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フネさんが「ナメられないように」と精神的マウント? 初期『サザエさん』アニメとしての魅力

2019年02月05日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 まさか「最近観たアニメは?」という鉄板の質問に、「『サザエさん』しか観てないですね……」と答える日が来るとは思いませんでした。そんなわけで今回は、昨年の12月にAmazon Prime VideoとFODで、第1回放送分(1969年10月5日)から第53回放送分(1970年10月4日)の中から50回分が一気に配信された、初期『サザエさん』の話をさせていただきます。


参考:原点にあった恋愛映画としての一面も 『クリード 炎の宿敵』が捉えた『ロッキー』シリーズのテーマ


 『サザエさん』と言えば……もはや説明不要でしょう。超ご長寿の国民的アニメです。しかし、今回ご紹介する“初期”『サザエさん』は、50年前に作られた放送開始時のもの。良くも悪くも完成されている現在の『サザエさん』とは異なり(今でも「壁のシミを弟と言い張る同級生」といった紙一重な話もありますが)、まだ作品としての方向性を試行錯誤している段階です。したがって、その内容も現在のものとは大きく異なっているのです。他にも今の価値観的にはデンジャラスなネタもチラホラ。


 ちなみに、原作者の長谷川町子先生はセックス&ヴァイオレンス系のギャグもイケる方であり、もう一つの代表作『いじわるばあさん』で、新婚夫婦に工事現場の鉄骨が直撃するといった危険なギャグを入れていました。ですから、アニメの作り手側で膨らませた部分は多々あるとしても、「原作が元々こういうノリだった」という側面もあると思います。


 そんな初期『サザエさん』は、配信が開始されるや「精神病院で絶対にアウトなポーズを取って、絶対にアウトな発言をする人」「ほぼ全裸のカツオ&ワカメ」「血」「カツオ競馬へゆく(※タイトル)」といったキャッチーな画のパワーもあって、一部ファンの間で話題になりました。キャラクターの性格も現在と大きく異なり、それどころか姿形からして全く違う人もチラホラ。個人的には、隣に引っ越してきた伊佐坂先生夫人との初対面時に「小説家の奥さんなんかにナメられないようにしなくちゃ!」と着物で気合を入れるフネさんがお気に入りです。フネさんが精神的マウントを取ろうとするのも、そもそも「ナメられないように」という単語がフネさんから出てくるのもたまりません。本作が今日の形になるまでは多くの要素を削り、様々な変化を経てきたのだなと痛感することは間違いありません。


 こうした表現や時事ネタで50年前の空気が窺い知れる点や、現在の『サザエさん』との違いは見ていてなかなかに面白いのですが……。個人的に今回公開された初期『サザエさん』最大の魅力は、単純にアニメとしての魅力、つまり絵がバリバリ動いて、その上に話や演出が面白いところにあると思います。端的に言えば、活き活きしている。


 今の『サザエさん』は動きが少ないアニメです。基本的に家の周辺で何かしらの小さな事件が起きて、その事件は会話劇で完結する。これが今の基本形です。一方の初期は、全力投球のドタバタコメディ。キャラクターは走り回り、物は壊れ、リアクション過多、いわゆる“顔芸”も非常に豊かです。また、国民的アニメでなかったがゆえに、ドタバタ・時事ネタ(万博に行く。カツオたちがゲバ棒&ヘルメットで武装するなど)・しんみり系と、脚本の幅も今より広く、演出も凝っている。今なお続く「サクっと観ることができるから、ついつい次の話まで観てしまう」系の、ショートコメディとして普通に面白い。


 そもそも論になりますが、『サザエさん』が今なお続いているということ自体が、数あるアニメの中で抜きん出たものがあった証に他なりません。今との違いを楽しむもよし、ごくごく普通に楽しむもよし。一見の価値があるアニメだと言えるでしょう。(加藤よしき)