作ってきた人たちが年を重ねたことで、描く題材が広がってきたというところもあると思います。ちなみに、ゴダール作品を世界で初めて買い付けた、映画評論家の秦早穂子さんも『手をなくした少女』と『父を探して』を絶賛してくれていて、とても嬉しく思っています。ユニークな映画言語としてのアニメーションの評価が高くなってきているのだなと。


ーーもう、「アニメは映画じゃない」なんて言ってる場合じゃないですね。


土居:おっしゃる通りです(笑)。今日の話のような視点で今のアニメーションに注目してもらえれば、たとえばかつての映画にあった面白さを発見してもらえたりもすると思いますし、映画史の中でアニメーションが特別なものとなるフェーズに入ってきていることも、実感してもらえるのではないかと考えます。(取材・文=杉本穂高)