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『家売るオンナの逆襲』北川景子にとって“家を売る”とは何か? コミカルさに包まれた作品の本質

2019年01月30日 06:11  リアルサウンド

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 衣・食・住の“住”が、いかに私たちの生き方に関わっているかを実感させられ、それが作品の醍醐味の一つになっている。『家売るオンナの逆襲』(日本テレビ系)は、昨年放送の『大恋愛~僕を忘れる君と』(TBS系)を手がけた大石静が脚本を務める連続ドラマである。


参考:『家売るオンナの逆襲』三軒家万智は“時代遅れ”なのか? 松田翔太ら新キャストにみる新たな構造


 2016年放送の前作『家売るオンナ』でも、毎話登場する人間たちは何らかの問題を抱えていたが、今作でも多様な人間たちのリアルな姿が描かれる。扱う題材は実に多様で、今作ではYouTuberやネットカフェ暮らしの人々、LGBTといった現代的な事柄が取り上げられている。本作は全体としてコミカルな雰囲気に包まれながらも、その内容は考えさせられるものが多い。


 例えば、第2話で描かれたのは、孤独死の恐怖と隣り合わせで生きる一人の年配の女性の姿だった。泉ピン子演じる神子巴はある日、住んでいたアパートの取り壊しにより、新たなアパートを探すことに。だが、「孤独死されたら困る」という理由で断られ続け、結局ネットカフェを生活の拠り所にし始める。そんな巴の現状を知ったテーコー不動産の庭野(工藤阿須加)は当初、介護スタッフが充実し、巴と同世代の人々が集う場所での暮らしを提案するが、巴は猛反発。巴の願いは、同年代と暮らしたいわけではなく、いろいろなタイプの人間に囲まれて暮らしたいというものだったからだ。


 昨今はSNSなどの発達に伴い、オンラインで人々と繋がることは容易になった。ネットの世界でこそ生まれる人間関係もあるのだろう。ただ、どれだけ時代が進んでも、オフラインの結びつきは生きる上での大きな支えになる。どれだけ年齢を重ねても、若者からお年寄りに至る様々な人間の価値観や人生に触れ合いながら生きていきたいという思いも、確かにその通りである。巴と違って、ネットカフェに頼ることがなかったとしても、今の世の中では巴のような思いを抱いている人々もいるに違いない。多様な人間が集まる場が希薄になりつつある中で、オフラインの繋がりを無視することはできないはずだ。


 さて、そんな巴に提示した三軒家(北川景子)の解決策は、巴がネットカフェのオーナー兼住人になってはどうかというものだった。そうすることで、同じようにネットカフェを頼りにする人々と生きることができ、潤いのある自分の人生を再び作り上げることができると、三軒家は考えたのだ。


 もちろんこれはフィクションである。ただ、“新たな住居と同時に新たな人生を掴ませる”という、いかにも『家売るオンナ』らしいこの方法はどこか清々しさを感じさせるものだ。本人の生き方をできるだけ考慮して、最も適した家を売るということ。上記の第2話に限らず、第1話に登場した、苦悩を抱えるYouTuberしかり、第3話のトランスジェンダーとその家族しかり、三軒家は画一的な考えに縛られずに、多様な生き方を可能な限り尊重している。当たり前すぎる事実かもしれないが、“家の数だけ人間の生き方がある”ということなのかもしれない。


 とはいえ、三軒家が繰り返し言っているように、彼女の仕事はあくまで“家を売る”ことである。人々の悩みを晴らすことが、彼女の第一の仕事ということではない。彼女にとって、毎話で顧客の生き方に目を向けることは、“家を売る”ために必要なことなのだ。ただ、本作を観ている限りでは、家を売ることと、顧客の人生そのものを考えることは、実はとても近いところにあるように思える。(文=國重駿平)