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「何がしたいのか分からないまま人生が終わった」に心揺さぶられる人続出 「“何者かにならなければ”は現代の病理」という指摘も

2019年01月24日 07:11  キャリコネニュース

キャリコネニュース

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言われるままに進学し、とりあえず就職して無目的に過ごしていたら、気がついたときには中年になっていた。今はこんな人、いっぱいるんじゃなかろうか。筆者だって似たようなものだ。

はてな匿名ダイアリーに1月19日、そんなボンヤリな大人たちの心を打ち抜く投稿があった。「何がしたいのか分からないまま人生が終わった」とのタイトルで、「小さい頃から逃げてばかりいた」から始まる書き出しが上手い。投稿者は、40歳になったばかりというのに自分の人生を振り返り、「すでに自分の人生は終わった、と思う。死んでいないだけで生きてもいない」と書いている。2500字超の長文だが、「文才がある」と称賛され大きな反響を呼んだ。(文:okei)

「小雨の降る午後のように、静かにただ夜を待つだけの時間」が秀逸と話題に


おそらく男性と思われる投稿者は、幼い頃から近所の子どもたちと遊べない内気なタイプ。いじめられた幼少期を「幼稚園と小学校は真っ暗なジャングルだった」と表現し、「まばたきするのも怖かった」と書いている。

「このまま公立中学に行ったら殺されるに違いないという親の判断で」、中高一貫の私立進学校に入学し、特に学びたいこともなかったが国立大学を一浪・留年2回で卒業、「実家に逃げ帰った」としている。

就職活動は上手くいかず、「取りあえずどこでも良いので働いてみてから考えれば」という助言に従って倉庫の時給労働に就いた。「取りあえずのはずだったが、そのまま十数年」経ち、食べるには困らず、日々の暮らしそのものに不満はない。それでも、

「このあいだ四十歳になった。(中略)苦労が無い代わりに、新しいことも起こらない。小雨の降る午後のように、静かにただ夜を待つだけの時間」

と綴る。「自分は何がしたいのか、考えても結局わからないままだった。空っぽのまま生まれて空っぽのまま死ぬのだと思うと、少し寂しい」という一文からは、孤独で生きがいのない、五里霧中の悲哀が伝わってくる。

ブックマークは1600に上り、コメントが殺到した。「俺が書いたのかと思った」「俺もこんな感じだわ。世の中の人間よくやりたいことみつけられるな」といった共感や、「まだ何も始まってない」などの励ましが入っている。

目立ったのが、文章表現が素晴らしい、「小雨~ここの部分、めっちゃ好き」といった称賛だ。コメントには、「何もできない?文章が書けるじゃないか」といった激励や、ネット上での表現活動を薦める声が相次いでいる。筆者も、ちょっと褒めすぎかもしれないが太宰治の『人間失格』を思い出してしまった。

「やりたいこと」は、他人にとって無価値でも、何かにつながらなくてもいい

一方で、「"やりたいことがなければならない・何者かにならなければならない"という社会通念は現代の病理だと思う」と指摘し、自分の生活が守れているだけで肯定されていいと書く人もいた。

先日ビートたけしが「若者に"夢を持て"と言いすぎ。食うために働くでいい」と発言して話題になったが、小学校では夢を聞かれて、大きなことを言わないと許されない雰囲気がある。本人が望んでいるならいいのだが、外圧によって「特別な存在にならねば」というプレッシャーを引きずるのは辛い。

加えて投稿者は、幼少期にいじめ抜かれて自尊心が破壊されている。思春期に夢をもてず、大学は出たけれど稼げる仕事に就けなかったコンプレックスは強いだろう。似たような経験や想いを抱える多くの人が、心を揺さぶられたのも頷ける。

コメントには、「何も問題ない。そのままでよい」と肯定する声も多数ある。もちろんそのままでもいいのだが、投稿者の人生で唯一夢中になっていたらしいのが、図書館で本を読みふけり、妄想をノートに綴ることだ。他人にとって無価値でも、何かにつながらなくてもいい、自分にとって楽しくて価値があると思うものに、淡々と取り組んでいってほしいものだ。