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“不朽の名作”の続編の出来は? 原作の精神を守り抜いた『メリー・ポピンズ リターンズ』の価値

2019年02月04日 12:51  リアルサウンド

リアルサウンド

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 「さよなら、メリー・ポピンズ。またすぐに帰ってきておくれ」


参考:『アベンジャーズ』『トイ・ストーリー』『スター・ウォーズ』……今年の話題作を一挙紹介!


 桜通りのバンクス一家に幸せをもたらした魔法使いのナニー、メリー・ポピンズ(ジュリー・アンドリュース)が、友人のバート(ディック・ヴァン・ダイク)に呼びかけられながら、トレードマークの傘を片手にロンドンの空へと舞い戻っていく。そんなラストシーンで幕を下ろした、ディズニー映画『メリー・ポピンズ』(1964年)公開から55年。『メリー・ポピンズ リターンズ』は、ついに彼女が桜通りに、そして観客の前に帰ってくる作品だ。


 だが、世界中にファンが存在し、多くの人が作中の楽曲のメロディーを口ずさめるほどの「不朽の名作」の続編を撮ることは非常に難しい。大きなプレッシャーを抱えた本作『メリー・ポピンズ リターンズ』の出来は、果たしてどうだったのだろうか。


 前作では子どもだったバンクス家の長男マイケルは、成長後も桜通り17番地に住んでいて、3人の子を持つ親になっていた。さすがは「“バンクス”家」と言うべきか、画家としての夢を持ちながらも、父や祖父と同じようにマイケルもまた同じ銀行で働いていているという設定で、本作の物語は始まっていく。


 だが、時代はちょうど世界恐慌のただなか。経済危機と増大する失業者によりイギリス全体が困窮していた。マイケルは、皮肉なことに自分の働いている銀行から桜通りの家を差し押さえられそうになる。さらに不幸なことに、彼は妻を亡くしたばかりで失意の底にいたのだ。マイケルの子どもたち、アナベル、ジョン、ジョージーは、そんな状況のなか、なんとか力になろうと奮闘とするが、空回りして家の中は荒れ放題となっていく。


 新世代のバンクス家に降りかかる数々の深刻な問題に、「メリー・ポピンズーっ、早く来てくれーっ!」と観客が焦れったい思いにとらわれる、まさにそのタイミングで、彼女は颯爽と雲の裂け目より降下してくる。しかも前作の印象深い“あるアイテム”を持って。このシーンは、前作を観ていれば何倍も素晴らしく感じられるはずだ。


 驚かされるのは、そんなメリー・ポピンズを演じるエミリー・ブラントの見事なヴィジュアルや仕草だ。気位の高さと完璧主義な性格を見せつつも、その裏に子どもっぽいいたずら心や深い優しさが隠されていることを感じさせる演技は、過去にジュリー・アンドリュースが演じたポピンズよりも、むしろキャラクターが完成されているように感じられた。ここでは役作りや衣装など、ポピンズ復活のための周到な努力が垣間見えるのだ。


 さらに、ポピンズの魔法は、前作同様に2Dアニメーションを合成したような画面で表現され、それがむしろ目に新しく感じられる。花びらが舞うアニメーションの美しさや、二次元的にラインが強調される衣装も面白く、これがただのレトロな表現を乗り越えているところは評価できる。


 また本作のロブ・マーシャル監督は、舞台出身で、かつて『シカゴ』(2002年)でアカデミー賞作品賞を受賞しているように、ミュージカルとしての表現が得意なことは言うまでもない。前作の煙突掃除に呼応するように、ロンドンの点灯夫たちがダイナミックに踊るシーンは面目躍如というところだろう。とはいえ、本作の楽曲自体は、前作のシャーマン兄弟らのインパクトある仕事と比較すると幾分不満を持ってしまうことは否めない。名作とされた作品に並ぶためには、明らかにそれを超える部分がないと評価されにくい。このあたりは幾分、作曲家に同情を感じるところだ。


 ポピンズがバンクス家に来たことで、問題は一つ一つ改善されていく。彼女はあくまでサポートに徹し、子どもたちを楽しませながら、それぞれ自分の力で未来を打開していくようにお膳立てするのだ。その慎ましさこそが彼女の大きな特徴である。そういう意味で“メリー・ポピンズ”とは、全ての人が心のなかに持っている、困難に向かって進むための力であり、人生を楽しむユーモアの象徴であるように感じられる。


 前作の楽曲「スプーンフル・シュガー」では、「スプーン一杯の砂糖で薬を飲むのが楽しくなるように、つまらないように思える仕事のなかにも楽しい部分がある」とポピンズは子どもたちに教え、「チム・チム・チェリー」では、「煙突掃除はひどい仕事だと思うかもしれないけれど、ロンドンの屋根の上からの眺めは素晴らしい。なんて幸せなんだ」というメッセージがバートにより歌われていた。ここにあるのはユーモアを持つことと、偏見を取り去ることの重要性だ。


 社会の厳しさのなかで、人は往々にして疲弊し、物事を楽しむことを忘れがちになる。そして、イギリスにいまも階級社会が息づいているように、既存の「常識」を受け入れ、いつしかシステムを維持する歯車となってすり減ってゆく。本作のマイケル・バンクスもまた、そういう大人になりかけていたのだ。


 ディズニーの実写映画『ウォルト・ディズニーの約束』(2013年)は、1964年にディズニーで制作された『メリー・ポピンズ』の裏事情が描かれた作品だ。「不朽の名作」が作られるまでには、どうしても映画化を実現させたいディズニーと、原作となった児童文学 『メアリー・ポピンズ』の魂を守りたい作家P・L・トラバースの水面下での確執があったのだ。トラバースは、脚本や楽曲など、とにかくあらゆる部分に文句を言い、頑なに映画化を拒んでいたが、ディズニーの娘が原作の大ファンで、映画化を約束してしまったことを知ると、少しずつ心が動いていく。


 そしてこの作品では、同時にトラバースの少女時代が描かれる。彼女の父親は、ものを書くことの楽しさを教えてくれるユーモアのある人物だった。しかし、銀行勤めのストレスで精神をすり減らし、彼は次第に家族を顧みず酒に溺れるようになっていく。原作『メアリー・ポピンズ』は、そんな父を救いたかったという想いが込められた作品だったのだ。トラバースの気持ちを理解したディズニーは、そのテーマを守ることを約束する。かくして、139分という長尺の実写映画が完成した。


 ペンギンがダンスするなど、観客を楽しませるため原作とは異なる描写が『メリー・ポピンズ』には少なくない。しかし、最も大事な部分はしっかりと描ききっている。だからこそ、凧をあげるラストシーンに心が打ち震えるのだ。


 本作もまた、原作の雰囲気とは異なるところが多いかもしれない。そしてアニメのペンギンも元気に踊っている。なぜなら本作はディズニー版『メリー・ポピンズ』の続編なのだから。しかし、ベン・ウィショー演じるマイケルが、妻を亡くしたことで生きる希望を失っていたことを描き、子どもたちが「ママは消えたわけじゃない。ただここにいないだけ」と励ますシーンを入れたことで、父親の心を救うという場面がしっかりと用意されている。トラバースが望んだ最も大事な部分は、ここでも全うされているのである。


 ユーモアの重要さや偏見をなくすこと、人の心を大事にする精神は、現代にも、そしてこの先も通用する普遍的な考え方だ。その精神を守り抜いた本作は、ディズニーの『メリー・ポピンズ』同様に、多くの子どもたちに観てほしい重要なメッセージを持つ映画になった。そして同時に、大人たちをも救う映画になっている。それさえしっかりと描けているのなら、『メリー・ポピンズ』は、いつの時代も、何度でも作り続ける価値がある題材であるはずだ。(小野寺系)